奇妙な人
怪人の肉髪と両腕から真っ赤な鮮血がほとばしる。
辺り一面がどす黒い体液でおおわれる。
「グッ……ウヌッ……」
事態は、とうとう好転した。
「いけぇええーー!!!」
エルレイヤーが肩に剣をかつぐ。
「あなたの悪事もこれまでよ。地球はぜったい守るから」
悪の怪人が膝をつき正義のヒロインが奥義をくりだす。
決着のとき。
「聖なる光! ラブリーフラーーッシュ!!!」
凄惨な現場に似つかわしくない技が炸裂した。
「グゲェエエエエーーー!!!」
きらめく剣が、その肩からヘソのあたりまで斬りさげた。
吹き出す鮮血。染まる空。悶える怪人。
「待ってぇええー!! 待ってぇえええええーーー!!!!」
「なっ、なに……!?」
引き抜かれたキラキラ剣と怪物とのあいだに、なにかが割って入った。
「グゲェエエエエーーー!!!」
「やめてぇええええええーーーー!!!!!」
しんと静まりかえった波止場に、えさこの絶叫がこだました。
最強っぽい怪人がやられたのを見たのは、後にも先にもこれきり。
あたりが光につつまれた。そして、すべてが消えていった。あの頃とおなじ、波の音とともに――
明るい日差しが窓からふりそそぎ、小鳥がさえずる夏の朝。
「はあっ、はあっ……」
ベッドで女が目をあけると、その前に白い背中があった。
それがゆっくりと振り返る。
「うわぁあああーー!」
髭を生やしたオジサンだった。Tシャツ姿の。
「オォ ドゥ シタ」
「な、なっ、何……?」
朝早く、自分の部屋に、知らないオッサンがいる光景。
「ナニガ 入ッテ イルノ」
男はふたたび背を向けて、それを漁っている。白い布を手にし。
女の子の所有物を手にし。
「ちょっ、ちょっ! それッ! わたしの……!」
彼は、白い布を顔へ近づけ、くんくんと鼻を鳴らした。
「なぁにするのよぉっ!」
「それ、わたしのタンスなんですけどっ!」
少女はオジサンに組み付いた。
「アン? ングッ?」
男は、その布を、おもむろに口へ運んだ。
「いぃいいやぁああああーー!! アウト! アウト!! アウッ!!!」
或る、はれた夏の日。爽やかな空気を切りさく乾いた振動が電線に伝わり、雀が二羽飛びたった。
「わたし初日なんですけどーー! 浅木さーーん!!」
パンをくわえたオジサンに遭遇しつつ、やってきたB棟の二階。
ニ年の教室の黒板前に、制服姿の少女があった。
「よ、よろしくお願いします……。天路 餌子です……」
後ろには『あまじ えさこ』とルビが振られている。
彼女は震える手を抑えるように、お腹のまえでそれを組んだ。
眼前に、20人ほどの生徒が目を輝かせてざわついている。UEDJ高校の。
彼女は16年の人生で転校は二度目。だが、やはり慣れずに驚き戸惑っていた。
「また、かよ」
「え?」
「また妙なのが」
(!? 妙なの?)
「勘弁して……」
思わぬ生徒の反応に肩がすくむ。えさこってなに――と思われているのだろう。自分もそう思う。何だよえさこって。
「みなさん静かに!」
他の生徒がジロジロと顔をうかがってくる。
「…………」
教室の不穏な空気を感じとり足がふるえてしまう。
ここへ来てはいけなかったのだろうか? こんな名前でいけなかったのだろうか? えさこじゃ駄目なのだろうか?
目の前の生徒が、全員恐ろしい怪物に見えてきた。帰ろう。もう。食われる前に。
彼女は、魚の群れの前にただようプランクトンであった。
「あれ?」
だが、向かって右奥の人がなにかに気づいた。
「あ? よよっち!?」
「えさちゃん?」
えさこに『よよっち』と呼ばれた少女は、黒縁メガネの大きな目をしばたたいた。
「私、わたし……、変な名前で……」
えさこが近づいて泉のように涙を噴くと、よよっちは天を仰いで、思いだす素振りをみせた。
「引っ越してきた子がいてね」
「え?」
「それが意味不明な行動をとって叫びだし……。みんな怖がって……。数日前に」
再び視線を、えさこに戻す。
「あなたは、普通に見えるけど」
「そ、そう……?」
涙を噴きながらこたえる。
クラスの妙な反応は、おかしな転校生のせいだった。名前ではない。
「何年ぶりかな?」
思わぬ形で幼馴染と再開し、えさこは顔がほころぶ。
なんと心強いことか。一人友達がいるだけで。
「元気そう。えさちゃんも」
「…………」
また大勢のまえで発表されるとは思わなかった。キラキラネームならぬ奇妙なネームを。
「天路さん、席について」
「あ、すすすみません……」
よよっちは慌ててえさこの席を指さした。魚の群れのド真中。
「どうだった?」
転校初日をなんとかのりこえ、祖母の家へと帰宅した少女に浅木が訊ねた。ソファーに寝転びながら。メイドのくせに。
えさこは面倒くさそうに返事して、反対に聞き返した。
「そっちは?」
目の前にはもう一人、テレビを見ている人がいる。頭の悪くなったカイヅのような顔。瞳が小さくぎょろっとしており、口に微笑みをたたえている博打黙示録。やや少年っぽいが。
「いい子だったわよ」
金髪メイドは、まるで彼が小学生であるかのように返答した。
食卓に女ニ人と少年一人。
浅木はすぐに立ち上がり、タバコをふかしてスマホをいじりだした。身長は百七十センチくらいのデカいメイド服。
「エッッッ……」
「……」
頭の悪いカイヅは、手にナイフとフォークを持ち、テーブル上のエビフライを案外小さい口へと運んだ。
「ン?」
入らなかったそれは、えさこの味噌汁に頭からとびこんだ。
ピンクの小ぶりな女の子の部屋に、夕食を終えたニ人の姿があった。
「大人しくしていたようね。今朝、わたしのパン……ツ食ったくせに……」
ベッド上で脚をくみ、見下ろすえさこ。ナメられてはいけない。
男は正座して部屋のあちこちを眺め回している。エビ怪人ポスター、フィギュア。そしてゴミ箱にひかる何か。
「もう、好奇心で好き勝手な行動をしちゃだめよ。色んな姿に変身するのも」
えさこは怖い顔をしてみせた。
「綺麗ダナ」
「え?」
な、何が……?
「オ部屋」
「お兄ちゃん!」
「……」
妹にしかられてか、兄は彼女を見つめた。
「ほっ、本当に、あなたなの……?」
相変わらず頭の悪そうなカイヅは、しきりに眼を動かしている。
いけない。何故だか顔が熱い。何故だか動悸が高まる。
捜しもとめていたからか。
「本当に、お兄ちゃん?」
「知ラン」
知らんって何よ……。
自分の持っていたペンダントの片割れを確かに持っているその怪人は、オジサンの姿から少年カイジの姿へと変容した。
「どんな姿にでもなれるの?」
カイヅは、おもむろに立ち上がり、ゴミ箱に手をいれた。
「ねぇ」
「ス、キ……デ、ス?」
「それはいいからッ!」
ピンクの封筒をとりあげる。
「人間フォームニ 成レル」
「人間フォーム?」
「自然ニ変化シタラ コノ姿」
「それが本来の姿なのね?」
「知ラン」
確かに、兄の面影はあるが、彼と生き別れたのは幼少期で、それは定かではない。
「今朝の、オジサン姿は何だったの?」
彼は、自分の後頭部に手をやってボリボリと掻きながら手紙を食った。
妹は、異常者を別室へ連れてゆき、無理やりベッドに寝かしつけた。そして自分は住込みメイド浅木の寝室へゆき、彼女と共に包まった。なぜか布団に誘われる。
「手……、握ろ?」
「怖いんですか? 夜」
「……」
女二人がベッドでたわむれている頃。隣の部屋に、闇をみつめる少年カイヅがいた。
手紙を食いながらオジサン姿だった理由を訊かれて、それに答えた。
「出ソウト思ッテ。色々ヲ」
それは何を考えているのか分からない、得体の知れない兄らしき生き物だった。
「あなたは、何を言っているの?」
兄っぽい男がアウトっぽい発言をしているとき。関西の街中のとある病院のD棟に患者が入ってきた。
「どうされました?」
医者が丸椅子に腰掛けた方にたずねる。精神課の診察室。
保護者と一緒に来ているそれは、えさこの学校の制服をきていた。
「…………」
答えられない様子の彼を見、付き添いの老女が口をはさんだ。
「半年前から行方不明になっていた孫なんです」
「え?」
意外な返答に、医師は怪訝な顔をする。半年間も家をあけていたのか。
「先日、ふらりと戻ってきたので、学校へ行かせたんですが」
「前に通っていた学校?」
「いえ。たまに傷だらけだったので、隣街の」
医者は、祖母から学校の様子をきくと、長い黒髪をたらした少年を、下から覗き込んだ。
「元々、内気な子で。喋りたがらなくてもそれほど気にしなかったのですが……」
「何があったの? どこへ行っていたの?」
長い髪のしたの顔は、案外、落ち着いている様子だったが、頬はこけ、逆三角形の青白い顔をしていた。
「どこで、何をしていたの?」
「…………」
答える様子のない彼に、医師は祖母と顔を見合わせた。このままでは埒があかない。
「なぜ、学校で暴れたんですか?」
「……」
何の反応も示さない彼に、祖母はとまどい先生に謝った。
だが医師のその質問で、髪の下の目は、大きく見開かれていた。
「うぁあああアアアア゛ア゛ーー!!」
「!?」
病院中に響き渡るほどの絶叫。
「グァアア゛ア゛ア゛ア゛ーーー!!!」
少年の身体が大きくなり、腕と背中から棘が生えた。
「ぐげっ!」
「うぐっ!!」
その細くて長いものに貫かれ、ナースと祖母が口から血をはいて倒れこんだ。
「うっ……うぁっ!!」
街に怪物襲来を知らせる警報音が鳴り響いた。