第69話・帰ってきた希望
かつて、一部の軍人がウシャス王族への反乱を企てたことがあった。――組織というものは、規模が大きくなるほど反乱分子も発生しやすくなる。長い歴史を持つウシャス王国では、この事件に限らず、反乱へつながるような思想や行為は昔から存在していた。ただ、従来のそれらは非常に小さく、弱い力であった。この事件の時は違った。王族への反感を抱く複数人の軍人達が月日をかけて同士を募り、勢力を高めていったのだ。(少なくとも表面上は)国家間の戦争もなく、力を持て余した軍人たちの暴走。
それをたった一人で鎮めた男がいた。男は武器を一切持たず、反乱の旗を掲げる軍人たちの前に立ちふさがり、説得を始めた。反乱分子の一人が利く耳も持たず、男に向けて発砲し、弾丸は男の左耳を吹き飛ばした。だが、それでも男は説得をやめなかった。やがて一人、また一人と、心を変え、反乱は未然にふさがれた。
男の名はクリフ・トゥエム。普段は口数の少ない男。トゥエム家はウシャス王国の建国当初より優秀な軍人を輩出している一族。クリフもまた、一族の肩書きに恥じぬ実力と人望の持ち主であった。しかし、クリフは悩みを持っていた。それは子宝に恵まれないことであった。結婚してから五年の月日が経つまで、トゥエム家の新しい跡取りは生まれてこなかった。生まれてからも問題はあった。生まれたのは女の子だった。そしてさらに、難産の影響により、妻は二度と子どもを産めないからだとなってしまったのだ。
クリフは娘にラクラと名を付け、自分の跡取りにすると決めた。女性という軍人としては身体的に不利な条件を承知しての決断であった。
「我が娘よ……よいか。『軍人』として生きるうえで、最も重要なことは何だと思う?」
ラクラがウシャス軍に入隊した日、クリフはそう尋ねた。ラクラはすぐには答えられなかったが、やがておずおずと口を開いた。
「……『任務を確実に果たすこと』ですか?」
それを右耳で聞いたクリフは静かにうなずき、こう付け加えた。
「確かにそれはある。任務の完遂は何よりも優先しなければならない。……だが、重要なのはその根底にあるものだ」
「根底……?」
「それは『誇り』だ。ウシャスの王族と民を守るという大事な役割を与えられたことに『誇り』を持つのだ。『誇り』さえ持っていれば、任務の完遂は当然として、今、己が何をすべきなのか、どこに向かうべきなのかが自然に見えてくる」
口数の少ないクリフのこの言葉は、娘ラクラの記憶の中に深く根付いた。そして現在のラクラを支える柱となっている。
ふた月にも満たない間に起こった、ゼブからの干渉事件。ゼブに先手を奪われ続けながらも、ラクラは戦っていた。想像以上に周到なゼブの策に必死に抗っていた。
「隊長。あいつらが到着しました」
ウシャス軍本部の幹部専用個室。扉の外から聞こえてきた声で、ラクラは机上の書類から目を離した。
「今、ちょうど中庭に入ってくるところです」
「ええ、わかりました。すぐに行きます」
手早く書類を片付け、席を立つ。立ち上がった直後、軽いめまいを感じた。――疲労してることを嫌でも自覚させられる。実際、ここ数日の間ほとんど睡眠をとっていない。
扉を開けると、そこには目の下にくまをこしらえたレンが待っていた。
「レン。貴方、少しは仮眠をとったらどうです?」
「隊長こそ」
激務に追われて寝不足の二人は、中庭へ向かうべく廊下を歩く。
「しっかし、あいつらから連絡があった時は驚きましたなァ。正直言って、もうダメかと思ってましたよ」
「フフ……。私は信じていましたよ。彼らもまた……私の誇れる仲間ですから」
中庭に出ると、一台の護送車が門の前に停まっていた。二人が車に近づくのとほぼ同時に、後部座席のドアが開いた。
「ただいまっ! おねーちゃん!」
疲れを吹き飛ばすような明るい声が、車から飛び出してきた。癒しと言うより他ない存在。それが、ラクラの胸に飛び込んできた。
「おいおいコサメ。ちゃんと運転手にお礼言ったか?」
「ただいまーッス。隊長」
コサメ、テンセイ、ノーム。ゼブへ連行された三人が、ウシャス軍へ帰って来たのだ。
「おかえりなさい。みなさん」
この三人の帰還は、ラクラとレンにとって大きな救いとなった。少なくとも、ゼブの予定外の結果ではある。ようやく一矢を報いたという事実は、士気を盛りたてるに十分なものだ。
「よく戻ってこれたもんだな。あの軍事大国と狂科学者から」
レンの表情にも安堵と感心の色が浮かんでいる。
「ま、色々と……。細かい話は後でゆっくりします」
「それより、隊長さんよォ……」
テンセイがラクラに声をかける。
と、それを阻むものがあった。ぐぅ、という間の抜ける音だ。
「おなか、すいたー……」
コサメが言った。と、再びコサメのお腹がぐぅ、と空腹を訴えた。ぷっ、とノームが噴き出す。釣られてレンとラクラも笑った。そして、テンセイも。
「ッハハハ! ここんとこロクに飯食ってなかったからなぁ! ラクラ隊長、頼んでたもの用意してくれたか?」
「フフ。ええ、ご用意させていただきましたわ。みなさんがよろしければ、早速参りましょうか」
「うん!」
真っ先にコサメが答え、またも笑い声が起こった。いまだ戦慄の渦中であるにも関わらず、あまりに無邪気で純朴なコサメの姿は一同に安心をもたらしている。
「食堂長が腕を振るってつくってくれました。とびっきりのフルコースを」
「そりゃあ楽しみだな」
「生還祝いだ、パーッといこうぜ!」
「ノーム君、テンセイ君。敬語の使い方はもう忘れたのかね」
ほんの少しだけ、平和な時間が戻ってきた。そう、本当に少しだけ。テンセイからラクラへ報告することはたくさんある。これから解決しなければならない問題も山積みだ。ただ、今だけは憩いたい。そんな欲求が誰の中にもあった。