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少年はその身を捧げ神を愛す

 もう少し、もう少しで君の元へいけるよ――。


 深い森の川辺に沿って進む者がいた。

 フードにすっぽりと覆われているため遠目からでは男とも女ともわからない。

 背丈は低く横に広くもないので、屈強な者、恰幅の良い者ではないということはわかった。

 息を切らしながら小走りで急ぐ姿に、森の動物や"そうでないもの"が興味深そうにその者を観察していた。


「見つけたぞ」


 上空から3羽の大鳥が地面に着地した。

 大鳥には鎧を纏った男達が跨っていた。鳥の格好をよく見ると、座席のシートが取り付けられている。どうやら騎乗用に飼われているらしい。

 大鳥が土を踏みしめた時に舞った土埃のせいで視界が奪われた。


 フードの者は片腕を顔の前に持ってきて前かがみになり、それが落ち着くまで踏み止まった。

 風圧のせいでフードが捲れ、隠れていた顔が曝け出される。

 スミレ色の髪にくりくりとした金の瞳、青白い痩せこけた頬には三角形が2つ重なったような紋様が浮かび上がっている――まだほんの幼い少年だった。

 しかしこの少年、奇妙なことに開かれた口の中は片方だけ獣のような鋭い牙を生やしており、耳も片方だけ上に長く尖っていた。

 もはや人間ではないことは一目瞭然だが、それでは"これ"は一体何なのだろうか?


「ボス、間違いねえや」


 漸く辺りの様子がわかるようになった頃、大鳥から降りた男のうちの1人がスミレ色の少年を指差した。その表情には軽蔑の色がありありと浮かんでいる。


「こいつが神の怒りに触れた大罪人だ!」


 大罪人と呼ばれた少年は、特に表情を変えることもなく、ただその場に立っていた。


 そう、"立って"いただけだった。


「ぐ、ぎゃぁぁぁぁ」


 悲痛な断末魔を残して、先ほど少年を指差し罵倒していた男が消えた。


「ば、かな……こいつ何も素振りを見せずに"おろし”やがった」


 消えた男がいた場所を見つめたまま、ボスと呼ばれていた男が生唾を飲み込み呟いた。

 消えた男がいた場所の土は湿っている。

その異様な光景にボスともう1人の男は冷や汗が止まらなくなる。


「お願いです。引いてはくれないでしょうか?」


 初めて少年が、口を開いた。

 高いソプラノの声はどこか切なさを帯びている。


「ボ、ボス……ここは一旦」

「ダメだ! こいつがどんだけ化け物だろうが、オレ達は神々に見られてんだぞ」

「でもオレもう……」

「馬鹿やろうが!」


 弱音を吐いた男が少年に背を向け逃走を試みる。

 しかし数歩走ったところで足を止め、またこちらを振り返り戻ってくる。

 その姿にはもう怯えはなく、生気のない目はぎょろぎょろと左右違う動きをしていた。

 その目がぴたりと少年を捉えると、男は音もなく加速しいつの間にか少年の目の前まで迫っていた。

 そして腰に刺していた短剣を抜き少年の顔めがけて突き刺そうとした。

 

 あと数㎝進めば少年の眉間に刺さっていたであろう切先は、どうしたことかそれ以上は前に動くことができない。

 無機質に首を傾げた男の目がまたしてもぎょろぎょろと動き回り、その視線が自身の手足へ向けられた。


「水――?」


 静かに部下と少年の戦闘を見守っていたボスが呟いた。


 少年と男の間にあるただの地面から水が伸び出てきて、短剣と男の手足に巻きついていたのだ。そのせいで男は動くことができない。


「ごめんなさい。ぼくはまだ死ぬことができないんです」


 少年が謝罪を述べた瞬間、水は男を地面の中に引き摺り込んだ。

 最初に消えた男もこうやって地面に吸い込まれたのだろう。


 勝てない。


 ボスと呼ばれ部下を引き連れ生きてきた数十年。

 何度となく死にそうな場面はあったが、このような思いは二度目だった。


「……神というものは、人同士じゃ味わえない思いをさせてくれるな」


 懐からタバコを取り出して静かに火をつけた。

 肺いっぱいに吸い込んだ煙で少しだけ気分が落ち着いてくる。


「死ぬ前に一服待ってくれるなんて、随分余裕なんだな。人間1人始末することなんて朝飯前かよ?」

「なぜ、神々と約束したんです?」

「はは……あのお方達に頼まれて嫌ですなんて言える人間はもうお前くらいなもんさ。ところでお前さんはどうして1人、神と戦っているんだい?」


 この世界では人間と不思議な力を持った人ならざる異形のものたちがいた。

 人々は彼らを畏れ『神』という名で敬った。

 神は純粋な人の魂を好み、そういった人間へは代償をいただく代わりにその体に神を降ろして力を使うことを赦した。


 しかし、時代が進む中で世界は環境汚染が進み人も神も貧困に苦しんだ。

 純粋な魂は減り神々は私利私欲に溺れやすい汚い人間たちを嫌悪するようになり、とうとう争いが起きた。

 怒り狂う神々の力に人はなすすべなく敗れ去り、神が統治し新たな世界が築かれようとしていた。


 けして全ての神が人を恨んではいなかったが、より力の強い神は我が強く、優しい神は傍観するか人間の味方をし消えていった。


 もはや誰もこの強い神たちに立ち向かうことはしないだろうと世界に暗雲が立ち込めた時、1人の少年が神々の逆鱗に触れた。

 その少年は神が住まう神殿に1人で乗り込み、傷つくこともなく神殿を半壊させて逃げ出したのだ。

 乗り込んだ理由はわからないが、彼と対峙し生き残った者が言うには、彼は複数の神を自身に降ろして戦っていたのだという。


 複数の神を身体に降ろすことは禁じられていた。

 そもそも複数降ろそうとする人間の魂なんて欲にまみれており純粋ではないのだ。


 それでも、シェアしてでもこの少年と繋がりたいと神々が思うほど、少年はこの世で最も希少価値の高い純粋な魂の持ち主なのだ。


 世界を統治する神々は何とかこの少年を捕まえ一生そばに置きたいと考えた。

 しかし、少年は姿を現しては神殿を荒らし、また姿を消すという繰り返しで、中々足取りを掴むことが難しい。

 神々は大々的に少年を指名手配し、人間達に少年が投降しない限り神の怒りは鎮まらないだろうと述べ、少年を人間達の輪から外した。


 人間たちも少年を憎み、見かけたら敵意を向ける者がほとんどだった。

 また、今回のように神に頼まれ少年を狙う者も多い。

 そして人間が神をおろすことのできる少年と対等に戦おうと思うなら、捕らえるではなく命を奪うつもりで挑まないと力の差は歴然だった。

 もしその拍子に少年の命が尽きてしまったとしても、神々はその魂を囚え


 それでも少年はここまで諦めずに生き抜いてきた。


 咥えていたタバコの灰がぽとりと落ちる。

 悪行を生業としてきた男を少年は慈愛に満ちた目で見つめた。


「戦うつもりはないんです。ぼくはただ、この世界でたった1人のぼくが愛する人を探しているだけなんです」


 その人と再会することができれば、ぼくは救われる。


 多くの神を降ろした代償に身体が変化していく少年は、ただ愛する人に会いたかっただけだという。

 たかだか十数年生きただけの子が、すでに自己犠牲を払ってでも会いたいと思う人がいることに男は驚きを隠せなかった。


「それは……もしかして神の神殿を襲っているのって」

「そうです。どこかでぼくの愛する人は今も捕らえています。彼女に会うことさえできればぼくは救われるのに」


 少年は金色に爛々と光る瞳から人間味溢れる涙を流した。

 その顔にぎゅっと心臓が掴まれる思いだったが、男はもう何も言うことができなくなった。


「『探し物に会えるのなら、君は私たちのものになってくれるのかい?』」


 男が問うた。

 しかし先ほどまでの低音な男の声ではなく、まるで十人以上が同時に言葉を発したかのような不思議な声色だった。

 緩んだ口からタバコが落下し服に焦げを作ったが、そちらには目もくれない。ただまっすぐ少年を見据えている。


「会えるなら、喜んで」


 少年が男の奥に潜む何かに向けて優しく微笑んだ。


「『では、約束をしよう。女に会わせる代わりに、君は私たちのものになる』」


 約束とは神が人を従わせる縛りのようなものだ。

 これを受け入れたものは約束が完了されるまで神を裏切ることは赦されない。


「わかった。約束します」


 少年はこの神の提案に迷うことなく了承の意を示す。

 これに意識を乗っ取られた男の口がこれでもかというほど口角を上げた。


「『では、神殿へ招待しよう』」


 多数の笑い声に包まれながら少年は、目の前に現れた光に手を伸ばす。

 彼の口にも笑みが浮かんでいることに、誰も気がつくことはできなかった。


 光の先には立派な神殿が建っていた。

 柱の1つとして汚れはなく、真っ白なそれに絡む蔦も青々としている。

 この神秘的な様子に感動することはなく、少年は辺りを見渡した。


 数メートル前には多数の神々が手に入れた少年を鑑賞しに集まった。


「おお、美しい魂だ」

「外見は大分と色々な神が混ざり醜いが、魂だけは代償に差し出さずによくぞ守り抜いてくれた」

「そうだ、彼にあう建物を新調しよう。いつでも我々が覗けるように世界の中心にガラスの神殿を築こう」


 口々に少年を称賛する神には目も暮れず、少年は待ち望んでいた存在を探す。


「あの人はどこ?」

「待て待て、すぐに連れてくるよ」


 ちょうど地の底が開き、そこから豚と牛が混ざり合ったような姿の神が、漆黒に包まれた不思議な球体を台車に乗せ引きずるようにしてやって来た。

 その球体を目にした途端、少年の両目からは涙がとめどなく溢れ出た。


「ああ、ああーーそこにいたんだね」


 ふらふらと球体に近寄ろうとする少年の身体が急に空中に浮かび上がり、両手を広げるようにして固定された。


 その姿を見上げ神たちはケラケラと笑い声を上げた。


「手に入れた、手に入れたぞ」

「約束は守った。女に会わせた」

「これで君は私たちのものだ」


 確かに約束は会わせることを条件に神のものとなることだ。

 しかし愛するものを目の前に触れ合うことも許されない状況はなんと酷いことだろう。

 少年は項垂れ、今どのような表情をしているかも見ることができない。


「あの女は危険だ。すぐにまた地の底に幽閉しろ」

「御意に」


 再び大地が割れ球体を乗せた台車を運び込もうと引っ張る。


「あれ? こんなに軽かった……か」


 先ほどまでとても重く、引きずりながらやっとのことで運んできた球体が、今はとても軽いことに疑問を持ち振り返った神は、すでに球体が台車の上にないことに漸く気がついた。


「どこへ行った⁈」


 少年に夢中になっていた神達が一斉に声の方へ顔を向けた。

 そこにはただの台車が残っているだけで、漆黒の球体はどこにもない。


「ばかな、目が醒めたというのか」

「あれはまずい。一体どこへ」


「ふふ、やっと会えた。ぼくの愛しい()――」


 喜ぶ少年の声が聞こえてくる。

 神々の視線が再度少年の方へ向けられた。

 しかし彼らからは先ほどまでの恍惚とした表情はなく、その顔には"恐怖"が浮かび上がっていた。


 先ほどまで縛り付けられていたはずの少年の腕は自由の身となり、その腕にはまさに今探していた球体が大切そうに抱えられている。


「まさか、なぜ動ける」

「少年よ、それがどれほど恐ろしいものかわかっているのか?」


 幼児に諭すように優しく話しかける。

 今刺激を与えることは危険だと判断したのだ。


「わかりますよ。彼女はぼくの愛しい()だ」

「だったら、死が目を覚ますとき生命の活動も終わることは知っているのだろう?」

「ええ、それも知っています。幼少期の子守唄にもありましたし、学校では死の女神について一番はじめに習いました。彼女があなた方に封印されたこともね」

「彼女の力は強大すぎるのだ。人間ともこれだけは意見が一致した」


 そうだそうだと口々に飛ばされる言葉に、少年は悲しそうな目で球体を優しく撫でる。

 そして撫でながら語り出す、彼女との出会いを。


「ぼくがまだぼくではない頃、彼女は現れた。彼女は生命の全てを理解していたため、ぼくの運命も理解していた」


 何も見えない暗闇の中、少年は意識が朦朧としていた。

 泣くことも叫ぶこともできない。

 それは静かな時間だった。


 そんな時、姿は見えないが若い凛とした女の声が少年の身体中に響き渡った。


『あなたが私と交わるなんてまだ早いわ。どうぞこの光を離さないで、命を続けて』

『でも、これはズルではないですか? ぼくはもう』

『ズルではないわ。これは約束なの。あなたは次に私と再会するまで、あなたの人生を楽しむの。そして時が来たらまた会いましょう。その時あなたは私になって共に終わりを迎えましょう』


 姿の見えない女は、光の塊を小さな手に握らせる。

するとみるみる少年の意識は戻り、視界がクリアになった。


 少年の手を握る彼女はにこりと笑みを浮かべていた。

 漆黒の髪と瞳が光を反射し輝く。

 少年はその美しい姿に見惚れながらも、返事をする。


『約束します。大きくなったら必ずあなたを探し出してあなたと共に終わることを』

『ふふ、ゆっくりでいいのよ?』


 またね――彼女はその言葉を最後に神々達によって封印されてしまった。


「まさか、すでにお前は約束をしていたというのか」

「……そうです。彼女との約束は再会したら共に終わるということ」


 その時、球体の中より光が四方に分散し周りを照らし出す。

 ぐにゃりと球体が歪み次第に人型へと形が変化していく。


「まずい。巻き込まれる」


 1人の神が光に包まれて消えていく。

 周りの者はその様子を目撃すると一目散に遠くへ飛ぼうとするが、光に追いつかれ同じように消えていった。


 そして周りの生命が消えたあと、残されたのは少年と死の女神のみだった。


「……ゆっくりでいいって言ったじゃない」


 少年の変わってしまった耳や頬を撫でながら女神は涙声でそう言った。


「ぼくはあなたのお陰で充分楽しい人生を送りました。幸せの中、思い出したのはあなたのあたたかい笑顔だった……ぼくはあなたのことを愛してしまったんです。共にいられるのならこれ以上の幸せはありません」


 少年が女神を抱きしめると、2人の身体は光に包まれていった。


「そんなこと言われたの私初めてだわ」


 女神は少年の背に両腕をまわし抱きしめ返す。


「私を愛してくれてありがとう」

「ぼくを救ってくれてありがとう」


 光が消えるとそこには何も残らず、しかし時間が経つと朝日に照らされながら鳥が鳴き声を上げ神殿の上空を横切った。


 その鳴き声を合図に神に立ち向かおうと立ち上がった人々が鎧を纏い神殿に押しかけてきた。

 しかしそこにはもう何もない。

 けして語り継がれることはなく、少年と女神の愛の物語は、静かに静かに幕を閉じた。

最後までお読みいただきありがとうございます!


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