トゥルーエンドとの分かれ道
あれ?
いや、待て、おかしい。
俺はなぜ刀を手にしている?
なぜ笑いながら鞘から引き抜いた?
『まずい! 自我をしっかり持て! ヴィンセント!』
「…………」
の——呑まれた?
いつの間に?
今までのような気分の悪さやモヤモヤしたものなどほとんど感じなかったぞ。
それどころか体が軽い。
自分の望むように動く。
プリシラの声が……煩わしいとすら思う。
彼女が……クレースが、この国の為にどれほど苦心してきたか。
その国を我欲の為に踏み躙ろうとする者たちを、どうして庇う?
「メロティス、お前は一つ誤っている」
「…………っ」
「残念ながら俺はレオよりも、クレイよりも強い。お前の『魅了』も『暗示』も闇の魔力を持つ俺には通用しないからだ。一人で接触してくるべきではなかったな?」
「……そ、それだけで、わ、わたくしが怯むと思って? わたくしにはまだ、クレイの両親という切り札が……」
「? お前がいなくなればクレイの両親も元に戻るだろう? まあ、俺とクレイは闇魔法が使えるから、お前がいなくなっても洗脳を解くのになんら問題はないし……誰も困らない。むしろ……」
「……ま……待て……待って。レオハールがどうなってもいいの? 国王や、ルティナ王妃も……みんなわたくしの指示一つで自害す——」
「指示? こんな状況でどうやって?」
「…………」
足は床に張り付いているだろう。
使ったのは鳥の獣人たち相手にも使った『薄氷』。
床だけでなく壁、扉も『薄氷』に覆われている。
こんな狭い部屋ならば逃げ場はない。
「ま……待って、待ってオズワルド……わたくしは……!」
「貴女はちょっと黙っていてください。そのままその望みを持ち続けるなら貴女も俺の敵だ」
「……!」
ユリフィエ様に腕の裾を掴まれる。
それを、振り払った。
俺を王にするなんて、この国を滅ぼすのと同じ事。
自分でそのくらいは判断出来る。
俺が欲しいのは……国じゃない。
お嬢様の幸せな未来……と——。
「…………」
声。
声が聴きたい。
あの人の声が。
違うと否定したいのに、多分、俺はユリフィエ様を殺す事に戸惑わないし躊躇しない。
嫌だと思うのに、殺しても何にも感じないという確信がある。
メロティスに視線を移す。
一歩、二歩……間合いまであと一歩。
そろそろ自覚したらしい、メロティスの表情が怯えたものに変化していく。
俺の危険性に気付いたところでもう遅い。
というか、わざわざ城やマリーを使って情報収集してたくせになぜ見落とした?
ユリフィエ様がいれば大丈夫だとでも思ったのか?
ああ、このままだと本当に斬り殺す。
柄に手が載る。
間合いには入っている。
「言い残したい事は?」
「っ、いや、あの、だ、だから……」
「ないのですね?」
「違っ! だ、だから! ボクは!」
……声が、聴きたい。
あの人の、貴女の声が…………——真凛様。
「ヴィンセントさん!」
「!」
扉から声。
真凛様の声。
スッ、と気が落ち着くような感覚。
天井の氷が剥がれ落ちる。
パラパラ……そのまま扉の氷も剥がれた。
ノブが回る。
えーと、真凜様と一緒にいたのはラスティだったか?
「ヴィンセントさん! 大丈夫ですか!? って、あんまり大丈夫じゃない!」
「真凛様……」
……あ、ぶねぇ。
鎺まで抜いてた。
部屋に入ってきたのは真凛様とエディン。
ソファーで怯えた顔をしていたユリフィエ様と、マリアベルの皮を被ったメロティスを見て目を丸くする。
そして、その背後からは……クレイとメグ。
「メロティス!」
叫んで部屋に押し入るのはメグ。
毛を逆立てた尻尾がピンとたち、飛び掛かろうとする。
「メ、メグ! 待て! 魔法が……!」
「みにょおおおぉああああぁ!?」
……床にはまだ『薄氷』が張ってるんだ。
だから真凛様も入ってこない。
足が張り付いてずっこけるメグに、慌てて『薄氷』を解除しようとした。
だが、解除した瞬間に逃げられては元も子もない。
この魔法の中で動けるのは、俺と——。
「…………」
クレイ。
その両手には剣。
目はこれまで見た事もない程、殺気に満ちている。
激情的だった去年とは、真逆の姿。
メロティスが半笑いになって生唾を飲む。
「こ、これは、これは……クレイ様……」
「メグに全て聞いた。俺の父は貴様が命じて同胞たちが殺したそうだな」
「!」
メロティスが連れて行った、クレイの両親。
殺されていた⁉︎
と、とりあえず『薄氷』の範囲をメロティスとユリフィエ様のいるソファー周辺まで狭める。
しかし、メグは起き上がらない。
肩を揺らしながら、漏れ聞こえるのは嗚咽だろうか?
……メグは、クレイの両親の行方を、知っていたのか?
それがクレイとメグの、ストーリー?
『ハンカチ必須。涙なしには見られないんだけど!』
…………ヘンリエッタ様……いや、佐藤さん……これはちょっとエグすぎやしませんかね……。
クレイのストーリー……メグだけが知っていたクレイの両親の事。
ネタバレしておいて欲しかったかも。
「ヴィンセントさん」
「……真凛様」
さっき、ユリフィエ様に掴まれたところを、真凛様が掴む。
ああ、なんだろう……この安堵感。
見上げてくるこの人が、とても……とても、
「!」
涙が出る程、愛おしい。
刀の落ちる音。
すまん、鈴緒丸。
頭の片隅で謝って、細い体を抱き寄せる。
どうしても、どうしても触れたかった。
——多分心細かったのだ、俺は。
柔らかな髪に顔を埋めて、頬を擦り寄せる。
この人に会いたかった。
側にいて欲しかった。
「……ヴィ、ンセントさん……」
この声がずっと、聴きたかったのだ。
この声に呼んで欲しくて、苦しかった。
もっと呼んで欲しい。
「…………興が削がれた。運が良かったな、メロティス」
ん?
クレイの声にそろり、と顔を上げる。
剣を鞘に収めたクレイと腕を組んでいるエディン。
後、床から顔を上げて、こっちを見ている、半泣きのメグ。
えーと……?
「……………………」
あれ?
俺は、今何を?
とんでもない事を、してしまったよう、な?
「…………」
あったかい。
ので、自分の中に閉じ込めていた人を見下ろす。
茹で蛸かな?
「…………す…………すみません」
頭が一瞬真っ白になってから、両腕を外す。
目は泳ぐ。
部屋のどこでもないところをめちゃくちゃ見た。
無理、無理無理、顔を合わせられない。
おおおぉ俺は今何を? 何をした?
何をしてるんだ? 俺は!?
「さて、伯母上……勝手に屋敷を抜け出して、こんなところで何をしておられたのか」
「…………」
「まあ良いでしょう。兵を連れてきますが、問題はございませんね? ……長殿、そちらの化け物は任せて良いんだな?」
「ああ。コレも亜人の同胞だ。こちらで処理する」
「ふ、ふん! 無駄な——!?」
頭がうまく働かない俺の横で、エディンがユリフィエ様を拘束。
クレイがメロティスに、何やら魔法陣を突き付ける。
あれは——。
「な、なんだ!?」
「こちらもお前になんの対策も講じていなかった訳があるまい。この国の魔法研究者に俺の魔力と相性の良い魔法を考えてもらった。お前対策のな。『魅了』も『暗示』もこれで封じた。二度と使う事は出来ない」
「!? そ、そんなはずない! そんな事出来るはずがない!」
「なら試してみれば良い。……だが、まあ…………楽に死ねると思うな」
最後の一言はこちらまで背筋が冷えるような冷たい声だった。
『薄氷』はまだ奴を捕らえたまま。
エディンが持っていたもう一組の縄でメロティスを拘束していくが、クレイはその縄先を持つ事はない。
「ここの部屋に置いておくか?」
「俺が見張っておこう。お前たちは王子たちを助けに行くのだろう?」
「! そ、そうだな」
そうだった、早くレオを助けなければ。
あの『偽戦巫女』の事も気になる。
メロティスを捕まえたから、もう大丈夫だと思うが……。
「あ、プリシラ」
『あ、プリシラ、じゃねぇ! 心配かけんじゃないよ!』
すみませーん。
見上げてすぐに叱られてしまったー。
「プリシラ? 『沈黙と平穏の女神』がどうした?」
「えーと、信じられないかもしれないがここにいる」
「「は?」」
声を出したのはエディンとクレイ。
首を傾げたメグと……あ、うん、無理。真凛様の方は見られない。
「その、俺と相性が良いそうだ……」
『そんな事よりそこの半妖精はアタシの力で拘束した方がいい。さっきから逃げる隙を窺ってる。アンタがその床下に広げてる魔法を解除したら逃げられるよ』
「え? どうやって……!」
『妖精の羽根を使うつもりだろう。妖精は羽根で飛ぶ事が出来るし、奴は人間の体を喰らい溶かして魔力を体に溜めているようだ』
「!?」
人間の体を……喰らい溶かす……⁉︎
じゃあ、やはり皮だけになっていたクレアメイド長は……中身を?
……エグい……。
「おい、ヴィンセント?」
「あ……」
エディンに声を掛けられて、空中と会話する真凛様とレオの姿を思い出す。
多分俺今そんな感じだ。
ヤバイ、まさか自分もそんな事になるとは。
「あ、ああ、プリシラが力を貸してくれるそうだ。そこの半妖精は気に入らないってさ」
『うん、気に入らん!』
「女神が?」
振り返ったクレイも興味はあるらしい。
まあ、メロティスの苦虫を噛み潰したような悔しそうな顔よ。
それだけでもなかなかスカッとするけれど。
「どうやって拘束するんだ?」
プリシラを見上げると、すごい悪い顔してる。
そう、なんかこう……悪い事考えてる時のケリーのような笑み。
ニヤァ……っていうタイプの。
ええ、嫌な予感……。
『馬鹿な半妖精。アタシの体……血石を喰ったね? それで女神の力の断片を手に入れたんだろうけど、それは元々アタシ自身だ』
「!」
『血石』!
去年、『王墓の檻』でメロティスが噛み砕いた。
確かに、アレはクレースの血で出来ていたと聞く。
そうか、それで女神と契約した初代戦巫女の力、女神の力を手に入れたのか……!
だが、それは逆に——。
「!? な、なに!? か、体が……溶ける!?」
『しかもお前が吸収してきたのはアタシの子孫たち……』
メロティスにはプリシラの声が聴こえないから、尚更訳が分からず恐怖が増しているのだろう。
本当に……フライパンの上のバターのように透明な液体に変わっていくメロティスの体。
……マリアベルの……マーシャの母親の体。
溶けた水のようなそれは、プリシラが爪先を床に下ろすとそこから吸い上げられていく。
「ひいいいいぃ!? 何が! 何がどうなって……いや! いやだぁ! ここまできて……ようやくここまできたのにぃ!? 溶けるぅ! いやだぁぁぁあぁァァァ……!」
「っ」
足、胴、手、胸、首……そして頭。
瞬く間に溶けたそれを、プリシラは吸い上げてしまった。
俺が凝視する場所を皆が凝視した。
そして……。
「ふん、この程度で女神を名乗るなどちゃんちゃらおかしいねぇ!」
「じ、じっ……じっ……?」
実体化したぁぁあ!?
「メロティスだっけ? 奴と同じ事をしてみたまでさ。アタシの体は例の場所にちゃんと安置してあるだろう?」
「!?」
え?
あ、ああ、あの場所な。
……いや、待て。その理屈だと……。
「メロティスは本体が別の場所にあるのか?」
「半妖精という話だったから、そんなに大きな体じゃあないはずだ。その辺りはアンタの仲間の半獣が探し出せるはず」
「クレイ!」
振り返る。
うん、全員固まってる。無理もない。
だが、今はあまり時間もない。
「クレイ! お前の鼻でメロティスを探し出せないか!?」
「は!? し、しかし……?」
「半妖精は魔力がそれ程強い感じじゃない。城の中にいるはずだよ。ついでにこの方法だと本体は動けないはずだ。つまり、どこか安全な場所に横たわってる。しばらくこの半妖精の魂は預かっておいてやるから、探しておいで」
「……あれ魂だったんだ?」
「まあ、人の言葉で言うとそれが一番近いねぇ」
そう言い、プリシラは真凛様の方を……その頭上近くを見上げて目を細めた。
あの辺りに何かあるのか?
あ、エメリエラ……?
「メグ、お前はここで兵が来るのを待っていてくれ」
「え! あ、あたしも……!」
「手分けして人を集めよう。メグはお嬢様たちにこの事を伝えて、兵を集めるようにしてくれ! んー、プリシラ、ここでユリフィエ様を見張っててくれないか? 今、人を連れて来る!」
「えー、ご先祖様でしかも女神のアタシを見張り番に使うとかお前マジお前〜」
うーん、確かに〜!
しかし他に頼めそうな人もいないしー!
「まあいい。ワイン一本で許してやろう!」
「酒、だと……⁉︎」
「久しぶりの実体だからな。たまにはこんなのもありだろう。あと、今代の王が無事だったら一発ぶん殴るからアタシの前に連れてきな」
「「「……………………」」」
こ、拳が……。







