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第54話・圧

 かつてのユーチス家は、大河の周辺に存在する大規模農園の領主であった。砂漠に囲まれた大陸の中央部で、唯一農業が可能となる土地。そこを治めるユーチス家の権力を強大なものであった。


 だが、栄華は長く続かない。安定した食料供給の場は、ゼブの勢力拡大において真っ先に目をつけられることとなった。平穏な農場は瞬く間に支配され、ユーチス家の権力も一度は地に落ちた。ただ、決して反抗せず、徹頭徹尾ゼブの言いなりとなり続けることで一族の滅亡だけは免れた。それは名誉とプライドを引き換えにしての延命であった。ゼブからの侵略に対して武力の反旗を翻す者は大勢いたが、ユーチス家は初めから白旗を掲げていた。故に被害も最小に済み、ゼブに支配権を握られながらも領地を治めることが許された。ユーチス家に対する周囲からの軽蔑と嘲りは絶えない。一族の当主は徹底した態度でそれを無視して来た。名誉よりも実益を求める男であった。嘲りを真に嫌がり、苦痛に感じていたのは、当主の二男――バランであった。


 バランが物心ついた時には、すでに一族はゼブの所有物となっていた。つまり、バランは物心ついた瞬間から「裏切り一族の人間」という汚名を着せられていたことになる。バランはそれに耐えられる人間ではなかった。四つ年上の長男が家督を継ぐと決定した時、自分は武芸で身をたてると決心した。幼少時から独学で剣の修業をしており、腕には自信があった。そしてゼブの最高剣士と噂されていた軍人・アクタインのもとへ弟子入りしたのである。自分がゼブにしがみついているんじゃあない。ゼブが自分の実力を必要としているから、その存在を認められているんだ。いつか、胸を張ってそう言えるようになるため――


「研究所まであとどれくらいだ……!? もう一キロは走ったと思うけどさ」


 ノームが研究所への潜入に成功し、テンセイが刺客を退けた一方で、バランはただひたすら夜の森を駆けていた。時折吸血のツルが襲ってくるが、走り続けている限りはなかなか当たらない。仮に届いたとしても、肉体に触れる寸前に斬り落とすことが出来た。


 森の中は、真っ直ぐに進んでいるつもりでもわずかに方向感覚がズレる。左手に持った方位磁石を月明かりに照らしつつ、バランは南西へ走る。


「バンダナのにーさんが先に行ってるとはいえ、あのお嬢ちゃんをサナミにさらわれたのはオレの責任だ。早く行かないと……!」


 アクタインのもとで剣を学んだ六年間は、決して辛いものではなかった。無論、修行そのものは非常に厳しかったものの、日に日に自分の腕が上達していくことが楽しかった。無心に剣を振るっている間は、一族の汚名や劣等感から逃れられた。いずれは自分も将軍としてのし上がっていけるかもしれないとさえ思っていた。


 Dr・サナギから、忌まわしい刀が贈られるまでは……。


「――ッ!」


 『圧』。バランは足を止めた。足だけでなく呼吸までもが、見えない手でふさがれたかのように停止しそうになる。真正面から突風を浴びた時の感覚に似ている。早まる動悸を懸命に抑えつつ、ゆっくりと呼吸を再開させた。だが、まるで深海にいるかのように空気が重い。声を上げるどころか物音一つ立てるにも抵抗と罪悪が伴う、重苦しい大気。


 吸血植物が動かない。完全に足を止めた獲物がいるというのに、植物はツルを放たない。山野に生える一般の木々とまるで変わらない。大気は植物さえも圧倒していた。


(こ……れは、まさか)


 バランには一度だけ経験があった。この大気に飲み込まれたことがあった。それはアクタインのもとで修行をしていた時のこと。アクタインとともに砂漠を横断中、砂蛇に襲われ、バランが窮地に陥った時。この大気が周囲に展開した。そして、その次の瞬間には砂蛇が一刀両断されていた。


「お前一人か……。邪魔が入らないのは好都合だな」


 森の奥から声が聞こえる。そして暗がりの中に一人の影が見えた。影が一歩近づくごとに、大気の密度が増していく。『紋』の能力ではない。真に道を極めた者だけが体得できる、異様なまでの気迫と闘志が大気の正体だ。


「し……師匠……」


「師匠? お前はもう私の弟子ではない」


 紺の着物を身にまとい、腰に刀を差した男――将軍アクタイン。バランの反乱に気づき、追いついていたのだ。


「お前はもう、我が国を裏切った反逆者だ。我々が苦心の末に捕らえた獲物を逃がすとはな……」


「オ、オレは! サナギのやり方が気に食わなくて……!」


「黙れ」


 アクタインの声は、恐ろしいまでに静かだ。それでいて鉄のように重い。


「……何を、しに、ここへ……」


 愚問だ、とバラン自身で思った。アクタインは何をするためにこの森へ来たのか。考えなくてもわかる。この大気が証明している。だが、考えたくない。それ以外にありえないとはわかっていても、そうであってほしくない。(つたな)い懇願。


 アクタインは一瞬で否定した。


「決まっている。反逆者を始末するためだ」


 ああ――。聞いてしまった。確定してしまった。もういっそのこと、今すぐこの場に隕石でも落ちて全てメチャクチャにしてくれないだろうか、とさえバランは考えた。それほどまでに避けたかった事態だ。ゼブを裏切ると決めた瞬間から、心の片隅では想定していたはずなのに、本当に隅の隅まで追いやって直視しなかった事実。


「テンセイやノームと言ったウシャス人も始末するが、まずはお前からだ。私が直々に始末してやる」


 始末する、とアクタインは言ったが、それはもうすでに始まっていた。本気で戦うときにしか見せない闘気で、バランの精神を圧迫しているのだから。バランは今のところ何とかこらえているが、少しでも気を緩めればすぐにパニックになりかねない。そうなったら一瞬のうちにアクタインがバランを断つ。


 剣術の極意・一刀両断。アクタインの剣技は、居合いの構えからそれを可能としている。一瞬でも緊張が切れれば即死――。それは、天才剣士と呼ばれたバランを恐怖へ突き落すのに十分なシチュエーションであった。

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