アルトの薬事情
えーと……アルトに米ぬかの手配はしたし、ニコライにマリーの調査依頼はしたし、レオとクレイに病気予防用の石鹸開発に関して亜人たちの仕事に出来ないかを相談したし……。
お嬢様は最近放課後、魔法研究所にも足を運んで特効薬開発中。
ちなみにケリーは東区に溜め込んでいた解熱効果のある薬草の出荷を、旦那様を説き伏せて早めさせた。
王都に来る前に沈静化させたい、この大事な時期に巫女殿が『斑点熱』にやられでもしたら、人間族は負けてしまう、とかまあ色々言ったらしい。
まあ、実際の巫女殿は『治癒の力』とエメリエラの加護で流行病には罹らないらしい……ヘンリエッタ嬢情報。
そして、その事を聞いて思ったんだが……。
巫女殿が『治癒の力』今だに使ったところ見てない。
みんな割と怪我なく訓練をしているので、そもそも使う機会がないのかもしれないが……その辺はっきりはさせておきたいよなぁ。
「!」
使用人宿舎(夜)。
アンジュとシェイラさんにマリーの動向を聞きに来てみれば、ほほう?
マリーの奴、ルークと一緒に厨房で何をしてるんだ?
最近アンジュに教わった必殺『気配消し』!
「わあ、可愛いですね〜」
「そうでしょう? ルークさんはお魚さんがお好きだとお聞きしたので……。練習で刺したもので申し訳ないのですが、よろしければもらってくださいません?」
「はい! ハンカチは何枚あっても困りませんので……。えーと、お礼はおいくら程……」
「そんな、お金なんか要りません! 練習で刺したものなので、もらってくださるだけで良いんです!」
「そんな、悪いですよ。何かお礼をさせてください」
……マリーがハンカチに練習で刺繍を入れた物、を、ルークに押し付けている?
ルークは天然で良い子なので、好意でもらった、つまりお礼をしなければいけない、と思っている。
そんな会話だな〜。
……っていうか!
「メグ、あれはどういう事だ」
「ひえ、なんで隠れてたのにバレてんのっ」
「馬鹿め、そんな気配バレバレで隠れているつもりか。あとついでにマーシャはどうした」
「お風呂はいってから即寝したよ。最近貴族のお茶会に巻き込まれてヘトヘトで帰ってくるから」
「成る程、奴の体力でも外面維持は難しいか……こっちとしては使用人宿舎であいつのポカの後始末しなくて良いから意外と楽で良いんだが……。それよりも、マリーの奴ルークと最近仲良いのか?」
「あーうん、あたしはあんまりあの子好きじゃないから話しかけられないんだけど、ルークは話しやすいからよく絡まれてるよ。まあ、ルークだけじゃなくて色んな貴族の使用人と最近よく話してるよね」
「ほほう?」
ハミュエラの情報通りか。
つーかうちのルークにまで手を伸ばしているとは、マジで顔の皮分厚すぎだろあの娘。
「本当に大丈夫です! じゃあ、あたくし明日の準備がありますので失礼致します」
「あ……!」
と、ルークから逃げるように立ち去るマリー。
うーん、確かに物を受け取ると相手への疑心は薄らぐ。
上手いものだ。
だが、あのお姫様にそんな知恵があるとは思えない。
一年そこらで身に付くもんではないだろう。
特に、あんな他人の事なんて一片も顧みないような性格でいばり散らしてた娘が。
『ズルしてる』って、エメが……。
……という巫女殿の言葉の方が信憑性がある。
何かしてる。
その何か、が俺にはイマイチ分からん。
物で釣るにしても、使用人では限度があるしな。
食べ物?
いや、ここの使用人達は貴族に出す物の残りやそれレベルのものを自分で作れる。
一体なんだろうな?
「……困ったな……」
と、呟くルーク。
はい『困ったな』頂きました。
というわけで。
「何が困ったんだ?」
「相談乗るよ!」
「ぴゃーーー!」
右肩を俺が、左肩をメグが叩く。
ルークの悲痛な悲鳴に一部ご飯食べてた使用人がびっくりするが知らん。
「おおぉぉうお義兄さん! メグさん! びっくりさせないでください!」
「いや、それはすまん。それで? 何が困ったんだ?」
「あ、あのコレ……」
「ああ、ハンカチだね。それがどうしたの?」
「……実は、最近、一年生の……マーシャさんのクラスメイトのご令嬢の朝のランニングに付き合っているんですが……」
……それは、詳しく聞いた方が良いのかな……。
朝のランニング?
は?
貴族令嬢が?
は?
「あ、あのスケートの時にご一緒したリニム・セレスティ様です」
「「あ、ああ、あの人……」」
どすこい、のご令嬢か。
ふーん? ルークは交流が続いていたのか。
まあ、なんだかんだ面倒見が良いからなぁ。
「ダイエットをしているそうで」
「「………………」」
俺はともかくメグまで黙るの?
……ふ、ふぅーん……頑張ってらっしゃると、あっそう……。
「最後にハンカチをお渡しして、汗を拭いて頂いているんですが、ちょうどなくなったから買おうと思っていたんですけど……」
…………そろそろ突っ込んで良いかな?
でもあんまり詳しく聞きたいとも思わないんだよなぁ……。
し、しかし、最後にハンカチを渡して汗を拭いてもらうって、はあ? ルークのハンカチがリニム嬢に渡ってるって事?
なんで?
そして、その場合はリニム嬢がルークにハンカチを送り返すなり洗って返すなりするものなのでは?
「……頂いたものをお渡しするのはちょっとさすがにどうかと思って……困ったなぁって」
「いや、返してもらえばいいじゃん?」
と、俺が思っていた事をメグがズバァ、と言ってくれる。
そうそう、それそれ。
「ん〜……」
「「……え……?」」
何その反応。
目が思い切り泳いでいるぞ、ルーク。
何、気になる!
「…………。……その、洗って返して頂くんですが……何というか……匂いが残っているので……うん……」
「「あ……」」
察した。
俺もメグも察した。
そうだな、この世界って柔軟剤みたいなものはないからな……!
うん、それ以上は言うまいよ、相手はご令嬢だからな……!
汗の臭いが取れない、なんてとても言えないもんな! うん!
多分牛脂みたいな感じですごい臭いなんだろう!
言わないぞ、俺も!
「…………分かった、ルーク」
「え? 何か良い考えが……」
「タオルを差し出せ。……これから暑くなるから、これからの時期はタオルだ」
「タオル! そ、そうか! その手が! さすがお義兄さんです!」
「そしてローズマリーのサシュを使え。消臭ならローズマリーだ」
「! さ、さすがお義兄さん!」
「…………」
その仕方なさそうなものを見る顔はやめてやれ、メグ……。
俺も少しこのお人好しぶりに呆れたところだ。
しかし本人がダイエットを頑張っているのなら……頑張った方が良いと思う!
社交界的にも! 健康的にも!
俺も陰ながら応援致しますリニム嬢!
「あ、あと臭い消しなら『マイフォの実』の果汁だよね! あれを一緒に入れて洗うとサッパリするし!」
「「?」」
な、なんて?
何それ、聞いた事ないんですが。
「え? あ、そっか人間族は使わないのか。水の中で成長するマイフォっていう木があるんだけど」
ファンタジー……。
今更だけど〜……。
「元々は人魚族が種を持ってきてて、穴蔵の中の半魚人たちの住処で育ってたものなんだ。でっかい木の実がなるんだよ。その中の液体を洗濯物に浸けて一緒に洗うと臭いサッパリ! ……なんつーか、うち獣人の亜人が多いでしょ? 穴蔵に篭ってるとさすがに臭いが……分かるでしょ?」
「「あ、はい」」
と て も 。
「そんなわけですごく重宝してるんだよね〜。あ、今度持って来てあげよっか?」
「そうだな、興味深い」
「オッケー、今度持ってくるね!」
亜人の臭い消しか、強力そうだな!
それに花の精油を混ぜたりしたら柔軟剤みたいにならないだろうか?
「こんばんは、ヴィンセントさん、ルークさん、メグさん。お食事はお済みですかな?」
「こんばんは、レイヴァスさん」
「ぼくは食べました」
「あたしもさっき」
声をかけて来たのはトレイを持ったレイヴァスさん。
アルトんちの執事さんな。
笑顔だが、その手元のトレイの上。
皿には半分以上残ったお粥が……。
「……アルト様は食欲不振ですか?」
「そうですね、ここのところあまり食べられておられません。昼食は皆様とご一緒なので、食べてはおられるようですが……」
いや、思い返すとアルトの食べる量は最近減っている。
朝夕もこれでは保たないんじゃないか?
「ちょっとよろしくありませんね……『斑点熱』もだいぶ王都の側まで来ているというのに」
「そうなんです。それを言うとハミュエラ様もかなり心配ではあるのですが……」
「あ、ああ、確かに……」
あいつは『無痛症』。
俺の前世でも不治の病だ。
巫女殿の『治癒の力』で治ったりしないんだろうか?
それは今度聞いてみるとして……アルト、ちゃんと飯食わないと病気に罹りやすくなるぞ?
「薬も飲まなかったんですか」
「ええ、苦いと仰って……。いやはや本当に困りました」
「…………。レイヴァスさん、少し場所を変えても良いですか?」
「? …………。……分かりました、少しお待ちください」
食器を片付けるレイヴァスさん。
その間、ルークとメグが神妙な顔で俺を見上げる。
うーん、この二人は……どうするかな?
ルークは良いがメグは……いや、メグも同席させよう。
うっかりメグがアルトルートに入る可能性もある!
メグには是非、さっさと誰かとくっついてもらいたい!
「お待たせしました」
「では談話室に。お前たちも来るか?」
「「!」」
二人は俺が誘って嬉しそう。
言っておくが楽しい話ではない。
むしろ——……。
「それで、お話とは?」
レイヴァスさんがズバッと切り込む。
俺はもちろんアルトの薬の話を切り出す。
アルトがこれまで飲んでいた薬が、イースト地方から届かない。
それは、おかしな話だろう。
定期的に米や醤油や味噌なんかの、イースト地方の特産品は送られて来ている。
それなのに、その領主の息子の大切な薬は送られて来ないなんて!
「まさかとは思うのですが、イースト地方はアルト様と引き取られた義弟のお二人の『派閥』に分かれているのでは?」
……という結論に達するのだ。
とてつもなく、考えたくないけど。
驚いた顔をするルークとメグ。
レイヴァスさんは、ゆっくり目を伏せた。
「素晴らしい。……良く気付かれましたね……」
「まさか、本当に、ですか?」
「ええ、そのまさかなのです」
…………言葉が出ないな。
「……フェフトリー公爵は……」
「派閥が出来ている事自体はご存じのはずです。しかし、旦那様もまだ悩んでおられる。アルト様のお体は、母君に似て大変弱い。だからこそ、武家の未亡人とその息子たちを引き取ったのでしょう。跡取りの『予備』とするべく」
「っ!」
「そ、そんな……! ではアルト様は、嫡男として期待されていないという事になってしまいます! そんなの……!」
「私もそれは……あまりにも…………」
レイヴァスさんは目を伏せたまま首を横に振る。
飲み込んだ言葉には俺も……色々思うところはあるけどな。
「ですが、それと薬を差し止めるのは話が別ですね?」
「ええ、私も幾度も手紙を送りました。ですが恐らく養子兄弟の派閥の者に握り潰されている。手は尽くしましたが……直接出向くしかないでしょう」
「…………」
俺が——……俺が取りに行きましょうか?
口に出掛かった言葉は喉に痞える。
巫女殿の顔がちらついた。
彼女に『守る』と約束したばかりなのに、離れるのは……。
「せめて薬のレシピがあれば良いのですが……レイヴァスさん、それもないのでしょうか?」
「武家秘伝のものと聞いております。これまでは旦那様たっての願いで薬を提供してもらっていたのですが……それに加えてアルト様のお体に合うよう調合されているので、難しいでしょうな」
「武家って……よくそんなの飲んでましたね?」
武家というのは『武士』の家の事だろう。
じゃあ、あの養子兄弟が引き取られた後、アルトはある意味後継者候補同士の——敵の作る薬を服用して体調を整えてきたという事になるじゃないか。
思わずそう聞いてしまうのも無理はないだろう、それは。
「今もアルト様のお母上……奥様は奥様用のお薬を飲んでおられると思いますよ」
「…………っ」
「旦那様も当然分かっておられます。分かっていて……ですから……」
妻子を——……守る為でもあった、わけか。
「そうか、フェフトリー公爵もお辛いお立場なのですね……」
「…………」
でもそれでフェフトリー家が乗っ取られては堪ったものじゃないな。
なんとかアルトとアルトの母君に、武家秘伝の薬以外に合う薬を見付けないと不安が燻ったままになる。
さぁて、これは大変だぞ。
どうしたもんだろうな?
いくら俺でも製薬は……。
「…………レイヴァスさん、巫女様にアルト様を『治癒』して頂けないか聞いてみても良いでしょうか?」
「? どういう事ですかな?」
「巫女様には女神のご加護による『治癒の力』があるらしいのです。まだご本人に確認した事がない、噂の範囲を出ないものなのですが……これを機に嘘か真か、真偽を確かめてみましょう。誠であればアルト様の虚弱体質は治るかもしれません」
「な、なんと! それは本当ですか! ……あ、ああ、失礼……まだ分からないのでしたな……」
「はい、ですが……」
もしアルトを治せるのならハミュエラも治せる。
そして、アルトが治ればアルトの母君も——もしかしたら、俺の母も……。
「………………」
いや、やめよう。
あの人が正気に戻った時、『オズワルドルート』の『真実のエンディング』が幕を開ける。
あの人の時間は止まったままでいてもらう。
きっとそれが……みんなの為なんだ……多分、きっと……。
それに、十八年前に止まった時間を今更動かしてあの人はその埋まる事のない時間をどう捉える?
新たに苦しむだけなんじゃないのか?
…………分からない。
あの人の事だけは……俺にはなにが正解なのか、どうしてやれば良いのか分からない!
「聞いて、そして試してもらいましょう」
「よろしくお願いします! アルト様には私からお話をしておきます!」
「はい」
ああ、まずはアルトだ。
あの憂いた顔を、まずは減らすとしよう。







