第5話・盗人ノーム
(”おうと”ってどんなところだろ……)
水平線を眺めつつ、コサメは考える。
(この町より、もっとおっきいのかな)
考え出すと、イメージが次々と湧き上がってキリがない。そして「答え」が欲しくなる。
(テンセイにきいてみよっと。でも、まだおしごとしてるかな……)
コサメは後ろを振り向き、テンセイを探す。が、ある奇妙なものを見つけ、視線はそれに釘付けになった。
「たぬき……?」
体長50センチ、灰褐色の体毛をした小型の四足動物が、コサメのすぐ後ろに迫り、視線を合わせていたのだ。コサメは村にいる時にタヌキを見たことがあり、今目の前にいる生き物がそれに似ていたため「たぬき」と認識したようだ。
だが、明らかに不自然な光景だった。山中の村ならともかく、地面の舗装された港町にタヌキが存在するのだろうか。
「だれかがつれて来たの?」
声をかけてみるが、当然反応はない。視線をコサメに向けたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「なにか用?」
敵意はなさそうなので、コサメはその動物を両手に抱えてみた。見た目よりもずいぶん軽い。だが、その獣は、コサメが知っているどんな動物にも当てはまらない奇妙な特徴を持っていた。
指だ。
獣の灰褐色の背から、人間の指のようなものが生えている。さっきまではなかったものだ。指はうねうねと動き、少しずつ背中から生え出していたのだ。やがて、指だけでなく手のひらまでもが現れ、しまいには男性のものと思われる腕が出現した。
「わっ!」
驚いたコサメが慌てて獣から手を放すと同時に、獣は素早く飛び上がり、背中の腕がコサメの髪に触れた。
「わあッ!」
「コサメッ!」
ドカドカと荒い足音を立てながらテンセイが走ってくる。獣はその方をちらりと見、きびすを返して逃げ去った。その背には、すでに腕はなかった。
「コサメ、どうした? 急に叫んだりして」
「へ、へんなたぬきが……」
何が起こったのか把握しきれず、コサメは必死に説明しようとする。が、それはテンセイによって遮られた。
「おい、髪留めはどうした」
コサメの髪から、髪飾りが消えている。左右の髪を束ねてとめていた、竜の形を模した金細工の髪飾りが片方だけなくなり、右側の髪がほどけていたのだ。
「海に落としたのか?」
言ったあとに、それはありえないということに気付く。コサメは就寝と入浴時以外は髪留めを外さないからだ。
「うでにとられた……」
「腕?」
「おいっ、アンタ達! 無事か!?」
テンセイを雇った男が、緊迫した表情で声をかけてきた。
「何か盗まれなかったか!? 今、小汚いムジナがいただろ!」
「あ、ああ……。この子の髪飾りを盗られたらしい」
テンセイが説明すると、男の顔がみるみる赤くなる。
「クソッ! ノームの野郎、またやりやがったな!」
「ノーム?」
「この町に住んでる悪ガキさ。昔っから『紋』を使って悪さばかりしてやがるロクデナシ野郎だ!」
「『紋付き』なのかよ。それじゃあさっきのが……」
「あの”ムジナ”がノームの能力だ。盗まれた物、早いとこ取り返さねぇと売り飛ばされるぞ!」
と、その時だった。建物の陰に潜む”ムジナ”をテンセイが発見したのは。ムジナは港にとまっている一艘の舟を見ているようだった。
「おいッ! アレだな!? とっつかまえてやる!」
叫ぶと同時にテンセイがコサメを背負って走る。距離2〜3メートルのところでムジナがそれに気づき、素早く飛び出して逃げだした。
「待て! コサメの髪飾りを返せ!」
追いかけっこが始まった。ムジナは野生のそれよりも足が早く、しかも体が小さいために捕らえにくい。が、テンセイも並の男ではない。野山を走り回ることで鍛えた脚力は、その巨体に似合わない俊敏な動作を可能としていた。狭い港での追いあいはラチがあかず、やがてムジナは街の方へ逃げだした。
「待ちやがれッ!」
広い街道ならテンセイに有利かと思われたが、通行人が障害となった。ムジナは人の足元を通り抜けられるのに対し、テンセイは人を避けなければならない。もっとも、全力で走るテンセイを見た人間は大抵驚いて自ら退いたが。
「テンセイ、だいじょうぶ?」
「このままじゃ逃げ切られちまうな……。しゃあねぇ!」
テンセイは走りながら身をかがめ、小石を拾い上げる。そしてムジナの走行軌道を予測して思いきり投げつけた。
「ぎゃぅ!?」
「よっしゃ!」
「あたったー!」
命中した。足を直撃したらしく、地面に転がって走れなくなっている。
「普通の獣ならともかく、『紋』の力で生まれた化け物なら容赦しねぇぜ」
うずくまるムジナに近寄り、両手でしっかりと捕まえる。ムジナは必死に身をくねらせて脱出を試みるが、この怪力に捕まったらもう逃げられない。
「髪飾りはどこだ? どっか他のところに隠したのか? ……ま、どっちみちこうやって捕まえておけば、お前のご主人のノームって野郎と交渉できるからな」
ムジナを繰り出した張本人を探すべく、テンセイは立ち上がった。その時である。
「交渉なら必要ねーぜ。あんな金になりそうなブツを返すかよ」
若い声が聞こえた。
「誰だ!?」
テンセイは周囲を見渡すが、発言者らしい人影は見られない。少なくとも若い男はいなかった。
「なんだ……」
「テンセイ、たぬきが!」
「タヌキじゃねぇ! ムジナってんだぜ、嬢ちゃん」
ムジナの口が動き、それに伴って先ほどの声が発せられている。
「こ、こいつがしゃべってんのか!?」
それだけではなかった。ムジナの背を覆っている体毛の一部が、ぷくりと盛り上がったのだ。いや、よく見ると体毛ではない。それは銀に輝いていた。ムジナの背から浮きあがってきたもの、それは刃渡り15センチほどのナイフであった。
「うおッ!」
「テンセイ!」
港でコサメの髪飾りを奪った腕がナイフを持って出現し、テンセイの顔面に向けて突き出される。とっさに顔をそらしてナイフをかわしたものの、一瞬の隙をついてムジナは手から逃れ、再び逃走を開始する。
「あっぶねぇ……」
ムジナは、あっという間に町の雑踏へ消えてしまった。