第83話・刹那の攻防
舞台は再び、東支部の地下室に戻る。わずかに漏れ入っていた夕日の光も完全に途絶え、地下室内はおぼろげなロウソクの灯りを残してほぼ完全な闇の空間となっていた。
暗がりの中で、リークウェルは己の肩口に手をやった。ぬるりとした感触が指先に絡みつく。間違いない。深くはないが、肩の表面が斬られている。刃の軌道は完全に見切ったはずだ。それにも関らず、いつの間にか斬られていた。
「だからよけんなっての! クソめんどくせぇ!」
ラングバットが吠える。そして次なる斬撃を浴びせようと迫ってくる。
リークウェルは迷わず退いた。目では太刀筋を見切っていたが、剣で防ごうとも反撃しようともせず、後方へ飛びのいたのだ。直感がそう命じていた。百戦錬磨の直感。先ほどの攻撃による被害を最小に食い止められたのも、無意識のうちに危険を感じた肉体がわずかに身をよじったおかげであった。
ぱくぅ、と、空気に裂け目のはいるような感覚が伝わった。そして、空気の裂けた直後に、ラングバットの軍刀が振り下ろされたのを、リークウェルは確かに見た。空気は刀が振り下ろされる前に斬られた。
(……刀で触れる前に斬撃がくる。カマイタチのようなものか? いや、違う……)
「『一秒』だ」
刀を引き戻し、体勢を整え直したラングバットが言った。
――リークウェルは再び呆れた。どうやら推測するまでもなく、勝手に解説してくれるようだ。
「オレは生まれつきせっかちな性格でなぁ、そのせいでこんな能力の『紋』が身についてる。いや! こんな『紋』を持ってっからせっかちな性格なのか?」
知るか、そんなこと。どうでもいい。せっかちだと自称する割にはだらだらとよくしゃべるヤツだ。
「オレの攻撃はッ! 必ず『一秒』だけ早く結果となる! オレが剣を振ろうとすればその瞬間に斬撃が飛ぶ! 攻撃のエネルギーだけが先に飛び出すんだ! そして実体の刃はダメージを与えた『一秒』後に敵へ到達する!」
叫びながらも、ラングバットは更なる連撃を放った。と、同時にリークウェルの黒い前髪が数ミリ切り取られた。言葉通り、攻撃のエネルギーだけが先行している。髪が斬られた時点で、刃の実体はまだそこに到達していなかった。リークウェルはかろうじて回避はしたものの、反撃を入れる余裕はないようだ。
ラングバット自身の攻撃動作自体は、それほど熟練されたものではない(ただしこれはあくまでもリークウェルの主観であり、他の軍人達の中では比較的優れている)。しかし、実際の攻撃エネルギーは動作の一秒前に襲ってくる。まさに見えない斬撃だ。なまじ太刀筋が見えてしまうが故にかえって攻撃をくらってしまう。リークウェルの戦闘者としての直感と超人的な反射神経で直撃を避けていなければ、今の攻撃で間違いなく絶命していたことだろう。
「面倒な手間かけさせンなァ! オレはこの後残り四人もやらなきゃならねぇんだぜ!」
ラングバットの能力は、ほんの一秒しか持続しない。たったの一秒だけだ。
「だがこの一秒は、てめぇの残り人生何十年を引き裂いてうち捨てる一秒だ! 近距離でのタイマンで……オレに勝てる奴は誰もいねェーッ!」
ラングバットは一瞬身をかがめ、コンクリートを蹴って突進した。この体当たりもまた攻撃。
「ぐっ……!」
リークウェルの細身に突進の衝撃がぶつかり、わずかに体勢を崩された。そして一秒後にラングバットの実体が目の先に現れる。その軍刀を握った両手はすでに攻撃態勢にあった。
「とどめッ!」
右下に構えられた軍刀が一気に上昇し始める。当然、その刃の実体よりもきっかり一秒だけ攻撃のエネルギーが先行する。
エネルギーは今度こそ標的を捕えた! リークウェルのスーツを裂き、その内側にあるしなやかな肉体をも切り開く。そのままやすやすと筋肉を切断し、骨をも――。
「な……ァア!?」
と、なるはずだった。だが、エネルギーは骨に到達することすらなく停止した。何故か? リークウェルが反撃を決めたのではない。リークウェルは防御をしただけだ。回避をやめ、攻撃エネルギーを受け止める策に出ていたのだ。エネルギーを停止させたのは、リークウェルの筋肉だ。
リークウェルは細身でありながら高速の剣さばきを得意とする。つまり、サーベルを素早く振るうのに必要となる莫大な筋力を、一見して細い体形の中に潜めているのだ。巨漢のテンセイとは真逆に、超密度で圧縮されたパワー。急激に硬直した筋肉がエネルギーを食い止めたのだ。
「……一秒先に攻撃が来る、か。なかなか面白い能力だが……」
血の噴き出す傷口に、軍刀の実体が迫る。その実体の動きも途中で停止させられた。リークウェルが左手で迫りくる刃を掴んだからだ。当然左手の皮膚は斬られて負傷するが、あまりに些細なダメージとしかならなかった。
「どうと言うことはないな。エネルギーが来た一秒後に実体が来るのだろう? ならば、わざとエネルギーを受け止めて次に来る実体を捕まえれば済むだけの話だ」
「ザッ……ザケんな!」
ヒュン、とムチのしなるような音が空気を震わせた。今度は右手を動かしたのだ。
「近接戦闘では最強だと? 寝惚けたことをのたまうな。目の前の敵へ一撃喰らわせるのに一秒も時間をかけている時点で貴様は二流だ。オレならその一秒の間に三突きはしている」
どうせもう聞こえてはいないだろうが、それでもリークウェルは言葉を続ける。
「そしてオレの残りの人生が何十年とか言ったか? それもフザけた言葉だな。オレ達『フラッド』には……」
ラングバットが首を曲げてうなずいた。そして曲がった首は二度と真っ直ぐには戻らなかった。体積の半分以上が削り落とされた首はポキリと折れてちぎれ、苦悶の表情をかたどったまま床の上に転がったのだ。
「何十年も先の未来など必要ない」
完了した。リークウェル一人を残して、この地下室にいた人間は全て死体と化した。”『フラッド』の通った後には死体しか残らない”。リークウェルはそのウワサを見事に実演してみせたのだ。
たった一人で、二分も満たぬうちに。