02.順応?
気が付くと、豪奢なベッドに横たわっていた。ぼんやりと見上げた天井のダマスク柄が圧倒するように広がり、ランプの灯りを反射させて薄暗い部屋を照らしていた。
品のいいヨーロッパ風の調度品が置かれ、高級ホテルのような雰囲気にそわそわとした違和感を感じる。まさか、新しくできた街の中央の高級病室にでも運ばれたのだろうか。
身体を起こすと、骨の軋む音がする。少しの倦怠感も感じるが、特に異常なく立ち上がり歩くことができた。
「生きている、体も問題なく動く……!」
ヒヤリとした違和感。くぐもった低い声が部屋に響く。僕はこんな声をしていただろうか。
「あー、あー?」
違う。別人の声が自分の喉から出ているのだ。
部屋を見渡し、部屋の端の大きな三面鏡に駆け寄る。細かいヒビが入ったそれは埃で曇っていたが、その姿を映すには十分だった。
「誰だ?」
曇った鏡の向こうには見覚えのない金髪の青年がいた。不健康に骨張った手が震え、青白い頬をつねる。
冷たい爪が皮膚に食い込む感覚の中、ふと気づく。光を放っているベッドサイドのランプに電源コードが無い。カーテンを開けて現れた窓は内側から雑に板が打ち付けられていた。隙間から見えた景色は箱型にガラスの半球を積み上げたような建築が立ち並ぶ、今までに見たことが無いパステルカラーが延々と続くようなものだった。
こんな建築様式は存在しない。鉄骨で編んだ球形にガラスを嵌め込むならともかく、一枚のガラスのみで屋根になるほどの大きな半球を形成するのは今の地球の技術では不可能だ。
「なんなんだ、どこなんだ、ここは……!?」
今、酷く混乱している。まるで異世界に来たとでもいうような現実離れした光景は、僕の正気を掻き乱すには十分だった。
しかし、いつまでも呆然としてはいられない。頭を振って不穏な考えを追い出し、深呼吸する。そうだ、いつでも冷静に努めなければならない。
机の下に隠すように置かれた箱の中には小冊子が入っていた。勝手に中を検めることに少しの罪悪感を感じながらも小冊子を手に取る。
「フリント・キャンベル……」
表紙に書かれているのは小冊子の持ち主であり、この部屋の主の名前だろう。鉛筆で何度かその名前を消して書いた上から金色のインクでなぞられている。持ち物に名前を書くときは一番綺麗な字で書きたいという気持ちだったのだろうか。なんとなく共感する。
ベッドに座って小冊子を開く。その中身は日記だった。ただ、普通の日記には登場しない「魔法」という言葉がやけに目につく。読み進めると、この日記の持ち主ーーフリントはそれらに並々ならぬ憧れを持っていたことが分かった。
日記の内容を要約すると、
ここの人間は生まれながらに一つだけ魔法を使うことができる
安全のため生まれた時に魔法を封印して半成人を迎える10歳に再び封印を解いて自身の魔法の詳細を告知する
魔法は限りなく万能なものもあるが、取るに足らないものもある
という常識が存在するようだ。
フリントは優秀な当主の息子であり、ことあるごとに父の若い頃と比べられることにコンプレックスを感じていたが、いつか自分の魔法が父よりも優秀であると判明したら周りを見返してやれると思っていたようだ。
10歳の誕生日の前日のページには
『今日で父上と比べられる日々からはオサラバだ。俺の魔法がすごいのだったら、きっとみんながこの俺をチヤホヤする。ずっとかっこよく杖を振る練習をしてきたんだ。将来は大魔道様なんて呼ばれてモテモテかもしれない。早く明日になればいいのに』
と書かれている。ここまでくると、魔法への憧れというよりは執着と言った方がいいのかもしれない。
「魔法か……」
魔法には、周りからの評価を全て変えてしまうほどの影響力があるとでもいうのだろうか。その世界のありかたこそ魔法のように思えてしまうのは、僕が魔法は存在しないということを常識としているからだろうか。
「ん?」
日記は10歳の誕生日の前日で終わっている。それ以降は何も書かれておらず、白いページが続くだけだった。毎日書かれていた日記が突然にも途切れるなんて、フリントの誕生日に何が起こったのだろうか。
「フリント!」
ドアの向こう側から聞こえた声に、先程まで読んでいた日記を咄嗟にベッドの中に隠す。
慌ただしく部屋に入ってきたのは壮年の男性と若い女性だった。男性は金髪で、顔立ちは鏡で見た青年に似ているような気がする。
「目覚めたのか!よかった!」
「当主様、お待ちください!」
長い髪を一つにまとめたロングスカートのメイド服の女性がオロオロしながら男性を引き留めようとしている。女性がこちらを不安げに伺うように何度も見ながら割って入ろうとしては、男性の筋肉に跳ね返されている奇妙な光景が目の前で繰り広げられていた。
「すぐに来てやれなくてすまない!怪我の具合は大丈夫か?頭を酷く打ったんだろ、それに……その、だな」
「当主様!坊っちゃんはまだ安静にしていないといけません。目覚めたばかりですし、会話も……その、難しいかと」
「ああ……、すまない。儂はもう行く。ゆっくり休むといい」
捲し立てるように話していた男性は僕と目が合うと、途端に言葉を詰まらせた。男性の視線は忙しなく動き、モゴモゴと声を出そうとしてはやめてしまう。メイド服の女性が声をかけたのは、きっとそれを見かねたのだろう。従者が主人に対して退室を促すほどの動揺ぶりだった。
「……しわけ……ません」
部屋に残ったメイド服の女性のか細い声が響く。
「どうかしましたか?あの、大丈夫ですか」
「申し訳ございません〜!!」
女性は大声を上げながら両手と膝をつき、頭を絨毯に勢いよく擦りつけるように下げた。
「!?」
土下座である。
「申し訳ございません!当主様を部屋に通してしまい、申し訳ございません〜!」
「……?頭を上げてください!僕を心配して来てくださったんですよね?どうして謝る必要があるんですか?」
突然のことにしばらく唖然としていたが、ハッと我に返ると慌てて女性に駆け寄る。女性の額は少し赤くなっていたが幸い傷にはなっていなかった。
「それは……。坊っちゃんが私どもに直接命じられたわけではないのですが……。今まで誰とも顔を合わせず長いこと塞ぎ込んでいらっしゃったので……。坊ちゃんは当主様すら避けて引きこもっていましたし」
彼女によると、フリントは10歳の誕生日から現在まで9年もの間部屋に籠り唯一の家族である当主様とすらろくな会話もせずにいたという。日記や会話から判断した僕の推測が正しければフリントはきっと……。いや、まだ断定するのは早いだろう。
フリントの置かれた状況につい考え込んでしまう。沈黙が気まずかったのか、女性が明るく話しかけてくれる。
「久しぶりに外を散歩してたら、転んで頭を打ってしまうなんて災難でしたね。……あ!庭師のカシオが驚いて腰を抜かしていましたよ」
「そうなんですか。カシオさんに心配かけてしまって申し訳ないです」
「えっ、カシオ『さん』?坊ちゃんが人の心配をしている?頭打ったからですか?」
「えっ」
変なものを見る目で見られてしまった。お互い首を傾げて見つめ合っていると、女性の顔がだんだん青ざめていく。女性は素早く姿勢を正すと頭を絨毯に擦り付けるようにして下げた。
「申し訳ございません!不敬なこと言って、申し訳ございません!く、クビにしないでください〜!!」
「!?」
再び、土下座である。
「顔を上げてください!クビになんてしませんよ!」
「下働きの者に丁寧な言葉を使う坊っちゃんなんて、解雇のことを考えているに違いありません〜!」
「違います!」
「やっぱりクビなんですよ〜!」
土下座をやめない彼女の声が涙声に変わってきた。なんだか、彼女に対する感情が可哀想を通り越して心配になってきてしまった。もしかしたら、思ったことをすぐ口に出しがちなだけで繊細な人なのかもしれない。
今、どういうわけか「僕」という人格がフリントの体を動かしている状況だ。彼女からすると、頭を打ったフリントが豹変したようにしか見えないのだろう。これ以上混乱はさせたくない。彼女の言ういつものフリントのように振る舞うしかないだろう。
「そんなことない、久しぶりに人と会って混乱しただけだ」
「あっ、元に戻りましたね!」
あっさり泣き止んだ女性は立ち上がり部屋を出ていくと、水差しとグラスを手にして戻ってきた。グラスに水を注いでこちらに手渡す。
「坊っちゃんに大声出させてしまって、申し訳ございません。お水をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
女性はどこからかジョッキのように大きなグラスを取り出すと、水差しに残っていた水をグラスに全て注いてゴクゴクと一気飲みした。
「体の水分が蘇る〜」
……この人は案外図太いかもしれない。
「坊っちゃん。何か困ったことがあったら、このシリカにお申し付けくださいませ」
「シリカさん」
「シリカ『さん』!?」
「……シリカ」
フリントのように振る舞う。……これに慣れるのはまだ先かもしれない。