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「ふぅん」

 ノノはやたら甲高い声で喚く精霊に驚きもしなかった。前からこの教室に足を運んでいたのだ。イタズラの正体が精霊だなんてとっくに目星がついていた。そうでなければ用意周到にわざわざ虫取り網を持ってやってきてなかっただろう。


「虫取り網もってやってきてなんなんだお前! 人の聖気に紛れてずるいぞお前!」

「はいはい、そうですね。それで? お願いを叶えてくれるんじゃないの?」

 聖気とは人徳のオーラらしい。リーちゃんに聖気があって私に無いのだと思っているなら、きっとそのセンサーが壊れているに違いない。戯言は聞き流すに限るものだ。

 指先で高い声の持ち主を突こうとしながら本題のことをノノは尋ねた。それを必死で避けている精霊は見るからに顔が赤くなっていった。


 常識だが、精霊とは元々プライドが高い生き物だ。人間ごときに姿を見せてたまるかというスタンプが常であり、それゆえノノにも姿を見せなかったのだ。

 ノノのような自分への敬意がない人間にこのようなぞんざいな扱いをされたのだから、例の精霊はなおさら腹を立てたのだ。網の中で腕を組んで虫の翅のようなものを盛んに動かし音を立て威嚇をする。


「何されたってお前の願いは叶えない。叶えてやるもんか」

「ああ、そう。それならそれでいいや」


 この生返事にリーちゃんと精霊は違和感を持った。ノノは願いを叶えて欲しくて精霊を捕まえたのだと思い込んでいたからだ。実際、過去にはそういう邪な考えで精霊狩りが流行った時代があったし、間違いなくノノもそういう類の人間だと見えたのだろう。

 実はノノが清廉潔白、無私無欲の人間である、ということではない。言うまでもなくノノだって邪心は持っている。むしろ頭のてっぺんからつま先まで邪心まみれである。他のどんな学生よりも私心、欲望をはっきりと自覚しているのだ。それでも彼女が他の人間と違ったところは、精霊のようなか弱い小動物に自分の願いは叶えられるわけがないとタカを括っていたことである。もしこれを言えばより精霊を怒らせるのだが、言う必要がなかったため彼女は口にしなかった。

 もとより精霊の力なんぞに期待していなかった。精霊は目的ではなく手段なのだ。ノノが目的の国を説いた人間とは反りが合わないことは明白である。


「タチバナさん、かわいそうだしもう逃してあげなよ」

 リーちゃんは見た目通りの性格の良さか、精霊に同情しそう言った。ノノは精霊が可哀想と言われるのも理解できたが、それと同時に「こいつは本当に心優しい奴なんだろう」と思い、尽く呆れた。残念ながら彼の思慮深いお言葉はノノの心には1ミリも響かなかったということである。


 自己顕示欲のために捕まえた精霊にもう用は済んだはずだったが、今のノノは精霊に対する好奇心でいっぱいだった。好奇心は猫をも殺すと言うが、それならばノノが死ぬのは一体いつになるのか。精霊は自らを逃す気のなさそうな人間に対して気が遠くなった。


「精霊さん、貴方リーちゃんの願いなら叶えるって言ったよね?」

「もちろん。そっちのやつはお前と違って素直そうで邪気がないからね」


あっそ、と言うと共にノノは彼の反応を伺った。


「どうすんのリーちゃん」

「えー、僕? どうしよっかな」

「思いつかなかったら私の願いを言ってくれてもいいよ」


 願いごと一つ決めるのも煮えきらないようなリーちゃんを揶揄うが当たり前に無視される。彼はこんな小生物の話を真面目に聞いてお願いを何にするのか真剣に考えているようだった。

 しかしノノはそのことが気に食わず、えいっとリーちゃんの脛を軽く蹴った。その瞬間ギロッと爬虫類のようにリーちゃんがノノを見たものだから、彼の行動にしては珍しくって、彼女は驚いて目を逸らした。すると彼はたちまち何か名案を思いついたように目を見開ききらめかせ握った手をぽんっともう片方の開いた手に当てた。


「じゃあ、タチバナさんから解放されることで」


 願いを言いながらリーちゃんはしてやったような目でノノ見る。ノノはその様子を見て特に傷つくこともなく、こんな心優しい奴でも皮肉は言えるものなのかと感心していた。優柔不断で断れない癖に、本人を前に解放されたいアピールはできるのだ。肝がすわってんのかすわってないのかよく分からない。


 精霊は少し腕を組んで思案した上で

「いいよ」

と得意げに笑った。どうやらこの精霊もノノをよく思っていないのは同じようで、何かとても満足げである。


「えっ本当にいいの? そんなことできるの?」

 リーちゃんは目をまん丸にして問いた。彼は半分冗談で言っただけで、本当にそうすることはできないと思っていたのだ。

 精霊は質問には何も答えず、ブツブツと呪文らしきものを呟き始めた。するとどういうわけかノノの足元にボフンッと、もくもく出た煙と共に一冊の本が現れた。


 ノノが本を拾い上げる。黒い背表紙、表紙、裏表紙には銀色の装飾以外の何も、それこそ文字すらもない本だ。厚さは親指ほどで、大きさは子供が顔を十分に隠せるくらい。彼女が本の中を確認しようとする前に精霊が口を開いた。


「君にこれをあげるよ」

「私に? 何の本なの。これ」

「私立カーミエ学園の『婚約破棄予定表』。今年この学校で行われる予定の婚約破棄はその本に載ってる。開いてみて」


 精霊が何か頓狂なことを言っているのは分かっていたが、ノノは素直に指示に従った。彼女は意外にもマニュアルはある程度読み、チュートリアルは飛ばさないタイプである。


「目次があって年間予定表があるでしょ。その本は今年の分だから既に起きたことも載ってるはず。確認しなよ」


 本の内容は精霊の言う通りだった。年間予定表の最初の方を確認してみれば、私のスピーチを邪魔したジョン=ブリート=カミユーとイザベラ=ゾフィ=サクソン

の名前が書かれていた。


「それでその後のページに、それぞれの婚約破棄についての詳細がある。いつ、どこで、どんな状況で、誰が婚約破棄され、誰がされるのか。その人たちはどんな人物なのか客観的情報が書かれてるよ。基本的にその人たちの顔写真もついてる。例外もあるけどね。」


 例の2人のページを開けば、確かにあの人たちの顔写真があった。内容も前半部分はこの前起きた通りである。しかしノノが2人に構わずスピーチを始めたことは少しも書かれていなかった。予定外のことだったのだろうか。


「それにしても、リーちゃんは何も貰えないんだね。精霊の力でぱぁっと私がリーちゃんに近づけないようにすればいいのに」

「人間にはない特別な力はあっても精霊は全知全能の神ではないよ。君は知らないだろうけどね」

「うん、初めて知った。精霊も不便だね」


 リーちゃんはノノが毅然と精霊に文句を言っている状況にノノと目を合わせられないでいた。「タチバナさんから解放されること」を願ったのに、ノノ本人は自分には執着せずに早く願いを叶えてやれと言わんばかりなのだから、気まずいことこの上ない。


 ノノは自分の方を全く見ようともしないリーちゃんの様子に気づいて横目で見る。人の心情を察することは苦手ではない。普段は察しても同情しないだけで。だから彼を見ても、変に性格の良いやつは自分の行ったことを自分の良心が否定してしまって大変だなぁとぼんやりと思うだけだった。


「とにかく、これがあると私は貴方から離れるの? リーちゃん良かったね」

「これでどう僕が君から解放されるのさ」


 リーちゃんは揶揄われることでやっとノノと目を合わせることができた。精霊は何やら満足げである。喚いたり怒ったり地震に溢れていたり、感情も動きもやたら忙しいやつだ。


「おっかないそこの人間は、確か婚約破棄が嫌いなんでしょ?」

「別に。私の前で馬鹿らしく目立ったことされると虫唾が走るだけ」

「あっそう。なんにせよ、その本を読んだあんたはイベントを潰すのに忙しくなって君に構う暇もなくなる。どう? いいと思わない?」


 精霊はノノの発言を流して、リーちゃんに説明した。ノノみたいなのは構うだけ無駄なのだ。


「えぇ、これでそうなるのかなぁ? うーん」

「安心していいよ。私、やることできたから少なくとも今月はリーちゃんに用は無い。願いが叶って良かったね」


 納得していないリーちゃんとノノに虐められて怒っていたことは秒で忘れているような精霊を背に、ノノは教室を出て行った。左手には虫取り網、右手には表紙に文字の無い本。これで麦わら帽子を被っていたらさぞ図鑑片手に虫取りに行く人のようで愉快だっただろう。

 ノノとすれ違った人達は彼女のトンチキな格好を見てやはり彼女に道を開けるのであった。


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