永遠と沈黙の王のアリア
セミが鳴いていた。ここはどうやら、本当に、現実の世界らしい。
まるで、道端で野垂れ死んでいる猫のように、腹部が異様に肥大化した人間が、マンションを出てすぐの路傍に転がっていた。ここら辺は、特に治安が悪いらしく、例えば、何かに繋がっていないものは、すべて全人類の共有財産のように扱われるらしい。向こうからこちらへ、仲睦まじげに手をつないで歩いている親子も、母親がもう片方の手で娘の首に繋げられている首輪のリードを巻き付けている。
鼻に付く異様な匂いが、私が片足を乗せていたマンホールの溝に溜まっていた、固形化したゲロのような色をした何かから発せられている事に気が付いた。別にこれでなくても、町全体が、悪臭を放っているかのように思えた。すぐそこに見える死体も、その一役を担っているのだろう。
あれから、太陽が一度沈みまた登ったのが今日、だ。あれ、というのは、つまり、少女……名を羽天葉月と言うらしい……と出会ってから、もしくは、私が死んだ後初めて目覚めてからだ。葉月は敷布団で眠り、私はこたつに入って眠った。風邪をひくかもしれないと言ったが、とことん無視されてしまった。
さて、私が生前、何をしていたかというと。
それは、私も一切を覚えていないのだ。人生という物は、まるで、今朝描いた一日の計画のように、ひょんと忘れてしまうようなものなのだろうか。私にはそうは思えない。もしかすると、これはこちら側ではなくてあちら側の不手際がどこかに存在しているのではないか、と私は疑わざるを得なくなってきてしまっている。例えば、だが、決して私はあちら側、葉月率いられる神様陣営が、これは、例えばだが、死後の人間の魂のようなものを管理したりしているとするのならば、それは、そう、赤子の取り違えのように、別の人間の魂をこの肉体に入れてしまったりしているのではないだろうか。そもそも魂という存在自体が嘘やまやかしであるなんて身も蓋もない事を言ってしまえばそこでおしまいなのだが、そういったスピリチュアルなものが存在するという前提で話を進めるとすると、そもそも魂というものにはどれだけの人格の情報らしきものが詰め込まれているのかという話になってくる。もしかすると魂というのは履歴書のようなもので、神はそれを見て天国か地獄化を決めて居たりするのだろうか。そして、魂の返却、一度葉月のような人間と対面する際に肉体を使用するため、必ず返却という工程は存在するはずで、その時に、間違えて私以外の人間の魂を私に入れてしまった、という可能性だってなきにしろあらずんばである。私の名前は棟逆友雪であり、それは、確かに、確実なものだ。亀は自分が甲羅を背負っている事を理解しているように、私も自分自身が棟逆友雪であるという事は理解している。深層的な記憶は肉体に宿るというのだし、その深層的な記憶という物が、例えば、ほくろの数とか、コンプレックスだとか、そういうものだろう。
そして、そういったもの以外の記憶、つまり、先週見たテレビや最近はまっている漫画やパンティーは棚の何段目にしまっているかなど、そういった記憶が、神によって魂ごと持っていかれ、代わりに、どこの馬の骨かもわからない馬の骨の魂を淹れられてしまったという訳だろう。つまり、本当はすんなりと天国に行けたかもしれないはずの私は、史上最も薄っぺらい人生を歩んできた人間の魂をいれられ、いわば冤罪のような形でこの世界へとやってきたという訳なのだろう。とんだ迷惑な話だ。
陽の光が眩しすぎるので、私はさっさと目的の場所へ向かう事にした。目的というのは、つい先ほど、五分前。葉月に頼まれた、単なるお使いだ。
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「単なるお使いなので、行ってきてください。行ってらっしゃい」
「あ、あの、これは、スーパーの名前、ですよね……?」
葉月に渡されたのは、何かの書類を雑に破り、その裏面に大きく、ニコニコサンデイマートと書かれている紙切れだった。それと、数十年前に流行ったブランドの財布を渡された。中には、五千円札らしきものが入っていた。確かに五千という数字が書かれているのだが、それに印刷されている人物について、私は知らなかった。目つきの鋭い、いかつい男だと思った。
「はい、ニコニコサンデイマートです。歩いて五分くらいの所にあるので、迷わないとは思いますよ」
「どこにあるかも分からないんですけど……」
「歩けば五分、なのです。別に走りたいのであればそうしてくれても構いませんが、とにかく、歩いて五分以内の所に、この店はあります。例えば、最初は北に五分間歩き続け、その後、西に五分間歩けばいいのです。その後、南に十分間歩き、そして、東に十分間歩くのです。ほら、後は蝸牛のように、内側、葵マンションへむかうように歩けばいいのです」
「その、何か、目印とかはないんですか……?」
「特にありませんが、あえて言うなら、分かりづらいとことにあります。小さいので」
「せめて大型チェーン店に……」
「甘えていますね。別に、私だってその店へ行くことは可能なのです。何故わざわざ効率の悪い方法で頼んでいると思っているのですか。昨日の話を早速忘れているのですか。私はお腹を空かして待っているので、なるべく早めにお願いしますよ。たこ焼きを買ってくるのです。ニコサンのたこ焼きは美味しいんですよ、店内で作っているのでアツアツなのです。アツアツのを買ってきてくださいよ。平台に置かれているのは冷めているので、そこじゃなくて、お惣菜がたくさん置いている三段くらいの棚に乗っているやつを飼うのですよ。昼の三時に作られたものが並べられるので、今すぐ行って首尾よく到着できれば、丁度出来立てが買えるはずですので、お願いしますね」