第76話・開戦の暴風
空を赤く染めていた夕日が、地平線の果てへと収縮していく。日没まであと数分。
「マジで出てこねぇな、幹部さんよォ。もっとあっさり引き下がると思ってたけどな」
ダグラスは銃を磨きながら仲間に声をかけた。
「奴らは政府に飼われた軍人だ。自分の保身だけを考えるわけにはいかないのだろう。たとえ無謀だとわかっていても戦わざるをえない。それが軍人という生物種だ」
リークウェルの答えを聞き、ダグラスは銃を置いた。
「バカな奴らだな。義務だか見栄だか知らねぇが、下らねぇ生き物だ」
「ああ、愚かだ」
「強い者と戦いたい……。純粋に、そう考えてる人もいるかもしれないわよ」
エルナが申し訳程度に庇護する。無論、本当にウシャスの軍人たちを庇っているわけではない。そんな可能性もありえると示唆しただけだ。
「ん……まだ食い足りない……」
場違いな発言をしたのはユタ。話が合っていないのは、エルナの膝枕で仮眠をとり、口の端からヨダレを垂らしながら発言しているからだ。つまりは寝言。
「カニ、もっと食べたい。よこせ」
「昼間さんざん食っただろーが。どんだけ餓えてんだこのガキは」
「フフ。あれだけ食べた後で”前よりおいしくない”なんて言ってたわね」
呆れるダグラスと微笑むエルナ。沈む夕日を見つめるリークウェル。そして、一同からやや離れたところで静かにたたずむ男、ジェラード。全員が、開戦の時を待っていた。
「……日没より前に、向こうから攻撃を仕掛けてくる可能性も考えていたのだがな」
「正々堂々と戦うつもりなのか、あるいは、もしかしたらすでに全員逃げちゃってるかもな。あの建物はもぬけのからで」
「それならそれで問題ないが、おそらくありえない。奴らは軍人だ」
夕焼けの光源が視界から消えていく。薄暗い空をカラスの群れが飛び、やかましい鳴き声を発しながら『フラッド』の頭上を越えていく。カラスは五人のいる地点から五百メートルほど離れた東支部の方向へ向かっていた。群れの先頭が支部の上空にさしかかった時、突如、群れがバラけた。
「来るッ!」
リークウェルが叫ぶ。同時に、支部と訓練所の中間にある林の中から、二つの塊が飛び出してきた。それは二台の軍用車であった。
「起きて、ユタ」
「むにゃ……?」
「あちらさんから先制攻撃か。そりゃあそーだよなぁ。オレ達に近付かれねぇようにするのは当然のことだからな」
ダグラスが車に銃を向ける。と、二台の車は二手に別れ、一台は『フラッド』の右、もう一台は左側に回り込むように進路を変えたのだ。
「おっ、始まってんじゃん。挟み撃ち作戦?」
目を覚ましたユタが素早く状況を把握する。
が、ウシャスの攻撃はそれだけではなかった。二台の車より若干遅れて、もう一台の車が林から飛び出してきた。その車は先の二台よりも遥かに速いスピードで、まっすぐ五人の元へ突っ込んでくる。
「おお? 特攻作戦?」
「よく見ろ。運転席に人がいない」
リークウェルの言葉通り、それは無人の車であった。ペダルに重石か何かを乗せているのだろう。
ダララ……と、連続する破裂音が響いた。二手に分かれた左右の車それぞれに、機関銃を構えた軍人の姿が見えた。しかし、機関銃が狙ったのは五人ではない。無人の車に、何百発もの弾丸が撃ち込まれている。
直後、無人の車が炎上する。初めから火薬でも積んでいたのだろう。炎を吹き上げながら、なおも五人へ突っ込んでいく。
あれを下手に攻撃すれば、大爆発が起きる。爆発によって散らばった破片は運動の惰性によって五人に降りかかる。そしてその隙に両側の二台が機関銃を撃ち込んでくる。遠距離からの砲撃が効かないのであれば、近距離からの銃撃はどうだ。
「そんな作戦ってわけねん。どーする?」
「決まってる。乗ってやっよ」
ダグラスが狙いを変える。そして撃った。採掘場でも使った、巨大な銃が弾丸を吐き出す。いや、弾丸ではなく、小型爆弾を、だ。円筒状の爆弾は寸分たがわず、狙った地面へブチ当たってめり込んだ。その上を車が走り抜ける。
「お望みどーり、ハデにぶっ飛ばす!」
その声は爆裂音にかき消された。ダグラスの撃ちこんだ爆弾と、車の火薬が爆発したのだ。焼けた熱風と一瞬にして残骸化した車がさらに加速して五人へ襲いかかる。さらに両側の機関銃が再び火を噴く。今度は直接敵を狙っている。炎と飛沫破片と銃弾。戦闘開始からわずか五秒の間に、三重の攻撃が完了していた。
しかし、『フラッド』は揺れない。
「防御頼んだぞユタァ!」
「もー、結局アタシ任せじゃん」
ユタが起き上がり、一同の中心に立つ。炎魔の手が目前に迫るのを待ちうけ、叫んだ。
「おいで、クーちゃん! 暴れるよ!」
その瞬間、火炎が軌道を変えた。直線的に飛んできた火炎が、アッパーを食らったボクサーのように上空へと浮き上がったのだ。
機関銃の弾丸や車の破片も同じだった。標的の眼前にまで迫っていた弾丸は、誰にも命中せずに宙へ飛んだ。
「能力はシンプルなものほど強い……。ユタの『紋』はまさにその典型だな。単純な故に何よりも強力だ」
「なに? リク。それ誉めてんの?」
「けなしてはいない」
「なら、いーや」
――暴風が、五人を取り囲んでいた。今の攻撃が外れたのはユタの能力によるものだ。
「クーちゃんの風は、弾丸や炎なんて簡単に吹き飛ばしちゃうもんね」
金色の体毛を持つ、体長一メートルほどの狐。ユタの『紋』が呼び出したこの生物が風を起こし、弾丸を逸らしたのである。この狐をよく見ると、尻尾がないことに気づく。
機関銃を撃った軍人達は脅威を感じたことだろう。風を起こす。ただそれだけの能力で、三重攻撃が防がれたのだから。だが、脅威はすぐに消えた。というよりも、何も考えることができなくなった。
ダグラスの放った爆弾が正確に命中し、車ごと思考と命を消し飛ばしたからだ。