第98話・回想記〜ヤコウとラクラ〜
ラクラ・トゥエムは、十六歳の誕生日を迎えた翌日にウシャス軍へ入隊した。女性という肉体のハンデはもとより、軍人としての任を負うにはあまりに若すぎる年齢であった。偉大なる軍人、クリフ・トゥエムの娘だという血統を考慮しても、実戦に出るのは不可能だと誰もが思っていた。ウシャス軍には女性の軍人もいるにはいるが、彼女らが戦場の第一線に立たされることはまずない。戦いは男の役目というのが常識である。
ラクラはそんなルールをあっさりと覆して見せた。彼女はあらゆる訓練成績において、男性軍人にひけを取らなかった。単純な腕力では劣るものの、幼少時から戦闘訓練を積んできたラクラの実力は強大としか言えなかった。見切りの正確さ、反応の俊敏さ、体躯のしなやかさ、いずれもこの若さですでに一級品のものであった。それに加えて『紋』の能力。ラクラが入隊して二か月が経った頃には、周囲からの評価はがらりと変わっていた。”この子は軍人となるために生まれてきた、神の申し子のだ”と。
だが、周囲からの評価が高まることに比例して、ラクラには一種の疎外感が芽生え始めていた。元々女性というだけで仲間から浮いた存在になってはいたが、畏敬の念か、はたまた嫉妬の念がそうさせるのか、仲間の軍人達にとって、ラクラは近寄りがたい存在となっていたのだ。
『トゥエム、小隊長がお呼びだ。一緒に行こう』
ただ一人、同期で入隊したヤコウだけが例外であった。
ヤコウはラクラと年齢も同じだったが、生まれ育った環境は全くの逆である。ヤコウの生家は町の片隅にある古い鍛冶屋であった。鍛冶だけでなく砥や銃の製造も兼ねている。昔ながらの職人技を重視する方針を取っており、機械技術の発達による大量生産の流れの中で、生活はあまり裕福とは言えなかった。だが、その洗練された技が生み出す刀剣や銃がクリフの目にとまり、トゥエム家ご贔屓の鍛冶屋となった。
クリフが幼い娘を伴ってこの鍛冶屋を訪れた日。それが、ラクラとヤコウの出会いの日である。いわば二人は幼馴染みの関係だ。互いの父親が世間話や仕事に関する話をしている間に、二人は店の裏で一緒に遊んでいた。遊ぶと言っても、その頃から戦闘訓練を受けていたラクラが並の児童と同じような遊びに興じるわけもなく、”戦争ごっこ”と称したその遊びの内容は少々荒っぽいものであった。
『ヤコウ君。君、うちの軍の入隊試験を受けてみないかね? 子どもの時は気づかなかったが、改めてよく見ると中々たくましい体をしている』
ヤコウとラクラがともに十五歳の時、クリフはそう言った。この当時のヤコウは実家の鍛冶屋を継ぐつもりで、日々その修行に励んでいるところだった。鍛冶という重労働と幼少時からの遊びは、ヤコウに人一倍の肉体を与えていたのだ。もっとも、彼の軍人たる本当の才能が知られるのは、まだ後のことであったが。
意外にもヤコウの父親もその気になり、息子に入隊を薦めた。そしてヤコウは「合格」したのだ。民間から軍へ入った稀有な存在となった。
『小隊長が私を呼んでおられる? 任務ですか?』
『詳しいことは本人に聞いてくれ。だが、私とトゥエムを一緒に呼び出したことを考えるとその可能性が高いな』
軍に入隊した日から、ヤコウはラクラのことを名字で呼ぶようになった。互いの言葉遣いも改まった。
『来たか、二人とも。予想はついているだろうが、君達に任務を与える』
小隊長、レン・イール。通称”新人教育のレン”だ。
『ホウ……ナントカ教とかいう過激派宗教団体が、近日中に南東の地方支部建設予定地で武装蜂起を起こすという情報が入った。我々の聖地に汚らわしい軍部など置くな、とか言ってな。そんで、軍への当てつけか八つ当たりか知らねぇが、近隣の住民に嫌がらせしてるらしい。それを止めろってのがお前たちへの任務だ』
『我々二人だけで、ですか?』
『オレも同行するがな。ま、たかがシロートの集団反抗だ。敵のリーダーを捕まえて降伏させりゃあいいだけの簡単な任務だぜ。それによ、武装っつったって、連中の主力武器は竹やりと石オノだってよ! 自然主義だとかなんと言ってよォ。ハハ! いつの時代に生きてるつもりなんだか』
レンは笑った。ラクラは黙って聞いていた。
ヤコウは口を開いた。
『……彼らには、彼らのポリシーがあるのでしょう。それに、出来うるならこちらも武力の行使は控えたいところです。罪のない住民に手を出している集団とはいえ、力による制圧はかえって反乱を……』
『あ? んなことは考えなくていいんだよ。とにかく、オレはクドゥル様からそう命令されたんだからな。それで、お前たちなら二人だけで十分だと判断して任命したんだよ。わかったらさっさと出発するぞ』
それだけ言って、レンはさっさと出て行ってしまった。ヤコウはほんの少しだけ、その場で何かを考えていたが、じきに同じく出て行った。
ラクラは、歩いて行くヤコウの背中をじっと見ていた。正直に言って、ラクラは先ほどのレンの口ぶりが気になっていた。だが、それを咎めるような行動は起こせなかった。それをヤコウが代弁してくれたかのように、ラクラは感じたのだ。
『どうした? 行こう、トゥエム』
ヤコウが振り返って声をかける。何でもありません、とだけ答えて、ラクラは歩きはじめた。
それから四年の後に、ラクラは幹部となった。昇進祝いの儀の際、ラクラはヤコウに向かって言った。
『幹部になれたことは、心から嬉しく思います。ですが、少しだけ残念です。あなたと同じ戦場に立つ機会がなくなってしまうことが……』
幹部と一般兵。二人の立場は再び離れてしまう。ヤコウは答えた。
『……実は、私も幹部の座を狙っている。聞いたことがあるだろう? 幹部三人のうち、二人は『紋付き』であることが条件となっているが、最後の一人は『紋』を持たない人間に限られている、という法則を。正式なルールではないらしいが、暗黙の了解でそうなっているらしい』
『ええ、そう言えば聞いたことが……』
それから二年の月日が流れ、ヤコウは幹部となった。