夜もすがら 花薫る無垢な妖精は何の夢を見るのだろうか
彼女にその夢を見せるのは、天使か、それとも…。
………
あれ、私…寝てた…。
目の前には付けっぱなしのタブレット。少し腕が痺れている気がする。
ぼんやりした頭のまま、寝ぼけ眼な左目をこする。
今が何時なのかは分からないけど、
とりあえず、すごく喉が渇いている。
そういえば、寝る前は何をしてたんだっけ…。
確かライブ配信をして、その中でお菓子を食べて…。
視界の端にお菓子の空箱が入ったと同時に、ぐにゃり。
目を開けると、私は真っ暗な床の上に立っていた。
いや、床というのかもよく分からない、真っ暗な空間の中に私はいた。
ただ、不思議と気味の悪さは感じない。
私はここに立っていることがとても自然に感じた。
ぐにゃり。
みたび。
目を開けると、私は言葉を失った。
目の前にあるのはとても顔が整っている…お人形…?
その背中には2枚の羽が生えており、
手には私の身長と同じぐらいの大きさのラッパが握られている。
それが、ぞろぞろ。
金と銀のお人形たちがぞろぞろと列を作り、私の前に並んでいる。
あるものは、恍惚そうな表情を浮かべ。
あるものは、苦悶の表情を浮かべ。
あるものは、無心に。
みな、その手のラッパを吹いていた。
目の前の、ただ1人を除いて。
「あなたは誰なの?」
それだけ。ただ一言だけなのに。
私は声が出せなかった。
確かに私の頭は声を出せと、
横隔膜に、肺に、喉に、声帯に、舌に、唇に、命じているのに。
私は声が出せなかった。
〈声を出す必要はないのです〉
耳ではないものを通って言葉が脳に流れ込んでくる。
どういう仕組みかは分からない。でも、考えるより先に答えは出ていた。
〈こういうことですか?〉
〈ええ。聞こえていますよ。花の妖精さん〉
目の前の無表情のお人形さんに妖精さんと呼ばれ、少し恥ずかしくなる。
顔の火照りを抑えようと自分に言い聞かせるけど、
その【声】はお人形さんに筒抜けなのだと分かると余計恥ずかしくなった。
〈…あなたはだれですか?〉
〈わたしたちは、天使です〉
予想通りの答え。でも欲しいのはそれじゃない。
〈天使さん、ここはどこですか?〉
私はなぜここにいるのですか?
この質問をする前に無心の天使が口を、いや心を開いた。
〈あなたはこの世を去ったのです〉
不思議と気味の悪さはなかった。
ただ、なぜ私はこの世を去らなければならなかったのか。
疑問は止まない。
〈なぜあなたがここにいるのか知りたいですか?〉
〈…………〉
教えてくれるのか。
ここで私が素直に聞けば、天使はそれを教えてくれるのか。
仮に。
仮に教えてもらったとしよう。
教えてもらったとして。
私はそれを納得できるのか。
私はそれを、
『飲み込めるのか』
〈……………なぜ…ですか?〉
〈あなたは、
〈あなたは、お菓子をのどに詰まらせて死んだのです〉
……………………………は?……………………………
……………………………それだけ? ……………………………
いや、あっけな。私の死因あっけな。え、そんなこと?そんなことで私死んだ?
まだもうちょっとなんかあるでしょ。食べ物にしたって、何か毒殺とか、包丁でどうのこうのとか、コンビニ弁当買いに行ったら強盗に遭ったとか、色々あるでしょ。家の中の不注意だってもっと色々ある。お風呂場で滑ったとか、階段踏み外したとか、アロマキャンドル倒して火事になったとか、色々あるでしょ。
〈お菓子を?〉
〈はい〉
〈喉に?〉
〈はい、そうですね〉
気味が悪い。
何よこれ。
こんなのって…
〈他に質問はございませんか?〉
他に質問?いや、ある訳ないでしょ。だって、お菓子をのどに詰まらせて死んだ女がこれ以上何を質問するっていうのよ。私はただただあっけなく死んだだけの女。それ以上でも以下でもない。いまさら何を考えたって死んだことが覆る訳じゃない。死人に口なし。あ、今は喋れないんだっけ…。
〈どうやら無いようですね〉
〈でしたら、
〈一緒にラッパを吹きましょう〉
ぞわっ。
私はその言葉を聞いた、いや感じた瞬間、
強烈な悪寒と、右手にこの世のものとは思えぬほどの重さを感じた。
ある。
私の右手に、ラッパがある。
とてつもなく重くて今すぐにでも離したいのに、
固くラッパの根元を掴む右手は全く開かない。
吹くの?これを?なんで…
違う。
なんでとかじゃない。
私は死人。考える脳みそはこの世に置いてきた。
吹けばいい。ラッパでも何でも。
だって他に私に何ができるっていうの?
とてつもない重さのラッパの口に唇を添える。
吹き方なんて分からないけど、考えるまでもなく体は動いていた。
思いっきり。ラッパを吹く。
音は、鳴らない。
不思議と怒りは湧かなかった。
だって、そもそも、
ここに来た時から音は少しも【聞こえていない】のだから。
私がラッパを吹き始めてからどれくらい経っただろうか。
隣では、銀の天使が苦しそうにラッパを吹いている。
音が出なくて苦しいのか。ラッパを吹き続けることが苦しいのか。
私には分からない。
私がラッパを吹く顔は笑顔だ。
何も考えなくていい。ただラッパを吹けばいい。
それだけ分かればあとは何も考えなくていいというのに。
隣の天使が考えていることは本当によく分からなかった。
何人もの天使を見てきたが、感じることといえば。
天使は少しずつ増えていく。
目の前で私と同じように吹き始めるものもいれば、突然現れるものもいる。
ただ、みんなに共通してるのは、初めはとても苦しそうにラッパを吹くのだ。
そんなに何が苦しいの?
この音のない世界でラッパを吹くのが苦しいの?
ううん、違うのよ。
音のない世界だからラッパを吹くの。
音のない世界だから、ラッパを吹くことが音を表現することなのよ。
あなたのその手に持っているラッパは、初めは重くて、
今すぐにでも手放したいと思うようなものかもしれないけど、
ラッパは、この世界における唯一の娯楽なの。
この音のない世界において、ラッパがあることは幸せなことなのよ。
そう、この音のない世界において…。
音のない…世界…。
………音…
………………空気…………………振動………喉…
『飲み込めなくていい!吐き出せ!』
気付いた時には私はラッパを唇から離していた。
唯一使える左手で、隣の天使の背中を、
さする。
ひたすらに、ただひたすらに。
さする。
さする。
さする。
その時は突然来た。
天使が急にラッパから口を外し、その大きな口を開ける。
その口から、何か得体のしれない黒いものが吐き出されて、
暗い空間の中に吸い込まれていった。
天使が口をパクパクしている。
たぶん、【喋っている】のだろう。
ただ、私の耳にはもう聞こえない。
いや、そんな暇はないのだ。
次、また次と。
天使の背中をさすり続ける。
1人、また1人と。
天使は口をパクパクさせながら闇の中へ消えていく。
どれくらい経っただろう。
気付けば目の前にいた天使たちは、
【天使たち】ではなく、
【天使】になっていた。
〈まさかこんな日が来るとは思いませんでした〉
天使が心に語り掛けてくる。
〈私も、そうですね〉
〈どうして、気付けたのですか〉
〈どうしてでしょうね。心の中では、諦めてなかったのかもしれませんね〉
〈…………そうですか〉
しばらくの沈黙。
心の中の、沈黙。
これ以上語ることはない。
私は最後の天使の背中に手を添えた。
いや、手を添えかけた。
そこには天使の背中はなく、代わりに私の背中に温かいものを感じた。
〈どうして…〉
〈……あなたは、諦めなかったのですね〉
〈…………〉
それだけで十分だった。
今まで私がさすってきた天使たちが感じてきた温もりを、
今私は感じている。
ううん。
きっと。
この手の温もりは
私がさすってきた背中の何倍もの広さをさすってきたんだな。
それでも天使たちは増えていく一方で。
私が最後にほんの一握りの天使たちをさすってきただけだったんだ。
「私には、あなたを救ってあげられないんですね」
天使が何を考えているかはもう分からなくなっていた。
ただ。
目の前の天使は唇の端をにかっと上げて、
思わずこちらの頬が緩んでしまうような飛び切りの笑顔でそこに立っていた。
………
あれ、私…寝てた…。
目の前には付けっぱなしのタブレット。少し腕が痺れている気がする。
ぼんやりした頭のまま、寝ぼけ眼な左目をこする。
視界の端にお菓子の空箱が入る。
私はそれを手に取って、振ってみた。
なんだか懐かしい、カランカランというラッパみたいな音が聞こえた。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
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Special Thanks 夜花無ヨバナさん、小人のホーさん