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第37話・手遅れ

 中庭の事件と同時刻、一人の男が、ウシャス軍本部へと向かって歩いていた。濃茶の髪をオールバックに固め、高級スーツに身を包んだ姿は一見すると貴族の若旦那のように見えるが、そのスーツの下には防弾具を着こんでいる。そして何より、用心深い眼差しや歩調が、この男がただの若者でないことを証明している。


「……間に合うだろうか」


 男は、無理やりにでも車で来なかったことを後悔していた。出来うる限り走り、一刻も早く本部へ到達したかったのだが、長距離故に叶わない。


 目的地まであと数百メートル。男は、汗を拭いつつ最後の直線を急いだ。




「契約、とは? 私は何も聞かされておりませんが」


「おや、そうでしたか。では私が説明いたしましょう。我々とウシャス政府の間で交わされた契約の内容を」


 ストラムの傍らに控えていた秘書が、カバンから一枚の書類を取り出す。それには確かに、ウシャスとゼブ、双方の印が押されていた。


「『もし、このウシャス領土内において、ゼブの使節団が人為的に何らかの肉体的被害を負わされた場合、ゼブ使節団は加害者のウシャス人を拘束連行する権利を与えられる』……要約すると、こんなところですかな」


「な……ッ! そんな一方的な」


 思わずレンが声を張り上げる。あまりに身勝手な内容だ。


「しかし、ウシャス政府は確かに承認されましたぞ。なんなら政府へご確認なさってください」


 ストラムは表情を変えない。コサメ誘拐が失敗したときの保険であると同時に、外交においてゼブが有利になるよう、初めからすべて計画済みだったのだ。


 だが……。


(ウシャス政府が承認した? また嘘か? 採掘場で死んだ男とは違い、今回のは嘘をつけばすぐに嘘だと証明されてしまう。それなのにこんなことをのたまうか……)


 この場にいるウシャス側の人間は、全員同じことを思った。秘書の持つ契約書は当然偽物だと思っていた。


 真実は意外にも早く知らされた。認めたくない真実を持って、ある人物が来訪したからだ。


「トゥエム! ラクラ・トゥエムはいるか!」


 正門から男の声が響いた。先ほどの男が本部へ到着したようだ。


「ヤコウ様! なぜこちらへ!?」


 真っ先にレンが反応した。中庭へ姿を現したスーツ姿の男。テンセイとノームは知らないが、この男こそ、ウシャス軍においてラクラと肩を並べる重要人物であった。


 ストラムが例の大仰な手振りで男を迎える。


「これは、これは。光栄ですなぁ。ウシャスの三大幹部が一人、ヤコウ殿ではございませんか。二人の幹部が揃う場所に居合わせるとは、実に貴重な体験です」


 ヤコウはストラムへ一礼を返すが、すぐに視線をラクラに向ける。


「トゥエム。この状況からすると、どうやら私は間に合わなかったようだな」


「何故あなたがここに? あなたは南部地方の支部にいたのでは」


「ああ。今回の会談は全て君に任せるつもりだった。ただの状況説明だけだと聞いていたからな。だが、昨日、私はちょっとした用事で政府官邸へ出向いた。そしてある情報を耳にした。我々にとって実に都合の悪い情報をだ」


「まさか……契約のことでは?」


 ラクラの額に汗が流れ、ストラムの口元に歪んだ笑みが浮かぶ。ウシャス政府に確認を取るまでもなく、話の裏付けがされた。


「契約のことでしたら、私がたった今説明したばかりですよ」


 ヤコウは耳を貸さず、そのまま続ける。


「……政府に手落ちがあった。契約を交わしたが、そのことをトゥエムに知らせていなかった、という手落ちが。私は大至急君に連絡を取ろうとしたが、なぜか通信機器が故障して使用していたらしく、技師に無理だと言われた。仕方なく政府の車を借りて来ようとしたが、警備のゴタゴタがあってこれも断られた」


(『手落ち』……? そんな言葉で済まされる状況ではない。これはあまりに――)


「話はもうよろしいですかな。とにかく、我々は契約に基づいて権利を使わさせていただく」


 ストラムの言葉に合わせて、ゼブの護衛官が一斉に動いた。三階にいるバランを除いた四人の男が、テンセイとノームに向かって歩み出す。


「フ……フザケんな! 何でオレ達が捕まらなきゃならねぇんだ!」


「納得できねぇな」


 ノームは立ち上がり、ナイフを構えた。いくら契約だからと言っても、このまま犠牲になることは避けたかった。テンセイも同じだった。先に危害を加えてきたのはゼブの方だ。しかし――。


「抵抗するなノーム!」


 レンが叫び、急いで二人へ駆け寄った。


「国家間の正式契約を破ってみろ。ゼブにウシャスを攻撃するきっかけを与えることになるんだぞ。大戦が起これば我が国に甚大な被害が発生する。罪のない国民が大勢巻き込まれるぞ」


「でも……!」


「こらえろ! ああ、悔しい。完全に相手に嵌められて頭に来てるのはオレも同じだ。だがもう遅い。全て……全てにおいて出遅れた。今は従うしかない」


 護衛官が近づく。最年少であるバランがあれだけの実力者だったことから、残りの四人もタダ者でないのだろう。


「では、ノーム殿、テンセイ殿。申し訳ございませんがしばらくの間身柄を拘束させていただきます。正式な処分は本国にて」


「処分だァ!?」


 なおもノームは食い下がる。いや、食い下がろうとした。


 ガン、と鈍い音が響く。レンがノームに当て身を喰らわせたのだ。


「……連れて行ってください」


「ご協力感謝いたします」


 レンにとっても苦渋の選択であった。仲間を敵に引き渡すことなぞしたくはないが、あくまでも軍人としての任務を優先させねばならない。


「すまない、テンセイ君」


「先輩のせいじゃあねぇっしょ。それに……」


 ――ゼブに潜入するチャンスだろ。と、テンセイは考えた。コサメと引き離されることはつらいが、上手くやれば敵の内部へ切り込むことが出来る、と。ラクラにならコサメを預けても安全だ。しかし……誤算は、やはりあった。

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