08
「ん……もう朝か」
初めて他人の家で寝たというのにぐっすり爆睡だった。
「……行かないで」
「安心しな、帰ったりしないから」
ちょっとカーテンを開けて外を見たかっただけだ。
長身でも中身は女だ、このまま甘えてくるもんだからギャップで揺れる。
変に童顔なのも大きかった、本人は恐らく自信がないんだろうけど。
「いい天気だ、中にいるのがもったいないくらい」
早朝のこの感じが好きだった。
ひとりで出ると拗ねるし莉子がいいとか言いだすから起きるのを待つ。
でも、終わりも近づいているから焦れったくなって叩き起こすことになった。
「――うぅ……チョップしなくてもいいのに……」
「ほら行こ、危ないし手を握っててあげるからさ」
実はこれが日課になっていることは内緒だ。
早朝に歩いているなんて言ったらお年寄りかって馬鹿にされそうだし。
いやまあその人たちを馬鹿にしたいわけではないんだけどね。
「莉子は大丈夫かな?」
またそれか……もう本格的にわからせてやらなければならない気がしてきた。
もうどこかに連れ込んでとかは面倒くさいからそのまま抱きしめる。
「い、痛い……よ」
「莉子はいいでしょ」
「もしかしたらひとりで寂しい思いを……どうしても気になっちゃうんだよ」
なんでここまで大きいのに中身は臆病のままなんだか。
うるさいからこのまま家に戻って莉子を連れてくることにした。
そうでもしないと進まない、莉子には悪いけど目の前でやらせてもらう。
「莉子っ」
「どうしたのよ?」
「ちょっと来て」
「別にいいけれど」
そんなに莉子がいなきゃ駄目か?
あたしの側にいたいとか言っておいて、結局は莉子が目的なのか?
やたらと気にかけるのも、あたしに近づくことですぐ近くにいる莉子のためなんじゃないかって思えてくる。
「千弦っ、莉子を連れてきたよっ」
「莉子!」
……なんでそんな嬉しそうな顔をする。
「莉子っ、ひとりで寂しくなかったっ?」
「ええ、寂しくなんかないわよ。瀬那の部屋は落ち着くもの、なにより……嫌な現実を直視しなくて済むから」
あたしはいま嫌な現実を直視しているわけだが。
明らかにホッとした顔をしているし気になるわけだが?
「……お姉さんに想いを伝えたりしたの?」
「できるわけないじゃない、姉には彼女がいるのだから」
「でもさ、好きなのに伝えないって苦しいよ。そうしないと前に進めないと思うんだ」
「あなたはわざわざ振られろと言いたいの?」
「だけど……このままの方が苦しいよ。振られてリセットできた方が家でも真っ直ぐに生活できるんじゃないかなって」
なんでそういうことは言えるんだ。
それだけの勇気があれば……できることだってそれなりにあるはずなのに。
「ふふ、あなたは私が瀬那の部屋家で暮らしていることが引っかかっているのね。あなたは瀬那のことが好きなのでしょう? でもそうね、あなたの言う通りかもしれないわ。私のせいで瀬那に負担をかけてしまっているのは事実だもの」
「あたしは別にいいけど?」
「甘えすぎてしまったのかもしれないわね。そのせいであなたたちが前に進めないのでしょう?」
ばれてる、すごいな莉子は。
ネガティブな千弦とは違う、優秀で美人で察しもいい女。
「莉子っ。頑張って勇気を出してお姉さんに告白して終わらせたらさっ、瀬那と一緒にいてみたらどうかな!? お似合いだと思うんだよね」
こっちは馬鹿な女だ、人を馬鹿にすることがないことだけが取り柄の人間。
あとは大きいことか、そのせいで自信がなくなるなんておかしいけど。
「ありがたいけれど……それは無理よ。あなたが好きなように、瀬那だってあなたのことを好きでいるのだから」
「でも我慢できるよっ、私といるより莉子が瀬那の横にいた方がいいもんっ。だから、ね? ほら、瀬那と一緒にさ!」
こちらの手を握って莉子に差し出そうとした手を跳ね除ける。
「え……?」
「あんたがここまで馬鹿だと思わなかった。莉子、帰るよ」
「千弦はいいの?」
「いいよそんな馬鹿、だってあたしに莉子と仲良くしてほしいんだからね」
逆にガッツリ目的通り莉子と手を繋いでやった。
驚いているかなと思ってちらと確認してみたらもう見ていなかった、帰る気満々だった。
「なにもそんなに意地悪しなくてもいいじゃない」
「知らないよ、これが千弦のしてほしいことなんだから」
「言っておくけど私にそのつもりはないわよ? 姉に告白するなんてごめんよ、千弦があそこまで言ってくれてもね」
短慮なのはわかっている。
でも、なんであそこまであからさまに躱そうとするのか、それがわからない。
あのまま馬鹿みたいに千弦を求めたところで莉子という名前が出て終わりだろう。
なんでこうなった……あれだけあからさまな態度だって取ったのになにが怖いんだよ。
「離しなさい」
「うん」
思えば、甘えてくれたことってないのでは?
先程のあれは寝ぼけていただけで、全部あたしが無理やり引き出しているようなものだ。
信用されてなかったのか……金髪だから? 身長だって低いのに笑顔が堅いから?
「早いところ話し合いをしなさいよ。本格的に終わるわよ。あの子のところにいま他の子が来たらね」
莉子はそう言って鍵を開け中に入っていった。
まるでここが莉子の家にように思えたけど、あたしもすぐに後を追ったのだった。
日曜日のお昼に依弦モードで近所を歩いてみた。
昨日、瀬那といた街中と違ってほとんどすれ違うことはなかった。
あの猫ちゃんに案内してもらって発見した川まで行く。
「はぁ……」
これで良かったんだ、私の目的通りに瀬那は動いてくれたから。
……寂しかったから依弦で歩いてみたのに駄目だったけど。
やっぱり依弦ではなく、側に瀬那がいたからあの子たちは来てくれていたのだと思う。
「落ち着くなあ」
莉子があのまま素直にお姉さんに告白するとは考えていない。
けれど、その上から新しいのを上書きしてあげれば、瀬那が頑張ってあげれば変わるはずなんだ。
このままずっと想いを抱えたところで虚しいだけだ、仲良くしているところを見て悲しいだけだ。
別れを望むことができない以上、捨てて前に進むしかない。
そういう時に必要なのが自分が大切だと考えている人間が側にいること。
捨てるのにもどうしようもなく悲しいだろうから支えてもらわなければならないわけで。
「あれ、あなたは昨日の……」
「あ、千弦だよ、木梨千弦」
話しかけてきたのは昨日の中学生の女の子だった。
今日も制服を着ているが、日曜日まで学校に行かなければならない中学とか聞いたことないけどな。
「昨日のあの人はいないんですか?」
「ああうん、いないんだよね。ちょっと待ってて」
自動販売機で飲み物を買う。
大丈夫、彼女からも見える場所だから警戒されることはないはずだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます。お金、払いますよ」
「いいよ、ちょっと付き合ってほしかったんだ……振られちゃってね」
馬鹿らしいからウィッグを取った。
私はもう依弦にもなりきれない、いつもの弱い千弦のまんまだから。
「印象変わる?」
「そうですね」
そっかと口にして川面を見つめた。
キラキラ光ってお昼はお昼で綺麗な光景。
「あのさ、なんで私に話しかけてきたの?」
「……彼氏がいないことを馬鹿にされて、あなたは優しそうでしたので」
それは限りなく危ないとしか言いようがない。見た目だけいい人なんて五万といる。自分のことを棚に上げるつもりはないが、私で良かったのではないだろうか。
ただ、周りの意見に流されることはない。彼氏がいないからなんだよ、付き合ってキスとかしてそっからすぐに別れる人間よりマシだ。考えてるんだ、そこは馬鹿にされるところではない。
「それはごめんね、騙したいわけじゃなかったんだよ。私はただ男装をしてさ、いつもの自分を忘れて過ごしたかったの。自分は駄目駄目だから……そういうのに縋ってないと無理でさ。嫌なこととかもこれをすると捨てられるから気に入っててね」
今日の私は騙そうとしていたけどさ。
誰かに求めてほしかった、なんてね……自分から手放しておいてなに言ってんだって話だけど。
「あのね、周りが馬鹿にしてきたって無視でいいんだよ! 寧ろ、それで悪口を言ってくる方がおかしいんだから! 多分君に比べたら私なんて滅茶苦茶言われてるよ? でも、こんな駄目な私でも普通に元気に楽しく生きられてる。君もさ、なんか趣味とかを見つけたらいいんじゃない? 嫌なことがあった時に溜め続けちゃうと精神が参っちゃうからね。それかこういうところであー!! って叫んでみたらスッキリするかもよ? 人があんまり来るところじゃないし、それにお昼なら多少はね」
……偉そうに、別に参考になるようなことも言ってないけどさ。
馬鹿にされることぐらいこれからもたくさんあるよ。
けど、それを気にしてビクビクとしてしまうのは非常にもったいない。
いいんだ、そんな人たちは放っておけば。
必ず自分を理解してくれる人が現れる、同じように悪口を言ったりしなければ可能性はより増すというもの。それにこの子は可愛いしまだ中学生、きっかけなんかいくらでもできるさ。
「焦らなくていいんだよ」
「でも……馬鹿にされたくなくて」
「あっ、じゃあ私が彼氏のフリをしてあげよっか?」
これなら誰も傷つかないいい作戦だ。
それにこの子のためになにかができることが嬉しい。
私が必要とされているということなんだからね。
「えっ、い、いいんですか?」
「うんっ、フリだけどね」
「……いまから友達を呼びますっ」
って、友達だったのかよ……それってただの冗談なんじゃないの?
とにかく、慌ててウィッグを装着し直す。
テンパってしまったけど、手鏡で確認してみてもいつもの依弦だった。
「来たよ」
「か、彼氏っ」
「あれは冗談だったんだけどなあ……でもごめんね、馬鹿にしているように聞こえちゃったんだよね?」
友達は美人系だな。
莉子と瀬那みたい、まあ瀬那は可愛いというかちょっと怖いけど。
「彼氏、できたからっ」
「……大丈夫なの? ちゃんとあなたのことを考えてくれる人なの? 危なくない? 勢いだけで決めると怖い目に遭っちゃうかもしれないからさ」
普通に優しい子なんだ。
この子がちょっと重く捉えすぎてしまっただけかもしれないし、あの子の冗談が度が過ぎてしまったのかもしれない。見ていないからわからないけど、ちょっとすれ違いになっちゃっただけなんだろうな。
「あの、あなたは何歳ですか?」
「16歳だよ」
「……ということは高校2年生ですか。いつ出会ったんですか?」
ど、どうしたものか……昨日、なんて答えたら絶対に警戒される。
あ、いいこと思いついた、逆にそれを利用して守ってもらえばいいんだ。
「昨日なんだ」
「昨日っ!?」
「僕が必死に口説いていてね、悪いんだけど君も協力してくれないかい?」
……やばいっ、この言い方だと通報されかねないぞっ。
そうしたら依弦で街中を歩けなくなるっ、それは困る!
「そ、そんなことできませんよ! えっちゃんっ、危ないからこっちに来て!」
「……しょうがないか。ほら、行きなよ」
固まっていたままのえっちゃんの背中を優しく押して距離を作った。
「ごめんね、声をかけてしまって」
「あ……あのっ」
「えっちゃん行こっ」
もし家に帰ってから親に情報がいって学校にもいったら不審者情報が流れる。
そうしたらお昼にすることはもうできなくなるし、夜に出歩いているのだって女子中学生を狙うためだって邪推されかねない。自殺行為だったな……ちょっと考えなしすぎた。
「はぁ……」
えっちゃんがいくら違うと言ってくれても無駄だろう。
あの友達の勢いは止められない、ああ……最後と考えてゆっくりしていくしかないか。
「あのっ」
「びゃあ!? ち、違うっ、私はそういうつもりでしたわけ……ああ、えっちゃんか」
いまの完全に犯罪をした後の犯人の言い訳だよなあ……。
どんな評価だったのかはわからないけど、少なくともこれでマイナスになっただろうなと苦笑。
「ありがとうございました!」
「いや、力になれなくてごめんねっ、本当に……」
年上なのにさあ……瀬那が見ていたら絶対に馬鹿って言われだろう。
「……全然、そんなことないですっ。私なんかにも優しくしてくれて嬉しかったですっ」
「私なんか、なんて言っちゃ駄目だよ。私は全然そんなこと思わないよ、いいお友達がいていいじゃん。ああいう子は大切にしないとね」
「はいっ。それであの……えっと」
「木梨千弦、漢字はこうだよ」
いつでもメモできるようにと所持しているマジックペンで自分の腕に書いてえっちゃんに見せる。
「き、木梨さんっ、さっきのこと真剣に考えて――」
「駄目だよ」
「「え……?」」
ポケットに両手を突っ込んで少しだけ雰囲気の違う瀬那がそこに立っていた。
ここにいるということは私の思いはやはり届かなかったことになる。
「そいつは私のだから、例えあんたにでもあげられない」
「そう……ですよね。とにかく、今日はありがとうございました! 失礼します!」
ああ、えっちゃんは行ってしまったぞ。
残されたのは私だけ、身体能力的に逃げることも叶わない。
「やっと見つけた」
彼女は決して、こちらから視線を外すことはなかった。