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ノノは二階の廊下ど真ん中を今日も今日とてクソ偉そうに歩いていた。なぜか虫取り網を手に持って。
入学式の件から1週間立った。喜ばしいことにノノの名前はまあまあ広まり、例のお二人には目をつけられている。後者はとびきり良いことでもないが、些細なことだしどちらかといえば悪くないだろう。直近の目標は悪評でも構わないから名前を知ってもらうことなのだから。
もちろん毎年変な生徒がある程度いるのが学校という物だ。ちょっと目立っただけの新入生の名前なぞ覚えていない人も上級生の中には多いが、同級生の間では「ノノっていうなんだかヤバい奴がいる」と噂される程度には知られているのである。噂の内容はやはり良いものではないため、廊下を歩けば周りの生徒からの引いたような視線を貰っているが、素知らぬ顔をしとけばいい。
ノノの歩き方には道を譲ったり、人がいるから避けたりしようという意思が微塵もない。性格はそんなに捻くれてはいないのだが、良くも悪くもまっすぐなのであった。
ノノは自身が1年生であるのを忍ぶこともしないで2年生の教室にずかずかと入っていった。その教室にいた先客は何やら窓から外をじっと見ていたようだ。彼女も同じ方向に目をやると、後者横に面する広い中庭で、数人の生徒がある女子生徒の周りに虫のように集ってるのを見てしまった。
あの見事な(うざいほど明るい)金髪の巻毛のせいで、嫌でもその女子生徒が誰で何をやっているのか分かる。
「またやってるの? マリエル=J=ガロワとそのお友達。今回は大衆の前じゃないから私は構わないけど、どうしてこんなにめんどくさそうなことを起こすかなぁ」
ノノは先客に向かって肩を大袈裟に竦めてみせた。
「そういうものなんじゃない。ねぇ僕もう帰っていい? ずっとここにいるのも飽きるんだよね」
目立たないダークブラウンの髪の地味顔生徒、リーちゃんー本名はもっと長かったのであだ名をつけたーはノノの言葉には興味のかけらも見せずに淡々と文句を垂れた。
「だめ。私は来たばっかだしあと30分待って。怪奇現象の正体を突き止めないと」
窓越しにリーちゃんの涙袋に力が入ったのが見えた。この人、嫌なことあると直ぐに顔に出すんだよなとノノは思った。彼は何やら何か言いたげにしているので、急かすことなく、「言いたいことがあるならさっさと言え」という顔で彼の言葉を待った。
「1人でやりなよ」
リーちゃんが窓から目を離してぬっとこちらを振り向いてつぶやいた。声があまりにも小さいので独り言として無視するところだった。振り向いた拍子に乱れた茶色い髪を彼は指先で直す。つっけんどんとした言葉も腹立たしいのに、そのヤケに気障ったらしい動きが余計にノノを不機嫌にさせた。
「はぁ。怪奇現象がなんでか私1人だと起きてくれないから無理だって、前からからなんども言ってるでしょ」
傍若無人な彼女に対して彼は、「わかってたよ」と呟くだけで、その声には怒りの色も悲しみの色も見えなかった。
ノノの言う怪奇現象というのは、「放課後に2年B組で過ごしていると、どこからともなく飴が落ちてきて願っていることが叶う」という誰も信じなさそうな胡散臭くて小物感溢れるどうでもいいものだった。
それでも彼女は真相を知るべく3日続けて教室に通った。でも何も現れなかったのだ。何も無いなら無いで諦めればいいものを、今も大真面目に(人を使ってまでして)張り込み調査をするのには理由があった。怪奇現象の正体を突き止めてあわよくば名探偵として名を広めてみようじゃないかという、大したことのない理由だ。彼女が学園でとる行動の目的はいつも同じである。
「どうして僕がこんなことしないといけないんだ……」
ノノが天井に何か仕掛けがないか虫取り網で突いて確認している間にもリーちゃんは何も手伝わず小言を言うものなので、ノノは反論することにした。
「リーちゃんが廊下にばらまいたプリント類を私がぜ、ん、い、で、拾い集めたら、あんたが勝手に感謝してなんでもやるって言ったんでしょ。私は遠慮したのにしつこかったあんたが悪いわ」
「そうだけど……タチバナさんがこんなにも僕の善意を利用する人だとは思ってなかったし」
「恨むなら自分の言葉と断りきれないその性格を恨みなさいよ」
彼女がこれほどまで小馬鹿にするような口調でリーちゃんと話すのには、元々の性格もあるが成果が出ないせいで不機嫌になっていたせいでもあった。
「いてっ」
教室全体を見渡していると、リーちゃんの頭上に指先ほどの小さくて桃色の何かが当たった。ノノは瞬時に彼の頭上の辺りで小さな気配を察知し、すかさず持っていた虫取り網を気配の方へ振った。見えないもの相手に網を振って捕まえられるのか、とも思うが、いつだって彼女の完璧主義とセンスが功を成して上手くいくことは彼女が誰よりも知っていた。
網の中で何か見えないものが動いているのがわかる。そいつはどうにか逃げようと試行錯誤しているようだが、無駄な足掻きで、ノノはついに怪奇現象をとらえてやったぞとほくそ笑む。
リーちゃんがノノの野生的で野蛮な行動に引いている中、ノノはそいつが姿を見せないのに気が立ってきて、「踏みつけてやろうか」と足を上げて脅し始める。情けないような高い子どもの声で「絶対やめてっ!」と叫ぶのが聞こえた。そしてそいつは観念して、ようやくノノに姿を見せたのだ。
りんご一個分の背丈、背中から伸びる半透明の羽、子供みたいだが知能はまあまあ、噂によると口達者だという、人間のようで人間でない怪奇現象の正体。つまりそれは精霊だった。