第65話・気付かれた力
研究員達の構える銃は、足を撃たれてうずくまるノームに銃口を向けられている。だが、誰もそれ以上引き金を引こうとしない。引きたくても引けないのだ。
「男だけを、だけを、撃て! 絶対に女の子を傷つける、つけるなァ!」
サナミが声を張り上げる。研究員達が引き金を引けない理由がこれだ。ノームがコサメを抱いたままうずくまっている以上、下手にノームを撃って弾丸が貫通してしまうと、コサメまで傷つけてしまう。『紋』の効力は、『紋付き』の死亡によって消滅する。コサメが生きていないとその『紋』の研究に支障が出てしまうのだ。
「早く、早く撃て!」
「サナミ様! あの状態で男だけを撃つのは……ティース氏ほどの腕前がなくては不可能です!」
研究員の一人が言葉を返す。事実、この研究員達は、その肩書き通りにただの研究者でしかない。自衛のために拳銃は所持しているものの、特別に銃の扱いに秀でた者は一人としていない。だからこそ用心棒を雇っていたのだ。ならば、敵に近づいて力づくで引き離すか? それが一番確実だろう。だが、相手はウシャスの軍人。吸血植物の森を抜け、この研究所を混乱に陥れることが出来るほどの実力者だ。少なくとも一般研究員などよりは遥かに強い。数人がかりで襲えばどうにかなるだろうが、被害者は出る。
自分がその被害者になりたくない。平生の場合ならともかく、今この状況で負傷したとしてら、まっとうな手当を受けられる保障はない。そんな思いが研究員達の足を止めていた。
『えぇい、何を、何をしている!』
サナギとサナミが同時に叫んだ。サナミは研究員に対して、サナギはベールに向かって、だ。
「いつまで、まで、私に構っている! ベール! 今はアイツを捕まえることを、ことを、優先しろォー!」
「グル……」
漆黒の悪魔がゆっくりと動き出し、その腕のうちに護っていたサナギを解放する。地へ降り立ったサナギがさらに口からツバを飛ばしてベールへ命令する。
「ノームを引っ剥がせ、がせ! 力づくで!」
ベールは視線をサナギから外し、ノームの方へ向ける。無機質な光を放つ二つの目が、うずくまる標的を見つめる。と、その目を見つめ返すものがいた。コサメだ。コサメはノームの体の影から不安な面持ちであたりを見渡しており、ベールと視線があったのだ。
「グゥ……」
「う……」
早くしろ、早くしろ、とサナギがわめきたてるため、目が合っていた時間はほんの一、二秒程度だけであった。しかし、このわずかな間、コサメの表情からは不安と恐怖が消えていた。悪魔と対峙した瞬間、恐怖を忘れていた。
「グルルゥアアァアアッ!」
ベールが咆哮する。天を仰ぐように両手を広げ、標的に一歩近づく。右手の指に力を込める。そしてノーム目がけて右手を振り下ろした。
夜の空よりも純粋に黒く、大地のような力を持った塊が空気を裂いてノームに迫る。これでようやく終いだ、とサナギは確信した。ベールの力ならば何の苦もなくノームとコサメを引き離せる、と。相手にはこの力に抗う手段はないと確信していた。
「おおおおォおおッ!」
森の奥から飛びこんできたこの声が、その確信を打ち砕いた。声とともに銀色の物体が木々の隙間を縫って飛び出してくる。それは瞬く間にノームとベールの間へ割り込んだ。
「無事かコサメ、ノーム!」
「テンセイ!」
それの正体は、銀のマントを身につけたテンセイであった。力と力がぶつかる。ベールの黒い手のひらを、テンセイの剛腕が受け止めた。
「オッサン気をつけろ! 銃が狙ってるぜ!」
「侵入者を撃て、撃て、早く!」
サナミが再度号令をかける。今度は研究員達も行動を起こした。テンセイを狙えばコサメを傷つける恐れはない。ベールの手を防ぐのに必死なテンセイへ、一斉に銃口を向ける。
「撃てェーッ!」
ごくわずかなタイムラグで、全ての銃の引き金が引かれた。轟音が幾重にも連なって夜に響く。放たれた弾丸の大半は標的へ向かっていた。
「オッサン!」
ノームが叫ぶ。が、動けない。
テンセイの筋肉に、弾丸がめり込む。命中したのは五発。腹に二発、腕に一発、そして肩にも一発の弾丸が着弾し、肉をえぐって埋もれていく。
「ウグ、おぉ……!」
急所には当たっていないが、この状況を打破する策がもうない。弾丸を防ぐ手段は一切存在しない。
「もっと、と、撃て! 撃ち殺せ!」
サナミが叫ぶ。さらに轟音が響く。
「オッサン!」
ノームとコサメの目の前で、テンセイの肉体が削り取られていく。研究員の射撃技術があまり高くないということが、かえって長い拷問をもたらしていた。
ノームは後悔していた。初めから無謀だったのだ、と。たった三人だけでこの研究所に乗り込んできたこと、それ自体がすでに無謀な作戦だったのだと。小僧――。バランはどうした? 今どこにいる? そのことを少しだけ考えたが、すぐにやめた。仮にバランがここにいたとしても、銃を構える研究員全てを一瞬で倒すのは不可能だという結論に至ったからだ。
「待て! それ以上撃つな、な!」
誰も想定していなかった言葉が聞こえた。声を発したのはサナギである。サナギ以外の全員が不可解な発言に驚き、動きを止めた。姉のサナミでさえも。
当のサナギ自身は、テンセイを見ていた。度重なる負傷でボロボロになった肉体を……。いや、ボロボロになっているはずの肉体を。テンセイの体は確かに傷ついている。衣服が破れ、ほとんど裸の上半身は多量の血を流し、呼吸も荒くなっている。だが、それだけなのだ。
「吸血植物……用心棒ティース……そして、して、ゼブ随一の剣士・アクタイン。これらとの戦いで、で、傷ついたはずの肉体が、が! なぜこんなにも力強く動けるのだ!」
サナギの発見が全員に伝わった。ノームも確認した。森の入口付近で、テンセイは吸血植物に肩のあたりを刺された。その傷がなくなっている。
”野生の底力”などという範囲を超えた、異常なまでの耐久力と回復力。サナギはそれに気づき、目をつけた。