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第59話・行き着くところ

 振り向きざまに閃いた刃は、今度こそ植物の塊を捕えた。樹皮と枝葉に覆われた植物の内輪側へ、アクタインの刀が斬り込んでいく。ナイフでバターを切るように、冷鉄な一撃は植物を裂いて行く。


 バランの刃はアクタインに届いていない。刃先が天に向けられたまま停止している。


「……バラン……! お前は……ッ」


 アクタインの顔に汗が浮かぶ。勝負はまだ決まっていない!


 ボトリ、と重いものの降りかかる感覚がアクタインの腕に走った。そう、落ちてきたのだ。バランが身にまとっていた植物が。バラン本体はさらに高く跳んでいた。左腕に樹刀を持ち、全身にまとわりついていた植物だけを斬らせて落としたのだ。樹刀は普通の刀の状態に戻っている。


「お前は……最後の最後で」


 老木のような肉体は、アクタインの渾身の一撃すらも踏み台として跳んでいた。凍った瞳に再び炎が宿っている。日の出が近いことを思い出させるような、太陽光に似た輝きがあった。


「『紋』を捨て、純粋な剣技で挑むというのかッ!」


 利き腕を失くしたバランが、一撃でアクタインんを仕留める方法は一つしかない。上空から己の体重と落下速度を乗せての斬撃。ただ真っ直ぐに――。刀を振り下ろす。限界まで絞り上げられた生命が悲鳴を上げ、口をついて叫びとなった。


 アクタインが刀を振り上げる。


「はッ!」


 声とともに鉄の打ち合う音が響き渡る。そして砕ける――!




 キャンバスに絵の具をブチ撒けるがごとく、鮮血が砂の上に流れては吸いこまれていく。吸い込みきれなかった血が溜まり、紅い水面をつくる。あれほど枯れ果てた肉体のどこにこんな血があったのかと不思議に思うぐらいの夥しい血液。


 その上に、バランの体がゆっくりと倒れた。


「……見事だ。バラン・ユーチス」


 荒い息を吐きながらアクタインが言う。その左肩の付け根からも、血が噴き出していた。あとほんの数センチ、アクタインがギリギリで身をよじらなければ、頸動脈を切断されていたことだろう。あるいは、もう少し深く刃が入っていれば、心臓まで達していたかもしれない。


「剣士にとって、己の剣を砕かれることは死に等しい。その点では……お前は私を越えた」


 アクタインの刀はバランの一撃にこらえられず、刀身が砕かれていた。アクタインは折れた刀のわずかに残った刃でバランを仕留めたのだ。


「そしてこの傷……。肩や肋骨が数本切断されている。……決して軽いものではない。お前は最後の最後で私に剣技で挑み、この傷を与えることが出来たのだ。その体でよくぞ乗り越えた」


 傷もそうだが、それ以上に精神的な疲労が体力を奪っている。全力を尽くしての戦いは一瞬の間に膨大なエネルギーを消耗するからだ。


「改めて言おう。わが弟子バランよ! お主は見事であった! 私は誇りを持ってお主を送り出すことが出来た!」


 果てた弟子を見下ろし、アクタインは声を張り上げた。そして深く頭を下げる。――師から弟子への最後の贈り物であり、一剣士として満足なる戦いをくれた礼を込めて。

 悲しみでも、怒りでもなく、アクタインの心の中には満ち足りた喜びがあった。今の戦いは全て、胸を張って心の中に刻むことが出来るものだ。素晴らしい芸術品に出会った時の喜びににている。


 だが――。


「そして嬉しいぞ、テンセイとやら。お主が手負いの相手を見て喜々と襲いかかる下衆(ゲス)でもなく、また敵の傷が深いからと言って勝負を放棄したがる阿呆でもなかったことが」


「……」


 アクタインのすぐ後ろにテンセイが到着していた。テンセイが着いた時、すでにバランは地に伏せていた。


「私がバランへ最後の言葉を贈る時間を与えてくれたこと、心の底から感謝する」


 アクタインは振り返り、刃の折れた刀を構える。テンセイとノームを始末することまでが、彼の任務だ。負傷も武器の破損も関係ない。任務を放棄する理由にはならない。アクタインの姿はあまりに痛々しい。とても戦える状態ではない。


 だが、敵を目の前にして戦いを放棄するという選択肢は、彼の人生において一度もなかった。これからも同じだ。たとえ、結末がわかりきっていたとしても。


「行くぞ」


 荒い呼吸を整え、足裏でしっかりと地をつかむ。たった今バランがやって見せたように、全ての生命力を持って対峙する。


「ッオオオォオオ!」


 テンセイが雄たけびを上げ、駆けた。アクタインのもとへ、真っ直ぐに。


 拳と刃が交錯する。


 鋼のように固めた右拳が、アクタインの胸部を直撃する。斬られずに残っていた肋骨がヘシ折れ、豪というより他ない衝撃が心臓まで達した。血液がめちゃくちゃに体内を駆け巡り、アクタインの口から吐き出された。


 刃もまたテンセイの胸に届いていた。しかし、テンセイの強靭な肉体を貫通するには、折れた刀はあまりに力不足であった。


「ガブ……ゥ」


 血ヘドを吐きながらアクタインはひざをつく。今度こそ致命傷だ。


「ガッ……、く。テンセイ、お主……バランが、お主について行くと言った理由が、わかった……。この状況で、何の遠慮もなく、攻めてこれたとは……。戦士として、一流だ」


「……あんたがそうして欲しそうだったからな。相手が戦うつもりなら、全力で勝負するのが礼儀だ」


「フ……」


 この二人が直接言葉をかわしたのは、この時が最初で最後である。だが、二人は互いの心がわかっていた。二人の距離の中央にいるのはバラン。テンセイとバランの出会いもほんの数日前だったが、テンセイはバランの人格と、その尊敬する人物について把握していた。


「この時代、この世界に、そんな考えの出来る人間がまだいたとはな……。実に、実に満足だ。満足のいく一晩であった」


「……」


「私はここまでだ。……もう、何もかも満足だ。剣に生きる人間として、果たすべき目的は一切が完結した。さらば、ウシャスの戦士よ。私は弟子の後を追う」


 それがアクタインの最後の言葉であった。テンセイは何も言わなかった。ただ、息絶えたアクタインをバランの隣に並べただけであった。


 誇り高き師弟は、敗者も勝者もともに、同じところへ旅立っていった――。


 夜明けまで、あとわずか。

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