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茶色の猫娘『暦日灰杜』

 ――day.4――


 カーテンを開けていないのに、眩しい光が瞼を照らした。


「……桜か?」


 布団に頭まで潜り込みながら、いつものように亡霊に問いかけるが、返答はなかった。

 あいつも、まだ寝ているのか? 俺以外、この部屋には桜だけ。幽霊がカーテンに触れるかわからないが、他に犯人の目星は付かない。

 モゾモゾと布団から顔を出すと、光は収まっていた。

 目を開くと、スマホが小さなライトを明滅させていた。通知が来たことを知らせるものだ。


「…………俺に、連絡?」


 寝惚けているのかと思ったけれど、スマホの画面を見れば夢じゃないとわかる。 通知はメッセージアプリだった。相手の名前とメッセージの内容が表示されている。


『イノリ:おはよう。今日の放課後に部活やるって』


 俺と友達になりたいと言った物好きなヤツ。誰とも関わらずに一人で生きていこうと思っていた俺が、

関係を築きたいと望んだ相手でもある。 色とりどりの花のように、顔色がコロコロと変化する姿が眩しかった。


「友達に、部活か……」


 ただ学校と家を行き来するだけの灰色なセカイが、たった一つの出会いで色づいていく。部活なんて、俺と桜の二人きりだった頃には考えすら浮かばなかった。 俺という空っぽの器に、少しずつ人間らしさが注がれていく。


『器に穴が開いたままでは、中身がこぼれてしまうよ』


 桜の一言で現実に引き戻される。 生物にとって大切な、心が欠けている。人間の欠陥品なんだ。 そんなモノを必要としてくれる人はいない。たとえ居たとしても、俺にその手を取る資格はない。 俺には、罪があるから――


『君の罪を思い出したのかい?』


 一瞬視界が真っ白になり、懐かしい声が響く。


『――が、ウチの正義だよ』


 頭がフワフワと軽く感じ、白昼夢を見ているような気分だ。 桜の隣に、血のように赤い髪の子供が立っているが、靄がかかっているせいで顔は見えない。恐らく声の主だろう。


『……なのにどうして』


 ぼやけた顔の輪郭にうっすらと浮かぶ双眸から、ドロリと血の涙が流れ出す。


『どうして、ウチの正義を踏みにじるようなことをしたんだ?』


 胸が、ズキンと痛んだ。心臓を握り潰されてしまいそうなほどの強い痛みに襲われる。


「……はっ、はぁ……っぐ」


 鈍器で殴られているかのように頭がガンガンと痛み、思考も鈍重になる。


「…………な、んっだ、これ」


 血の涙は滴り、地面を濡らした。 そして波紋のようにゆっくり血が広がっていく。気づけば、近くに

倒れ伏した桜の姿があった。その姿を、鮮血が呑み込むように染めていく。 震える手から滑り落ちた包丁が、供花のように地に突き刺さる。


「あ…………」


 その赤色の意味を、俺は知っている。あれは俺と桜しか知らない。

 その赤色の原因を、俺は知っている。あの場に俺と桜以外がいたなんて知らない。

 その赤色が桜をどうしたのか、俺は知っている。俺は桜がどうなったのかなんて知らない。

 その赤色で傷を共有した友達を、俺は知っている。桜以外に友達がいたなんて知らない。

 その友達が赤色のセカイで生きることになったのを、俺は――


「知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らないっっ!!」


 赤色を言葉で塗り潰すため、呪言のように呟き続ける。 言葉なんて目に見えない。けれど俺にとっては、精神を落ち着けるのに有効な手段だった。


『そうして自分に暗示をかけて、また忘れてしまうつもりなのかい?』

「ああ、そうだ。忘れてしまえばいいのか……」


 これ以上思い出せば、俺は痛みに耐えかねて壊れてしまう。

 俺にとって最も簡単な解決方法を選んで逃げてしまえばいい。


「忘れよう。昔の記憶に蓋をして、記憶に繋がる関係を作らないようにして、痛みに繋がる感情は消し去るんだ」


 俺にとって特別な『もう一人』は消え去り、俺と同じく残された『あの子』には顔を合わせる資格がない。

 逃れられない痛みにもがき苦しんだところで、救いの手は差し伸べられない。

孤独という毒に蝕まれた俺は、対峙すべき罪と向き合う覚悟すら喪失した。


『……いいよ。今は過去を忘れて眠るといい』


 その一言で猛烈な眠気に襲われる。 最後に写った光景は、桜が涙を流す姿だった。



          ☆☆☆



 目が覚めたのは昼を回った頃だった。 昨夜から今までグッスリと眠っていたからだろうか。頭がやけにスッキリとしていた。まるで記憶という名の本が、脳という棚に仕舞われ、整理されたようだ。

 ふと、スマホにメッセージが届いていることに気づく。どこかで見たことがあるような文章を、冷めた心で見つめる。


「……本当に部活やるのか。俺には関係ないが」


 寝返りを打ってスマホから目を背けると、窓枠に桜が腰掛けていた。


『……君にとっては関係ないかもしれないが、入部した以上、参加するのが責務ではないかな?』


 確かに俺自身が入部を承諾した。けれどあれは一時の気の迷いでしかない。

 部活動の内容も聞いていないし、幽霊部員という言葉もある。無理して行く必要はないはずだ。


『灰杜、約束破りは海の底。それがボクらの合言葉だっただろう』


 珍しく桜の言葉は怒気をはらんでいた。背中にザクザクと刺されたような感覚が走る。

 今思えば子供らしからぬ過激な合言葉だったと思う。と同時に、退路を絶たれたことに気付いた。


「……仕方ない」


 重い腰を上げ、俺は登校の準備を始めた。 



          ☆☆☆



「放課後に来るなんて随分な重役登校だね」


 挨拶代わりに皮肉を投げかけてきたのは、教室に唯一残っていた紫蘭だった。「すでに清掃の時間も終わってるよ」と呆れたようにぼやくと、仏頂面のまま通知ランプが点灯していないスマホをポケットに押し込んだ。


「部活やるんだろ」

「うん。来てくれるって信じてたよ」


 信頼を示す言葉に胸が痛む。俺は来るつもりなんてなかったから、罪悪感というやつだろうか。

 とはいえその痛みを表に出していないからか、紫蘭は「既読したなら何かしら返信してほしかったけどね」と少し頬を膨らませた。


「文芸部の部室は部室棟じゃなく校舎の中だって、行こう」


 紫蘭に先行してもらい、白詰が待っている部室へと向かう。

 沼に嵌まっていくかのように歩む度に足の重さが増し、誰にも心を開いてはいけないと心が固く凍り付いていく。


『君の心は矛盾している。なのにそれすら忘れてしまうなんて、皮肉としか言いようがない……』


 言葉の真意はわからない。いや、わかってはいけないと心のどこかでブレーキを踏む。

 だけど約束を違えるわけにはいかず、重たい足を引きずりながら紫蘭の後を追いかける。

 道順なんて覚える余裕はない。自分がどこを歩いているのかわからないが、紫蘭が道標になってくれたおかげで文芸部の部室に辿り着いた。

 どうやら空き教室の一つを部室として利用しているらしい。


 ドアを開くとすでに白詰が待っていた。本に夢中で俺らが来たことに気付いていない。

 紫蘭は声を掛けず、近くにあった椅子を引き寄せて座った。俺もそれに倣う。

 誰も何も語らない沈黙の時間。月のない夜のような静けさは、空っぽな俺の心に暖かい何かを注いでいた。この感情は、なんだっただろうか。


『安堵。つまり安らぎを得たということだね』

「きゃあっ!」


 悲鳴を上げて椅子から白詰が飛び上がった。手から落ちた本を「おっと」と紫蘭が受け止める。

 ようやく俺らの存在に気が付いたらしい。何がキッカケなのかはわからないけど。

 今来たばかりではなく、しばらく放置していたと察したのだろう。白詰はしどろもどろとしながら机の上に広げた本の山を整理し、顔が見えるように机を四個付けて島を作る。

 促されるままにその席に座った。白詰の正面に俺、俺の隣に紫蘭という位置づけだ。


「え、ええっと……お二人とも入部してくださってありがとうございます!」

「感謝されるようなことでもないんで気にしないでほしいっす」


 話題がなくて間が持たないのだろう。二人してチラチラと俺を見てくる。

 視線を無視して本の山から一冊手に取ってパラリとページをめくる。白詰の蔵書なんだろうかと思いつつ、代わる代わる本を開いていく。

 作者の価値観が投影されているんだろう。流し読みでもわかるほど、どれも雰囲気が異なっていて興味深い。


「うるっさいわね! わかってるわよっ!!」


 突然の怒号に怯えるように白詰が両耳を手で塞いだ。

 声の正体にいち早く気付いたのか、呆れたように紫蘭が顔を片手で覆う。

 収まらない誰かの怒りを聞き流しつつ本を読んでいると、ポケットに仕舞っていたスマホが震えた。二人に気付かれないようにこそこそと隠し見ると、ある人物からのメッセージが届いていた。


『吾輩は猫∶折り入って話があるのだが、本日の夕刻に待ち合わせでも問題なかろうか』


 今さら話とはなんだろうか。いや、猫からの連絡ならば姉である桜が関わっている内容だと考えるべきだろう。

 今日の部活は特にすることがなさそうだし、早めに切り上げても問題ないはずだ。


 突然やって来た館花とやらの入部を見届け、俺は猫との待ち合わせ場所へと向かった。

 館花に睨まれた気がするが、きっと気のせいだろう。すれ違うくらいはあったとしても、面と向かって話したことなどないはずだ。そんなことがあれば白詰や紫蘭の時のように桜が反応するだろうし。



          ☆☆☆



 駅までの通学路を歩いている途中、行く手を阻むようにそいつは立っていた。

 大きな角襟が付いた茶色のワンピースに、胸元には白いスカーフが飾られている。雪ノ下中学校の制服だった。

 頭の上の方で一つに纏められた髪が、尻尾のようにユラユラと揺れている。

 俺のことを呼び出した張本人。桜の妹である常盤猫だ。


「何の用だ」

「幼馴染みである吾輩に対して、酷い言い草ではなかろうか」


 簡潔に用件を求めたのだが、猫は困ったようにやれやれと肩を竦める。


「まあよい……姉上は近くに居るか」

「桜は隣だ」


 猫は……猫だけは、俺に付き纏う亡霊の存在を視認していた。昔から人と違う世界を見ていることは知っていたが、桜をこの目で見るまでは半信半疑だった。

 不確かな存在を肯定してくれる誰かがいるというのは心強い。

 だが、今日に限っては何故こんなまどろっこしいことをするのか。


「――そう。吾輩の隣で、貴君の方を向いて驚いている。何故であろうな」

「俺らが久しぶりに会ったから、だろ」


 猫から桜へと視線を移す。すると桜は目を大きく見開き、口に手を添えた姿勢で固まっていた。

 猫はゆっくりと首を横に振った。顎で俺の背後を示す。


「否。吾輩達の邂逅を覗く、君の友人がいるからである」


 振り返ると、曲がり角にある塀の影から、こっそりと様子を盗み見る姿があった。白詰と紫蘭だ。

 二人へと声を掛けながら、猫が歩み寄っていく。


 どうして二人がここにいるのか、どれだけ俺らの事情を知っているのか――絶えず生まれて消えゆく疑問の数々に胸がざわめき、会話が耳に入ってこない。

 呆然と眺めていた視界の奥に、館花の凛とした姿が写る。腕組みをしたまま睨みを飛ばしてきていた。

 意識が思考の渦から引き戻され、猫の隣へと向かう。

 猫は二人に背を向けると、俺へと向き直った。


「姉上にも聞いていただきたい」

『……ボクが妹の話に耳を傾けないはずはないだろう?』


 当然のように俺の隣に立つ桜が答える。

 安心したように、一瞬だけ猫が表情を緩めた。すぐに真面目な表情になる。


「心して聞くことだ。この言伝は、姉上と灰杜兄の親友である――」


 嘘だ。そんなことあるはずがない。

 俺には親友なんていない。――いや、親友は遠くに行ったはずだ。

 だいたい猫が覚えているわけがない。きっとでまかせを言ってるだけだ。ありえないし、ありえたらいけない。

 焦燥感に苛まれ、脂汗が止まらない。握り拳もぐっしょりと濡れている。耳を塞いでも、もう遅い――


「燐堂花楓から預かったものである」

『りんどうかえで……懐かしい名前だね……』


 名前を聞いた途端、全身が脱力し、膝から崩れ落ちた。

 身体がその名前を拒絶する。眼の前が真っ暗になり、肌が粟立って、身体が震える。歯がガチガチと噛み合わさる音が響いた。

 腕で身体を抱いてもちっとも収まらない。


「し、らなっ……! って……も、いな、い……!!」


 喉がカラカラに乾いた状態でも構わずに声を絞り出す。

 水中でもがき苦しむように、助けを求める手は何度も空を搔いた。

 やがて視界が赤に染まり、汗や涙の水分がヌルリとした血液を思わせる。込み上げてきた胃酸を無理矢理飲み込む。頭がズキズキと痛み、視界がぐるりと回っていた。


『そんなに辛いのならば、忘れてしまえばいいだろう』


 四つん這いの状態で見えるのは、桜の足元だけだった。目眩がして頭を上げることができないのだ。

 桜は悪魔の囁きのように『いつものように暗示をかけて、記憶に蓋をしてしまえばいい』と、俺にとって都合のいい提案をしてくる。

 頭が一気に冷え切って、身体の感覚が全て消えた。呼吸も肩で息をする必要がないほどに落ち着きを取り戻している。


「…………ああ、そうか。忘れればいいのか」


 子供の頃の記憶と、記憶に通じる感情を全て……俺の中から消し去ってしまえばいい。忘れるのは得意だ。


『ようやく取り戻した感情に未練はないのかい』

「ない。俺には桜がいてくれれば、何もいらな――」

「さっきから聞いていれば、ウジウジとネガティブな自問自答ばっかりしてるじゃない!」


 俺と桜の会話に威勢良く割り込んできたのは、ずっと遠巻きに俺らを見ていた館花だった。

 こめかみ辺りに青筋を立て、無遠慮に距離を詰めてくる。目の前で止まった。


「桜、桜って、何が見えてるか知らないけどね、少なくともあたし達はその桜って人の正体に、とっくに気づいてんのよ」

「何を言って……」


 館花は少し屈むと、俺の胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。

 瞳に宿る強い意志に怯み、視線を彷徨わせる。だが、館花に顔を寄せられ逃げることは叶わない。

 桜は館花の向こうで、心配そうに俺を見つめている。


「アンタが見ている桜の正体は、都合の良い幻覚! 自分自身で生み出した偽りの存在なのよ!!」


 胸を刺されたような衝撃だった。それから、ナイフを刺したまま、抉るようにねじってから引き抜く。

 心を守っていた何かが壊れ、全ての記憶と感情が堰を切ったように溢れ出す。もう、止めるすべはない。

 突然の出来事に脳の処理が追いつかず、思考も纏まらない。

 ぼんやりとした状態で、俺はその場にいる人物を一瞥した。


「……これは夢か? それとも誰かにとっての滑稽なお伽噺なのか?」


 返ってくる言葉はない。だが、館花の言葉を否定する者も誰もいない。つまりはそういうことなんだろう。

 ふらつきながらも立ち上がった俺は、その場の全員に背を向け、帰途についた。

 後ろから聞こえた足音は一つだけ。耳を澄ませばなんとか聞こえる程度で、猫のものであることは明白だった。

 足を止め、背中越しに声を掛ける。


「お前の用事は終わったはずだろ」

「えっ、えと……実は家出してきたため、宿泊させてもらえぬか頼みに来たのだ」


 しどろもどろとしつつもハッキリとした回答で、わざわざ嘘をついているとは思えなかった。

 友人の家だと迷惑をかけてしまうという心配から、一人暮らしで昔馴染みの俺を訪ねて来たということだろう。

 桜の妹の頼みを無下にはできないし、断る理由もない。


「勝手にしろ」


 道端を歩いていた野良猫が、代わりににゃあと返事した。

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