第74話・『フラッド』VS東支部
ウシャス領に属する、大陸東海岸。漁業と観光でにぎわう海岸から数キロほど内陸へ入ったところに、ウシャス軍の東支部はある。本部ほどではないが、東海岸からの不法侵入を取り締まる役目を持ったこの支部は強力な軍事力を有している。特に、海軍としての機能は随一だ。
「でも、いくら海軍が強くたってさぁー。陸のほうから攻められてたらあんま意味ないよね」
「だな」
支部の隣にある歩兵訓練場。海からの風が芝生をなでる平坦な土地に、その五人と一匹はいた。柔らかな陽光のもとに、明らかに不釣り合いな黒コートの集団が。
「警備もガラガラ。すんごい簡単にここまで入りこめちゃったね」
『フラッド』だ。小柄のユタが芝生の上に寝転がって天を仰いでいる。
「んでも、さすがに建物内部は潜入ムリかな。そもそもあたし、こっそり忍びこむのって苦手だしぃ……」
「っつーかよ、幹部さんからの返答はまだか?」
ダグラスがユタの言葉を遮った。寝転がってはいないが、ユタ以外の四人と耳長の獣・フーリも芝生の上に座っている。天気もよく、コートさえなければピクニックに来た一団にしか見えない。
「ゼブとウシャスの間でゴタゴタが起きてる……らしい、ってことが採掘場でわかった。じゃあ具体的に今どんな状況なのか? それを知るためにここの幹部さんから情報をもらおうって計画だけどよォ。本当にここの幹部でいいのか? こんな王都から離れた場所で、どれだけ細かい情報を持ってることやら」
「お、それもそーだね。やっぱし本部にいる幹部を狙った方がよかったかなー? てか、なんであたしらここを狙ったんだっけ?」
「てめーがここにしようっつったんだろーが! この近くにある外食屋で名物のカニを食いたいとか何とか言ってよ!」
「あー、そうだった。でもなぁ、ここのカニ、前に食べた時よりおいしくなくなってたなぁ……。あたしの味覚が変わったのかも。今は羊の肉が食べたい気分」
「知るか」
ダスラスが邪険にあしらうと、ユタは頬をふくらませてうつ伏せに転がった。
「あ……来たみたい」
転がるユタの傍らに座る女性・エルナが口を開いた。エルナにぴったりを寄り添うフーリが、支部の建物に向かってしきりに鼻をならしている。
「人数は一人。この間捕まえて伝言をお願いした一般兵と同一人物みたい」
「幹部さんはいないのー?」
「他に人の気配はない。返事を伝えにきたってところかしらね」
「オレが対応する。お前たちはこのまま待機していろ」
『フラッド』を率いるリーダー・リークウェルがそう言って立ち上がった。相変わらず顔の下半分を布で隠しており、コートの中にはサーベルを隠し持っている。
ほどなく、エルナの言ったとおりに一人の軍人が訪れてきた。右手に書類のようなものを握っている。
「そこで止まれ。そして用件を言え」
リークウェルが言葉を投げかけると、軍人は一瞬ビクリと体を震わせて立ち止った。両の足が静かに震えている。
「え、え〜……、その、我らが幹部、クドゥルフ様から、の、お言葉を、伝えに参りました……」
「前置きは不要だ。その中身を言え」
「あの、ですね、その」
軍人は恐怖している。軍からの命令によりたった一人でこの五人の前に立たなければならないという現状が口を震わせて言葉を出しにくくしているのだと、リークウェルは解釈した。
「……その書類に書いてあるのか? よこせ」
仕方なく、リークウェル自身が軍人に近づいていく。一歩近づくごとに軍人の震えは大きくなり、それを見物しているユタとダグラスは小さく嘲笑をもらしている。
リークウェルが手を伸ばし、軍人の手から書類を奪い取った。紙の端が汗まみれになった書類には、中央に一つの言葉が記載されているのみであった。
その言葉とは……”消えろ”。
「うああああああァアッ!」
軍人が吠えた。震える手を素早く自身の腰にやり、ガンベルトから拳銃を引き抜いている。そして書類を持つリークウェルに銃口を向けた。
「ッ大砲!」
エルナが叫んだ。と、その直後に、支部の建物付近から轟音が響いてきた。連続して轟音と噴煙があがり、破壊を目的とした黒い塊が一同に向けて放たれた。
「ふーん、やるってわけねん?」
ユタが立ち上がる。砲弾はすでに頭上に来ていた。威嚇ではない。正真正銘、『フラッド』を壊滅させるための砲撃である。
重い衝撃が着弾し、瞬時に爆裂する。雨が降るように何発も続けて。互いの声も聞こえないほどの破壊的爆音。互いの顔も見えないほどの破滅的粉塵。それらは平穏な緑の芝生を一瞬にして戦場の修羅場へと変化させた。
やがて、砲撃の雨がやんだ。思い出したように海風が西から吹き、粉塵を洗い飛ばしていく。
「やった……」
書類を届けてきた軍人は、小さくつぶやいた。自分に注意を引きつけての砲撃。これで『フラッド』は全滅したはずだ。そして何よりも――自分自身も犠牲になる覚悟だったが、生きている。
「奇跡だ……生きている。これは奇跡だ! あの砲撃の中で、生きて……」
「いや、必然だ。この程度の攻撃ならな」
この声が聞こえて、軍人はようやく気がついた。銃を握っていたはずの右手の指が、ごっそりと削げて地面に落ちていることに。
「ひッヒィイイ……」
「お前が震えていた理由は……我々ではなく、自分の味方に撃たれて死ぬという恐怖からきたものだったのか。だが、その恐怖を乗り越えてここまで来れたという精神力は誉めてやろう」
粉塵が晴れる。まず真っ先に軍人の視界に入ったのは、サーベルを抜いたリークウェルの姿である。そしてその背後に、荒廃した大地に立つ、傷一つ負っていない四人と一匹の姿が見えた。
「バ、バカな」
「あの距離からの砲撃をかわせないようなノロマはうちにはいない。もっとも、フーリの感知能力を警戒して元々人の多い支部の方向からしか砲撃できなかったのはお前たちのミスだがな」
サーベルの切っ先が眼前に突きつけられる。
「お前の精神力を評価して、もう一つ伝言を依頼しようか。今日の日没と同時にオレ達は支部へ総攻撃をしかける。それがイヤなら、幹部一人でここへ来い。とな」
「は……はィイ!」
軍人が一目散にその場を逃げ去ったことは、言うまでもない。