01.日常の終わり
「あのお店は……ここの通りを真っ直ぐ進んで、二つ目の角を右に……。そうです、特徴的なカボチャの看板のところです」
地図看板の前で考え込んでいる年配の女性を見かねて声をかけ、身振り手振りを交えてお店の場所を説明する少年。耳の遠い女性に合わせて長い体を折りたたむように屈むと、再び説明を始めた。彼は、女性が老眼鏡の奥の目を眩しそうに細める程に見目麗しい。
「学生さん。道、教えてくれてありがとうねぇ」
「いえ。この辺りは同じような道が多いですから、慣れていないと混乱してしまいますよね」
「確かにどこの道も似たようなとこだったわね……」
「もしよろしければ、お店まで送りましょうか?」
「あら!お願いするわ!」
彼は足をゆっくりと動かして、女性を先導するように隣を歩く。ローファーとヒールがアスファルトの地面に擦れ、コツコツと重なるようにふたりぶんの音が響く。
天気の話、近くを歩いていた鳥の話、街路樹の花壇の中に咲いた花の話……などのとりとめのないことを話していると、あっという間にカボチャの看板が見えてきた。
「まさか、わざわざ声をかけて案内してくれるなんて!こんなに優しい学生さんもいるものなのねぇ」
「ははは、ありがとうございます」
しみじみとそう語る女性に、彼は照れ臭そうに笑う。また女性は目を細める。
カラフルな穴あきカボチャの看板を通り過ぎて、水玉模様のショーウィンドウの前で立ち止まる。ご婦人向けのセレクトショップだ。
「学生さん、案内ありがとう。助かったわー」
「きちんとご案内できて良かったです。お買い物、楽しんでくださいね」
「最後まで丁寧にしてくれて、どうもありがとうございます。あら、この制服ってあの進学校のでしょう?お勉強頑張ってね!」
「はい。しっかり勉学に励みます」
女性がショップに入るのを見届け、再び歩き出す。彼は今日が偶然学校が早く終わる日でよかった、と呟きながらも明日のテストのために早足になる。
青空に雲がゆっくり流れる。ビルに混じって小さなお店や家屋が並ぶ、パッチワークのような都会然とした地方都市。信号の待ち時間でさえ短いものに感じる。そんな昼下がりののどかな空気を切り裂くように、路地裏から怒号が響いた。
3人の黒い学生服の少年達。いや、腕で頭を守るよう丸まって地面に這いつくばっている少年も含めて4人。1人の少年を痛めつけるように3人が殴り、蹴り、踏みつけ、ゲラゲラと笑っている。
「君達!何をやっているんだ!」
声を張り上げる。蹴り上げられた少年が転がり、仰向けになったところを手を叩いて笑っていた3人がこちらを見た。
信号はまだ変わらない。
「げっ、噂の生徒会長サマに見つかるなんてついてねえな」
「ああ、隣の高校の綺羅星トオル?」
「なんか萎えたわー。行こうぜ」
「じゃあな!サンドバッグくーん!」
「ギャハハ!!」
ボロボロになった少年の上をついでとばかりに踏みつけ、3人は立ち去る。
やっと信号が青に変わる。トオルは横断歩道の白線の上を走り、脇目も振らず路地裏に入って少年に駆け寄る。
「君!大丈夫か!?」
「なんだよ、俺は、俺はっ!お前みたいな能天気そうな偽善野郎に助けられなくてもよかった!」
トオルが差し出した手を叩き落とし、少年は噛み付くように叫ぶ。少年は口の中に溜まった血を吐き捨て、立ち上がろうとするが、崩れるようにして倒れ込んでしまう。
「……怪我をしている。病院で診てもらおう」
「いいって!俺に構うなよ!」
トオルは制服が汚れるのも構わず膝をついて屈み、叩かれた手を諦めずに差し出し続ける。少年は一瞬、眩しいものを見るように顔を歪めたが、すぐに頭を振って刺々しい雰囲気に戻る。
「足の骨折れているんだろ。それでどうやって家に帰るつもりだったんだ?」
「……お前に関係ないだろ」
「いや、関係ある。目の前の苦しそうな怪我人を放っておくなんておかしいことだ。……心配なんだよ」
「……」
トオルの真っ直ぐな瞳に見つめられ、少年はたじろぐ。落ち着きを取り戻したのか、ボソボソと呟くような声量に変わっている。
脂汗を額に浮かべ、苦しそうに荒い息を繰り返す少年は明らかに重症だ。今は見えないが、きっと服の下にも怪我が隠れているのだろう。
「病院に付き添う。肩を貸すよ」
「いい」
「分かった」
トオルは改めて少年が歩けるか怪しい状態だと確認すると、半ば担ぐように少年を持ち上げる。急に、しかし丁寧に持ち上げられた少年は思わずといった風に大きな声を出す。
「は?」
「なるべく早く向かうから安心してほしい」
「違う!必要ない!ってコトだよ!」
「そうか」
少年はトオルの背を叩いて抗議するが、それを黙殺してトオルは歩き始める。
しばらくして、少年はひとしきり騒いだら疲れたのか諦めたのか、大人しくトオルの背に揺られていた。
「馬鹿なやつ……」
鼻を啜る音がトオルの首の横で聞こえた。
「この通りを抜けたら病院に着く。怪我に響いていないか?もう少しゆっくり歩こうか」
「別に、いい」
「そうか」
それは、病院までの歩道を歩いている時のことだった。
突然少年は放り投げられ、背中をアスファルトに強く打ち付ける。
「うぐっ……!お前、何しやがる!」
少年が振り向き怒鳴るが、トオルは焦った顔をして車道の向こうを見ていた。少年がそれに訝しげな表情を浮かべた時には、トオルは猛スピードで迫る鉄の塊に撥ね飛ばされていた。
「は……」
長い体がバウンドし、ドシャリと落ちる。彼を撥ね飛ばしたトラックはしばらく蛇行した後、電柱にぶつかり止まった。
「あっ、ああ……。嘘、だろ……」
少年は片足を引きずりながらトオルに近づく。トオルは打ち所が悪かったのか頭から血が流れ、その血溜まりの中で倒れていた。
ザリザリとスニーカーがアスファルトに擦れる音。少年が視界に入るなり、トオルは目を開けて薄く笑みを浮かべた。
「よかった……」
「なんでっ!俺を庇ったんだよ!俺なんて置いてけばいいだろ、俺のせいで人が死ぬっていうなら、いっそ俺が……」
その言葉の先を言わせまいとトオルは出せる限りの全力で声を張り上げた。
「君は理不尽にも失われる人間であってはならない、命を奪われるべきじゃない」
それはボソボソした少年のいつもの声よりもか細いものだったが、不思議とよく通る声だった。
「は」
「あと、そうだな……」
血に塗れた顔でも力強く射抜くような目は変わらなかった。
「君に死んでほしくないって、僕がそう思ったからだ」
「ありえない、嘘だ、そんなこと」
「嘘、じゃない」
少年は頭を振って顔を歪める。
「あのトラックの運転手、ハンドルにもたれるようにして泡を吹いていたんだ。もしかしたら、死んで……」
「人のこと考えてる場合じゃないだろ!」
瞬きの間隔が長くなる。言葉の発音が曖昧になる。トオルは、限りなく死に近いところにいた。
「バカ!死ぬな!」
「……ああ」
「おい!綺羅星!」
「……」
瞼が下りる。呼吸音が小さくなる。
「なんか、今日、久しぶりに人と話した。話せたんだ、あんなに普通の、会話……」
「そう……か……」
「何死にそうになってんだよ、なあ……」
トオルが意識を失う前に聞いたのは涙声だった。
処女作です。
小説を書くのも人に見せるのも初めてなので、温かい目で見守ってください。
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