第62話・サナギの理論
「水は循環する、という話を聞いた、いた、ことはあるかね?」
サナギは木製のイスに腰かけ、昔話を語る老人のようにこくり、こくりと頭を振りながら話し始めた。
「天から雨が降る、降る。その雨が地表に落ちて川になり、なり、川は流れてやがて、やがて、海となる。その過程の途中で、で、水は徐々に蒸発し、水蒸気になる、なる。蒸気は空高く浮き上がって冷却され、され、やがて雲を形成して再び雨を降らせる。水は、は、この地球上をぐるぐると循環しとる、しとるんじゃよ」
「そんなガキレベルの知識が何だってんだ」
ノームが悪態をつく。
「クケ、ケ。せっかちはいかん、いかんなぁ。私だってこの子の研究を二日も我慢しとった、しとった、と言うのに。……それは置いていて、話の、の、続きだ。水は循環する。クケケ。そして、この世で循環する、する、ものは、水だけじゃあないのだよ」
サナギは語りながら両手を自分の顔の前に持ってきた。その手には白い手袋がはめられている。そして左手で右手の手袋を外し、シワだらけの手を現した。右手の甲に、『紋』が刻まれていた。
「さっきの、の、水の話は知っとったよう、よう、だな。なら、この話は聞いたことがあるかね? 知識と言うより、より、一種の説話だがね。科学と哲学にかかる話だ、だ。……クケケ。こんな説。”この世に存在する魂の数は一定”という、いう、説があるのだが、知っとるかね?」
「魂?」
「クケ。そう、魂。科学者の使う言葉ではない、ないと思ったかね? だが、これはこれで便利な言葉だよ、よ。一つの生命体、一個の生物に、に、魂というものが一つずつ存在する、という考え方は、は、一般によく知られているだろう? その魂の話だ。あらゆる生物は魂を所有して、している。生物の数イコール魂の数。この地球上に一つの魂が増えれば、れば、同時に一つの魂がなくなっている。そういう、いう、説だ」
話の先が見えない。
「それがどーしたってんだよ。結論を言え」
「先に言った”魂の数は一定”という説が正しいなら、なら、この世に存在する生物の数も常に同じ、ということだろ、だろう? クケケ。これはある程度証明されとる、とる。一種類の生物が繁殖すれば他の生物の個体数が減少する、する。クケケ。ここに初めの循環の話を合わせるんだよ、だよ。すなわち、魂は循環する。生物が死ぬことによって、よって、その生物の持っていた魂が新たな生物として、して、て、生まれ変わる。輪廻って言葉を聞いたことはないかい、かい、かい?」
サナギは興奮し始めていた。シワだらけの頬が上気し、体の揺れも大きくなっている。
「とある団体が調査したところによると、ると、七十年前ほど前から、から、世界のあちこちで生物の個体数が減少して、して、いるらしい。一種や二種でなく、ほぼ全ての生物が、が、その数を減らしている、いる。クケケ。わかるかね? かね? 地球上の生物の数が減少しておる、おるのだよ」
話の切り換えが唐突過ぎる。人に聞かせるためと言うよりも、自分の気が済むまで勝手にしゃべっているようだ。
「クケ。ある生物の数が減れば、れば、別の生物が増える。それが生物学界の、の、常識ってもんだ。だが、だが、七十年前から、なぜか生物の減少ばかりが、が、目立つようになった。無論、まだ我々の知らない生物種がどこかに、かに、存在して、それの数が増えたのかもしれん、しれん、という可能性もある。それでも、でも、やはりおかしい。あまりに生物減少の速度が早すぎる。クケケケケ。矛盾してない、ないかね? 魂の数は常に一定のはずなのに、のに」
「その説が間違ってるってだけだろ。それが結論だ」
ノームは吐き捨てるように言葉を返す。もうこれ以上サナギの熱弁を聞きたくないようだ。しかし、サナギはやめない。
「クケケ。そんな考え方も、も、確かにあるな。だが、科学者としては、しては、それだけで済ませてはいかんのだよ、だよ。説をいかにして現実にこじつけるか、るか、それが科学者の考え方だ。思い出してみたまえ。七十年前、この世界で何が起こった、た、かね。正確には、には、七十六年前だがね」
「あぁ……?」
「大変な出来事が、が、起こっただろう。クケケクケケ。私にも、君達にも関係する、する、とても大変なことが」
その時、か細い声がサナギの弁に割り込んだ。
「『もん』……」
コサメがそうつぶやいたのだ。
それを聞いたサナギはますます顔を歪ませる。
「クケクク。お嬢ちゃん、なかなか賢いねぇ、ねぇ。そう、そう。『紋』だよ。今から七十六年前に初めて、めて、『紋』の存在が確認された。生物の減少。そして『紋』。これを、れを、重ねてみると、一つの結論が出てくる、くる。つまり……!」
ドス黒い科学者はイスから飛びあがった。視線は上方へ向けれられ、両の手は空を抱くように広げられている。惚悦とも言える歓喜と興奮の表情で、ツバを飛ばしながら言葉をつなげる。
「『紋』とは魂! 本来なら新たな生命となって生まれるはずの魂が、『紋』へと変じて他生物の肉体に宿ったのだ! 一つの生命に二つの魂! その特異性が様々な不可解現象を引き起こし、それが超能力と呼ばれているのだ! これが私の立てた『紋』に関する理論であり、私の研究は全てこの理論に基づいて行われている!」
興奮が高まりすぎて一巡したのか、サナギの言葉遣いが正常になっている。だが、言っている内容自体は少しも正常ではない。
「魂と生命は密接な関係にある。『紋』の研究によって魂という存在を調べることが出来れば、それはすなわち生命の謎を解き明かすことにつながる。……生命というものを思いのままに操ることが出来るようになる」
「生命を操るだァ?」
「クケ、クケ、クケッ! そのためなら、なら、どんなことでもやってみせる! 科学において倫理や道徳なぞ紙クズほどの価値も持たん! 関係ない、関係ないィィッ! さぁ、さぁ、研究を始めるぞ!」
サナギが歩み出、コサメの肩をつかんだ。