第57話・マリオネット
ビクリ、ビクリと脈を打つように樹刀の枝がうねり、バランの体に絡みついて行く。本来右腕があるべきところに、禍々しい植物に覆われた刃が光っている。まさしく一心同体と言えよう。
「……愚かな」
ため息まじりにアクタインは口を開いた。
「自分が何をしているのかわかっているのか? なぜ私がその刀を嫌い、ほとんど使わぬままお前に譲ったのか。その意味を理解しているのか?」
樹刀はバランの肉体を培地とし、力強い存在感を放っていた。だがその一方で、バラン自身の生命力は急激に薄れている。顔の骨格が見て取れるほどに頬が凹み、まるで五日も何も食べていない浮浪者のようだ。破れた衣服の隙間からのぞく筋肉もすっかり痩せ、皮と骨だけの状態に近い。顔色も悪く唇がひび割れている。枯渇した唇が動き、かすれた声が漏れる。
「理解……しましたよ、もう。何もかも。嫌になるほど思い知らされました」
やつれた体で懸命に刀を支えている。足が震えているのは重みのためか、それとも恐怖のためか。いや、どちらでもない。バランはの目は笑っていた。長い雨がやんで太陽がのぞいたかのような、晴れやかな笑みだ。
「自分が逃げてるってことも、将来を何も考えてないってことも、全部痛感しました。オレは全然まだまだ未熟だってこと……。でも、理解して受け入れたら、何か……楽になりました。目をそらし続けてきた現実に改めて向き合ってみたら、悲しいぐらいに、色々と開き直れました。本当、泣きたくても泣けないぐらいに悲しい事実ですけど、ともかく肝をくくることが出来ました」
「くくった結果がこれか? 術者の生命力を奪う刀に、自分の身を堕とすことが?」
バランの脳裏に、テンセイ達の顔が浮かぶ。彼らの表情は真剣そのものだ。たった一人の少女を救うためにあえて危険に身を投じ、しかも道を引き返すことを考えない。彼らはいつも前だけを見ていた。自分は後ろを気にしてばかりいた。これからは変わりたい。変わる。
「私には捨て鉢になっているだけにしか見えんな。自暴自棄というやつだ」
「違う。『向かって』いるんです。たった今決めました。オレは貴方を倒す。そして研究所へ行ってあの女の子を助ける。……Dr・サナギのやり方は間違っている。だから、オレは奴にこれ以上勝手な研究をさせない。こんなガキが何をのたまうのかって思われるでしょうけど、自分の研究のために平気で人を踏み台にするサナギは間違いなく『悪』だ。バンダナのにーさんや、オジサンは、いつか必ず悪を止める。オレに出来るその第一歩は、貴方を倒すことです」
「……」
「貴方に勝って仲間を助けるためなら、オレは何だってやります。今はとにかく貴方を倒すことだけが……オレの人生の最優先目標です」
「……そうか。ならば剣で示せ」
アクタインはそれだけを言い、口を閉じた。
視線がぶつかり合う。圧倒的な実力を持つ師と、命を削る弟子。二人は動かない。気がつけば、アクタインの放つ気迫とバランの気迫が同等のものになっている。もはやそれは気迫ではない。長年の修業を積んだ高僧のように、神聖な大気をあたりに放っていた。
もう言葉は必要ない。風が木々を揺らす音さえも虚空に溶けて消える。二人にしかわからない合図で、同時に動いた。
バランの刀が上段から襲う。アクタインは呼吸を合わせて受け流すが、互いの刀が触れ合った瞬間、飛び出した触手がアクタインの腕に絡みついていた。素早く手首を返して触手を断ち、突きを繰り出す。
突き出された刃の先にバランはいない。重い樹刀を地へ突きたて、やせ細った肉体は刀を足場にして宙へ跳んでいた。肉体が放物線を描いて飛ぶのに合わせて根が伸長し、バランが着地したときには、肉体と刃の間にアクタインを挟む形になっていた。足が地面に着くと同時に刃が浮き、バランのもとへ戻ろうと空を裂いて走る。刃がアクタインの胴体に達する寸前、伸びた根が切断されて刃ごと地へ落とされた。続けてバラン本体に向けて白刃が閃く。鉈のように重いが鈍くはない。剃刀のように鋭いが脆くはない。剣と技、ともに洗練された一撃が閃光となってバランに迫る。
甲高い金属音。バランの右肩から新たに刃が生じ、アクタインの一撃を防いでいた。刀身部分の再生も可能らしい。ただし、切断された方の刃はいつの間にかただの植物へと還っている。
(……同時に複数の刃を持つことは不可能なようだな。刃の数は常に一つのみ!)
アクタインは瞬時に樹刀の能力を把握する。
だが、バランの動きに関しては理解できない。生命力が弱まっているはずなのに、明らかに先ほどよりも動きが鋭くなっている。ロウソクの炎は消える瞬間が最も強く輝くというが、それと同じなのだろうか。刻一刻と生命を失くしながらも、動作は徐々に洗練されていく。まるで、己の命を死神に渡す代わりに、アクタインを道連れにしているかのように。
――死神の操り人形。さらに宙を跳ぶバランの姿を、アクタインはそう感じた。
発達した鼻が過剰に悪臭を感じ取るが、そんなことに構ってはいられない。テンセイは銃使いの用心棒・ティースから奪ったマントを身にまとい、夜の森を走っている。方角は月の位置で測っていた。マントの放つ臭いの効果で吸血植物は襲ってこない。研究所へ向かってひたすら走っている最中に、異変を感じた。
「何か……何かイヤな予感がしやがる! クソ、何かわからないがとにかくヤバい! この先にヤバいことが待っている! 研究所じゃない、そこへ行く途中にだ!」
アクタインとバランの戦いによる物音はまだ聞こえない距離だが、テンセイの五感の一部が、大気中に混じる圧力の存在に気づいていた。奇妙な感覚が全身の神経に駆け廻り、マントの悪臭以上に戦いの臭いを感知している。
「ノームはすでに研究所に着いているから違う。となるとあの小僧、バランだ! バランが誰かと戦っている! しかもこの予感……とにかく急ぐしかない!」
砂を巻き上げつつ、テンセイは全力で駆けた。