第58話・戦士として
月がほとんど沈みかけていた。夜明けまでもうあまり間がないだろう。
アクタインは齢三十五。一般兵の家庭に生まれ、これまでの人生を全て剣にのみ注いできた。時代が機械兵器や『紋』の力を優遇するように変わっていく中、ひたすら己の技と肉体を鍛え続けてきた。どんな便利な力を持とうと、最後に勝つのは鍛練を積んだ者のみ。それを信条としていた。アクタインは『紋』を持たず、また新時代の機械兵器を使いこなすにはあまりに不器用だった。だからこそ、かえって一心不乱に剣へ打ち込め、三年前にサダム王より将軍という位を与えられた。Dr・サナギから贈られた樹刀を使わなかったのも、信条に従ったためだ。
自分で使わないかわりに、ある一種の試練の意味をこめ、愛弟子バランへ譲り渡した。すなわち、”便利な能力を持ちながら、自らの意思でそれを封印出来るか。あくまでも己の力だけで生きていくことが出来るか”という試練を。誘惑に打ち勝ち、安易な他者の力にすがることがないようにと、樹刀を渡したのだ。
(だがバランは言いつけを守らなかった。私の目を盗んではあの力を使っていた。……新しい力を手にすれば使いたくなるのは当然だが、それでは意味がない。バランは試練を超えることが出来ていない。……それなのに!)
一撃ごとに、バランの動きが鋭く、速くなっている。アクタインは、今まで一度もこんな戦い方を見たことがなかった。
バランの全身の肉という肉はしぼみ、骨の表面にぴったりを皮が張り付いている。その内側にある血管が生々しく浮き出ている。もう浮浪者どころではない。餓死した遺体を一週間も放置したかのようだ。蛆がわいていないだけまだ良いとさえ言える。長いズボンに隠れているため直接は見えないが、両脚も同じく骨と皮ばかりになっているはずである。それなのに、地を蹴る力は平生よりも遥かに強い。足が地に着いた瞬間に体重移動を終え、爆発するかのような加速をつけてアクタインへ突っ込んでいく。
(これは……『紋』の力なのか!? 身体能力をそのものを高める効果があるなどと、Dr・サナギからは聞いておらんぞ。バラン、お前は一体……)
アクタインは突きをかわし、下段から斬りかかる。しかし、神速とまで呼ばれた剣撃を持ってしても、今のバランにはかすり傷を負わせることすら出来ない。すでに相手は羽があるかのごとく宙へ跳んでいる。その姿を目で追った時、二人の目が合った。
(凍っている――)
アクタインは、バランの目を見てそう感じた。目が合ったと表現したが、正確には一方的なものかもしれない。バランの目はアクタインを見ていない。何も見ていない。ただ二つの眼球がそこに存在しているだけ。
凍った目はすぐに伏せられ、代わりに横へ払う剣が迫ってくる。アクタインは防ぐ。鋭いと言ってもまだ対処の出来ない速さではない。が、ここに来てさらにバランはアクタインを驚かせた。刃を受け止める際、キンと音が響いたのだ。今までは完全に軌道と呼吸を読めていたというのに、わずかばかり読みが遅れた。
「フンッ!」
腕力で強引に押し返す。一瞬だがバランの体勢が崩れた。この隙を逃すアクタインではない。向かって右、バランから見れば左の方から真横に剣を降る。さすがにこの間合いとタイミングでは回避出来ない。左腕ごと胴体内部の心臓を切断するつもりだ。
ガツ、と鈍い音を立ててバランの体が浮いた。自らの足で跳んだのではない。アクタインの強烈な一撃で弾かれたのだ。左腕は切断されていない。左腕が硬直し、剣を防いでいた。右腕にあった刃が一瞬で左腕へ移動していた。この時、バランの体は右腕だけでなく、ほぼ全身に植物の枝やツルが絡みついていた。植物の鎧。
「『共鳴』してる……」
バランが蚊のなくような声をあげた。しゃべると言うよりも、やっとのことで舌と唇を動かし、無理やり言葉を紡ぎ出している。
「オレの樹刀と、この森の植物は同じ……。この森と、刀が、共鳴し合っている」
この言葉を聞き、アクタインは周囲を見渡した。そこにあるのは、戦闘の始まる前と同じ、吸血植物の立ち並ぶ光景。だが、何かが違う。初めはアクタインの圧に押され、傍観者に等しい存在だった植物が、いつの間にかその雰囲気を変えていた。それはまるで神聖な儀式を見守る司祭にも似た雰囲気であった。
「師匠。オレは……オレは剣士としては、貴方の弟子としては失格なのかもしれません」
人間植物と化したバランがなおも語る。
「でも、貴方を倒して仲間の助けになる。一人の戦士としては役に立ちたい」
言い終えると同時にバランは地を蹴った。跳んだ方向は、背後にある吸血植物だ。植物の幹を蹴って高く跳び、さらに枝を蹴って他の木へ飛び移る。
速く、しなやかな軌跡を描いてバランは舞う。鳥の体から抜け落ちた羽が風に吹かれて舞うように。ふわりとした優美ささえも放ちながら飛びまわる。
これで最後の攻撃。決着だ。アクタインの心の内に、バランからのメッセージが届いた。次の攻撃で貴方を倒す、と同時に、自らの命すらも終わりに近い、というニュアンスすら込められていた。
「いいだろう、バラン! これで決着としてやろう!」
アクタインは宣言した。そして目を閉じる。目まぐるしく跳び回るバランを一々目で追うのはやめたようだ。音と気配で位置を察する。これ以上樹刀の正体を探るのもやめた。バランがアクタインを越えることに全霊をかけているように、アクタインもバランを斬ることだけに専念することにしたのだ。
一回、二回、バランがアクタインの周囲を跳ぶ。まだ来ない。勝負は一瞬。師匠と弟子の行先はここで完全に分かれる。片方は勝者へ、片方は敗者への道。
三度目にアクタインの背後へ来たとき、バランは方向を変えた。右腕に抱えた刃を上段に振り上げ、背後から己の尊敬する師匠へと迫る。
アクタインが振り返る――!