第73話・最後の将軍と幹部
ノックの音がする。カーテンを閉め切った部屋の中は、昼間だというのに薄暗い。かろうじてカーテンを透過してきた弱々しい光が、部屋の隅におかれたベッドに降り注いでいる。そのベッドの上に正座していた人物は、ノックの音に反応してドアの方を振り向いた。手にはクマのぬいぐるみを抱いている。
「アフディテ、いますか?」
ドアの向こうから声がする。いますか、と言われたが、これは本当の意味での質問ではない。いる、ということは初めからわかっているのだから。ただのあいさつだ。
「……なにか用?」
ぬいぐるみを抱いた人物――アフディテは、降り注ぐ光よりも弱い声で返した。つぶやくように小さな声だったが、ドアの向こうにいる男は的確にそれを捉えた。いつものことだ。アフデイテの小さな声を、この男はちゃんと拾ってくれる。
「先日も報告しましたが、将軍アクタインの死亡が確定されました。回収された死体を我々が直に見て、本人だと確認しました」
「そう……」
アフディテの反応は薄い。ゼブの誇る至高の剣士であるアクタインの死は重大なニュースである。だが、アフディテの心臓の鼓動は少しも高まっていない。ヒアクが見せた、信じられない、という態度すらない。黙って受け入れている。
「今日、彼の葬儀が行われます。あなたも参列してください」
男が言葉を続けた。
「場所は城壁北にある大聖堂です。欠席は許されませんよ」
「うん……わかった」
ここで言葉を止めれば、ドアの外にいる男は大人しく立ち去っただろう。だが、アフディテは言ってしまった。
「でも、出来たら行きたくない。……大聖堂に行くには、一度建物の外に出なきゃいけないんでしょう?」
「……」
男はしばらく無言になったが、その間に大きなため息をついてるであろうことをアフディテは推測した。そして少しだけ後悔した。
「ごめん。気を悪くさせて」
「アフディテ、あなたはなぜそんなに外へ出るのが嫌なんですか? 建物の中ならある程度は出歩けるのに、屋外へ出ることは頑なに拒否している。いったいどんな理由で?」
この問いを受けるのも、いつも通りだった。今まで何度このやりとりを行ってきたのかわからないぐらい、習慣に近いものになってしまっている。
「風が、吹くから」
アフディテは答えた。いつもと同じように。
「私が外に出ると、必ず向い風が吹くから。私の行く手を阻むように、正面から風が吹きつけてくる。私は風に嫌われてる。それが……嫌なの」
児童が教科書の文章を読むかのように、無機的に言い捨てる。ただでさえ弱い声がさらに薄弱なものとなった。
だが、それも男は拾ってくれた。
「そんなことはありませんよ、アフディテ。あなたが風に嫌われるなんて、ただの気のせいです。大丈夫ですよ。……ともかく、葬儀には参列してくださるのですね? なら結構です」
「うん……。ありがとう、アドニス」
この言葉を聞いて男――アドニスは去り、残ったアフディテはぬいぐるみを強く抱きしめた。
このアフディテこそがゼブの五将軍の一人であることは、一部の人間にしか知られていないことである。
温かいベッドでぐっすりと一晩眠り、テンセイ達の疲労はすっかり回復した。足を撃たれたノームのケガも、傷痕こそ残ったものの大事には至っていなかった。
今、三人はウシャス軍本部の道場にいた。いつもは軍人達が格闘訓練を行っているのだが、今はテンセイ達三人とレンしかいない。
「隊長はまだ何かと忙しい。だが、とりあえず報告はしておいた。君の要求と目的を、昨日聞いた範囲でな」
「ありがとう、先輩」
会話をしながら、テンセイは後方へ飛びのいた。その腹をノームのナイフがかすめる。すばやくテンセイは右手に握った竹刀を振り上げ、ノーム目がけて叩きつける。が、ノームはナイフでそれを受け止めた。
「そして隊長と話し合った結果を今から君達に伝えよう」
「ああ」
もう一度竹刀を振りかぶる。その隙にノームはテンセイの懐に飛び込んできた。とっさにテンセイはヒザを突き上げる。太いヒザがノームのアゴを打ち、跳ね飛ばした。
「いだッ……!」
「やめた。やっぱりオレは素手で戦うのが性にあってる」
テンセイは竹刀を納めた。剣を使ってみようかと思って試していたのだが、やはり急には使いこなせないようだ。ちなみに、ノームが今握っているナイフも木製の模造品である。
「オッサーン、剣の練習してんのに蹴りはないだろぉ。いてて……」
「悪いな、ノーム」
「剣での戦闘には蹴りの技術も必要だ。さて、テンセイ君。君の要求だがな……結論から言うと、『可能』だ」
可能。それはつまり――。
「空を飛ぶ手段がある、ということだ。とある『紋付き』が、複数人をつれての長距離飛行を可能とする能力を持っている」
「本当か!?」
「ああ。というよりも、現存する機械技術にその能力をプラスすることで可能にしている、と言ったところだな。その能力だけでは不可能だが、機械と合わせることで……」
「何でもいいぜ。とにかく、空を飛べるんだな!? オレを連れて!」
「四、五人程度までなら、同時に飛行できるそうだ。だが、問題がある」
レンはいったん言葉を止めた。そして、トーンを低く落として再度口を開く。
「その『紋付き』とは……我がウシャス軍の三大幹部・クドゥルフ様だ」
「幹部……」
「そして、今クドゥル様は東の支部におられるのだが……問題はそこで起きているんだ」
レンの額に汗が浮かんでいる。眉をひそめ、嫌悪感をにじみ出している。
「その東にある支部が、今、包囲されている。クドゥル様と支部の軍人数十人が、敵に監視されて動けない状態になっている」
「監視? まさか、すでにゼブが!?」
「違う」
――まだ、ゼブの方が良かった。
「その敵は……ゼブよりもっと恐ろしい。本当に何を考えているのかわからない。そして何よりも強い! よりによってアイツらが、あの五人が! 東の支部を狙っている!」
『フラッド』!
黒いコートの集団が、またしても立ちふさがったのだ。