不死工事者は怖がらない
科学の力でお化けが倒せるようになっても、怖いものは怖いと男は思った。
そこはオルガンのパイプみたいな管が入り組み、金属の壁が目立つ狭い通路だ。
明かりは赤く点灯された非常灯だけが足元を照らし。
光の届かない場所は、バクテリアのように這いずる闇がはびこる暗がりだ。
「ちくしょう、ちくしょう。どいつもこいつも役立たずめ!」
金属の狭い通路の中、貧血で青ざめたような顔をしている男が、声が響かぬ程度に悪態をつきつつ、歩いていた。
男の名前は、ブルー。
いつも病弱で細い身体が青く透けているから、そう呼ばれている。
「警備会社の奴らめ……。守るなら、しっかりと守れよ」
ブルーは先ほどまで、ハンターとして警備会社の連中とキャラバンを組んで探索しているところだった。
ハンターと言うのは、自分たちの住んでいる区画から他の区画に繋がるという異次元の扉であるホールを通って、物資や奇妙な品を持ち帰る探索者のことだ。
ハンターとして成功さえすれば、巨万の富も夢ではない。
だがその代わりに、危険は多い。
元々ブルーの住んでいた区画と言うのは四方を完全に閉じた場所で、右を見ても左を見ても、上を見ても下を見ても、壁壁壁。
だと言うのに人間には何故か、どこか見たことのない場所に行きたいという願望があるようで、ブルーにも少しはその気があった。
だから、ハンターとして志願したのだ。
それに加えてカードの賭けで負けた借金もある。
つまり渡りに船と言うワケだ。
少しのスリルと交換に大きな夢へと旅立てば、このありさまだ。
「くそったれめ」
ブルーはついさっき、警備会社の警備員達がアンデッドという区画の化け物と戦闘になり、逃げてきたのだ。
警備員達は銃で武装しているけれども、ブルーの装備はナットとコルクに空気穴をあけた瓶詰のネズミ、そしてL字型をした2本のダウジングロッドだけだ。
こんな装備で化け物となんて、戦えるはずがない。
ブルーは警備員が戦闘している最中、あまりにも混乱した戦いに巻き込まれ、アンデッドと警備員がもみくちゃになる中を逃げてきた。
警備員ならもっと素人を守ってくれるかと思っていれば、そんな気の利かせ方は少しもなかったのだ。
それどころかブルーは自慢の一張羅を銃弾で風穴を開けられて、憤慨していた。
身体に撃ち込まれなかっただけ幸運とはいえ、こいつは災難に他ならない。
帰ったら、また服を新調する金がかかる。
「ちくしょうちくしょう!」
ブルーは小声文句を言いながら、片手でポケットの中のナットを握る。
小銭のようにジャラジャラとさせたそれを、ブルーは進行方向に投げた。
ナットは弧を描いて飛んでいき、床のパイプで跳ねて転がった。
「よし」
何をしているかと言えば、道の安全を確保しているのだ。
ここは見知らぬ区画、もしかしたらアノーマリーがあるかもしれない。
アノーマリーとは、超常現象の類だ。
しかも、そいつは攻撃的ときたものだ。
目に見えないくせに近づいた途端、人間が火だるまになったり、あるいは通過した後に肉が膨れ上がって団子状の肉塊に変化した奴もいた。
普通は街に固定されたノイズキャッチャーが周囲を計測して、アノーマリーやアンデッドの発生条件を報せてくれる。
けれども、今は携帯型のノイズキャッチャーもなく、アンデッドに対応するスペシャリストもいないのだ。
ブルーはその事実に気付いて、身を細かく震わせた。
とはいえど、このまま帰るワケにはいかない。
帰ったら負けた賭け分を徴収しに来るヤクザに見つかってしまう。
その時に、出せる金がなければどうなるか分からない。
良くて薬の実験台、それかお上に認められていない別のホールに入れられるかもしれない。
しかも、今度は装備もない状態でだ。
「死ぬわけにはいかねえ。だけど金目の物がなければ、同じだ」
ブルーはナットを投げて前の地面を、それに瓶詰のネズミが異常を感知しないかを見比べる。
慎重にどちらも安全と確認すると、初めて前進した。
「こんな調子じゃ、いつまでかかるか……」
ブルーがそんな泣き言を言っていると、不意に腰のあたりに異常を感じた。
それは微弱な振動。
どうやら、腰に結わえたダウジングロッドが反応しているようだ。
ブルーは慌ててダウジングロッドを握り、前に掲げる。
こいつは古道具屋のばばあがおすすめした、怪しい物品の1つだ。
もしやオブジェクトと呼ばれる奇妙な珍品かと思ったが、値段的にはただの鉄の棒らしい。
ただばばあによれば、ダウジングロッドの反応する方向に宝物が眠っているというのだ。
「お、おお!?」
ブルーはナットやネズミのことを忘れ、ダウジングロッドが揺れる方向へ急いだ。
ダウジングロッドのより振れる方向へ、より反応のある場所へ。
ブルーがそうして進むと、ついにダウジングロッドが両手の中で開いたのだ。
「お?」
ブルーが周辺を見回すと、汚いパイプとパイプの隙間に頭部ほどの大きな金属製の箱を見つけた。
箱は6面体で、1方面だけ腕が通るほどの穴が開いていた。
ブルーは箱に高価な物が入っていると思い、穴から中を覗き込んだ。
しかし、中は暗い。
とても底が見えそうではなかった。
ブルーは試しに箱を揺すってみても、音はない。
更に持っている箱の重さは、中身が空洞であるかのように軽いのだ。
「こいつは、外れだな」
ブルーはそう思いつつも、紙切れか何かがないかと期待して、穴の中に手を突っ込んだ。
中は思ったよりも深い。
指先を伸ばしても底の面に辿り着かず、どんどんと腕を中へと入れていく。
そうしていると、ついに自分の肩まで箱の中に入れられることに気付いたのだ。
「そ、底無しか!」
ブルーは驚いて腕を抜き、無事かどうか確認する。
じっくり見たところ、相も変わらずあるできものがあるだけで、腕に欠けた部分はなかった。
ブルーは不思議な箱を目の前にして、ひとつ心当たりを思い出した。
「こいつがオブジェクトってやつなのか」
本物は見たことがないけれども、オブジェクトは富裕層の好事家が喉から手が出るほど手に入れたがっている品だそうだ。
その額は貧困の俺から見れば目が飛び出るほどの高額で、オブジェクトたった1個で家が1つ建つらしい。
これならば、借金などあっという間に返せてしまう。
ブルーはオブジェクトの発見と金持ちの夢が重なり、舞い上がった。
その場所はまだ安全地帯でもないのに、ステップを踏んでくるくると踊り始めたのだ。
「こいつはいい! 俺の人生の最良の日だぜ!」
ブルーはひとしきり踊って満足すると、自分の背負いカバンの中にオブジェクトを押し込む。
いや、今のこいつは<手の届かない空箱>というオブジェクトだ。
ブルーがそう名付けたのだ。
ブルーがそうしている間に、またしても腰のダウジングロッドが揺れる。
今度は先ほどと比べようもない、大きな震えだ。
「まだ他にもあるのか!?」
ブルーは有頂天になりながら、カバンを背負ってダウジングロッドの振れる方向へと急ぐ。
前以外は見ず、暗い足元など構わず、駆けるようにしてだ。
そんな調子では、すぐに転ぶのも仕方のないことだった。
「いてっ!」
ブルーは何かに蹴り躓き、前のめりになって転んでしまう。
その拍子にダウジングロッドは前方の彼方に飛んで見えなくなってしまった。
「ああ! 俺の打ち出の小づちが!」
ブルーは急いでダウジングロッドを探そうとするも、そこは非常灯の灯りもない。
考えたブルーは少し悩んでライトの存在を思い出し、手に持って点灯した。
「これで――」
ブルーがダウジングロッドを探そうとしたところ、足元に落ちていたそれを発見した。
それは、溺死体のように膨れ上がった人間の亡骸だった。
「ひぇっ!」
死体は装備から見て、警備員のものだ。
服は山のように盛り上がった肉に破られ、ゴーグルは内側からの圧力によってガラスが割れている。
これはただの死に方ではない。
ブルーはその時やっと、ここが地獄のような危険地帯であることを思い出した。
「ひっ――」
ブルーが焦ってライトで見回すと、異常を発見した。
異常とは空間の一部を覆う透明なもやだ。
目にははっきりと視えない存在が、ブルーの目の前にいるのだ。
ブルーは驚愕で冷えあがりながら、事前講習で教わった内容を思い出す。
講習によれば、アンデッドのうち実体のないものはスピリットと呼び、スピリットには実弾やレーザーによる攻撃は受け付けない。
このスピリットを倒すには、特殊な職業の連中が必要なのだ。
ブルーは恐怖によって砕けた足腰でもがくも、全く動けない。
これでは殺されるのを待つだけだ。
ブルーがすくみ上っている間も、輪郭のおぼろげなスピリットが動き出す。
空間の歪みから、おそらくはこちらに近づいているのだろう。
ブルーはついに観念して、自分の死を待とうとしていた。
「ネズミを投げろ!」
そんなブルーの耳に、神の声が届いた。
ブルーは電光石火の速さでネズミ入りの瓶を掴み、透明なスピリットがいる場所らしきところへ投げた。
すると瓶詰は真っすぐとんだかと思うと、不自然に空中で止まった。
止まったかと思えば、次はネズミに変化が現れる。
なんとネズミの肉体が泡立つように膨れ上がり、瓶詰のガラスに血を撫でながら膨張し始めたのだ。
かわいそうなネズミはそのまま瓶詰の中で破裂して、真っ赤な瓶を1つ作り上げたのだった。
「<膨れ上がったゴースト>か、離れてろ!」
ブルーの視線の先でライトが光ったかと思えば、青白い光が投射される。
それはノイズキャッチャーと言われる計器の<姿現し>という機能だ。
ノイズキャッチャーの光を受け、赤い瓶詰の周囲の空間が青く染められる。
次の瞬間、ブルーの目の前に腹の膨れ上がった青い雲のような物体が姿を現した。
ノイズキャッチャーの光が姿を照らし出したのは<膨れ上がったゴースト>だけではない。
光を投射した人物も姿をブルーの前に表した。
その人物は少年だった。
歳の頃は10代半ばだろうか、とても凛々しく意思の強い顔をしている。
少年は右手に黒い手袋をはめていた。
その黒い手袋は事前講習で習った、ある特殊な技能の職人が持つ手袋に似ていた。
少年が手袋を付けた手を前に押し当てたかと思えば、空間に変化が現れる。
急に空中から<膨れ上がったゴースト>と同じ青い色をした巨大な手の平が現れたのだ。
その青い手は人間の手の何倍もあり、どこにも繋がっていないのに少年の手の動きと同じように動く。
そして、青い手はゆっくりと<膨れ上がったゴースト>を握りしめたのだ。
「捕獲、からの圧滅!」
青い手は<膨れ上がったゴースト>掴むと、握りつぶすように圧迫し始める。
ただし<膨れ上がったゴースト>も抵抗する。
青い自分の身体を風船のように膨らませ、拘束を解こうとしているのだ。
「こいつの威力じゃ不十分か……」
少年は何か打開策がないかと周囲を見回すと、ブルーの視線とばちこり合った。
「そこのおっさん! 自警団の近くに白くて丸いものが落ちてるはずだ。そいつのピンを抜いて、こいつに投げつけろ」
ブルーは突然指名されたことに驚いた。
本来ならこのまま少年に任せてトンズラしたいところだが、今は足腰が動かない。
仕方なしに、ブルーは身体を引きずって触りたくもない死体をまさぐった。
「――あった!」
ブルーのなけなしの勇気のおかげで、白くてまるい物体が見つかった。
それはブルーの知る限り、グレネードというやつだ。
「南無三!」
ブルーはグレネードなど扱ったこともなければ、触ったこともない。
それでも今は他に打つ手はなく、ピンを外されたグレネードははブルーの腕によって<膨れ上がったゴースト>に向かって投げられた。
投擲されたグレネードは、てんてんと地面を弾んだ後、<膨れ上がったゴースト>足元で止まった。
瞬間、白い閃光。
グレネードは破裂し、<膨れ上がったゴースト>の真下で白い粉がまき散らされた。
<膨れ上がったゴースト>は白い粉を浴びると、身もだえして勢いがなくなった。
これは効果があったようだ。
「圧滅!」
少年は<膨れ上がったゴースト>の力が弱まったのを確認して、更に力を籠める。
力は空中に浮かぶ青い手にも伝達したのか、<膨れ上がったゴースト>を増々握りしめる。
最後は<膨れ上がったゴースト>が豚のように野太い声で悲鳴を上げたかと思うと、完全に握りつぶされた。
<膨れ上がったゴースト>の青い影は飛散し、空中に消えていく。
ブルーはぽかんと消えていくスピリットを見ていると、近くにカツンッと固いものが落ちたような音を聞いた。
ブルーが何気なく拾い上げると、それは白い結晶のようなものだった。
覗いていると、まるで宝石みたいで吸い込まれてしまいそうだ。
「おっさん、それ俺のだから返してくれない」
ライトが近づけられたかと思うと、近くに少年が立っていた。
少年の顔はブルーが白い結晶を盗ったことにお怒りのようだった。
「ぬ、盗んじゃいないよ。ほら」
ブルーはごまかしながら、少年に白い結晶を返したのであった。
「おっさん、迷子なのか?」
「ま、迷子なわけないだろ。俺は別動隊として動いていたんだ」
「あっそ。じゃあ、俺は本隊に戻るけど、おっさんはどうする?」
「ほ、本当か!? なら仕方ない。俺も戻るとしよう」
ブルーは自分の幸運を祝い、背を向けて歩き出した少年の後を追った。
「そういや、名前を聞いていなかったな。俺はブルーだ。坊主はなんて名前だ?」
ブルーがなんとなく名前を聞くと、少年は応えた。
「俺はレッド。おっさんが青ざめた男なら、俺は赤毛ってところだな」
ブルーのライトに、少年の赤茶けたくせ毛が映ったのであった。
この世には不思議なこと、不可解なことがまだたくさんある。
区画を治める企業や政府は、その一端をやっと掴み、怪異を呼称した。
怪異の名前はアンデッド、実体のあるものはクリーチャーと言い、実体のない物はスピリットと呼ぶ。
クリーチャーは銃やレーザーで倒せても、スピリットのようなものは武器では倒せない。
そこで企業や政府はテクノロジーを結集して、スピリットを掴む怪異の腕を作り上げた。
怪異の腕の名前は<ゴースト腕>。
そしてゴースト腕を操り、スピリットを中心にアンデッドの対処を専門とする職業がある。
その職業の名前は<不死工事者>という。
某アライさんマンションに触発されて作った世界観の、短編のお話。
いまいちしっくりとこないけど、オカルトパンクという響きは気に入っているので、何とか長編と言う形にしたい。
まだまだ実力が伴いませんが、頑張ります。