第35話・猛る野戦士
ガラスの破片が太陽光を反射して複雑な光模様を見せる。光に包まれながら、コサメを抱えたテンセイの巨体が真っ直ぐに落ちていく。
「じっとしてろよ……!」
地面に触れる直前、テンセイはコサメの体を自分の真上へ投げた。
中庭が地響きを立てて100キロの体重を受け止める。重力加速によって増幅された衝撃が全身を駆け巡る。しかし、テンセイは耐えた。衝撃があるとわかっているからコサメを上に投げたのだ。
「グッ、う」
素早く体勢を立て直し、時間差で落ちてきたコサメを優しくキャッチした。建物の三階から飛び降りたにしては上出来だ。
だが安心している暇はない。割れた窓から、蜂の大群がテンセイを追って飛び出して来たのだ。
「一々相手してたらキリがねーな。コイツら、船の上で戦った海賊の蛇と似たようなモンか」
一匹ごとの力は弱いが、数で圧倒するタイプの能力だ。海賊と戦った時はノームの加勢があったが、今の状況ではそれは望めない。ノーム自身も廊下でバランと戦闘中である。
しかし、希望はある。
「あのときは船の上だったから逃げ場がなかった」
テンセイの足が地を跳ねる。行先は西棟一階、テンセイが落ちたすぐ傍の部屋だ。不用心にも開け放されていたその窓へ、身を滑りこませる。三階から出て一階に戻ったことになる。
部屋に入ると同時に窓ガラスを閉める。直後、すぐ背後にまで迫っていた蜂がガラスにぶつかり、数匹が潰れて息絶えた。窓の外を凄まじい羽音が乱舞するが、どうやらガラスを突き破るほどのパワーはないようだ。
「とはいえ……だ。このまま逃げ回るってのは性に合わねぇ。なんとかコイツらを封じたいところだな」
蜂の群れは窓の外を蠢きながら、テンセイの動きをじっと監視している。テンセイもそちらをにらみ返す。
(……?)
ふと、頭の中に疑問がわき起こった。先ほど、この催眠蜂は海賊の頭が使役する蛇に似ていると感じた。しかしよくよく考えてみると大きく違う。ある特性において、この敵の能力は海賊の能力と全く違うシステムを採用している。
それは視界だ。海賊と戦った時は、蛇を操る頭自身がテンセイの目の前に現れ、攻撃の指示をしていた。そして視界の外から接近するムジナに気づかず敗北した。蛇が船室内へ侵入してきたことから、”生物を襲う”という行動はある程度自動的なのかもしれないが、それだけだと自分の仲間まで巻き込んでしまう。少なくとも狭い船の上で使用するには不向きだ。やはり頭自身が船室を襲うよう指示し、操っていたと考えるのが妥当だろう。
「今……この状況で、一体誰がオレの行動を見れる? 逃げるオレの動きを、なぜこの蜂は正確に追ってこれる? 自動的にか? 違う。コイツらは上の廊下で小僧の言うことを聞いていた」
蜂を操っているのはゼブの人間であり、バラン以外のゼブ人は未だ会議室にいるはずだ。その人物がテンセイの動きを直接視認することは出来ない。
「つまりムジナと同じだ。ノームが、ムジナの見ている映像を自分に共有できるように、敵の『紋付き』は蜂を介してオレを遠隔視している!」
ガツン、と何かが窓にぶつかった。石だ。蜂が、どこからか見つけてきた拳大ほどもある石を数十匹がかりで抱え、破壊鎚のように窓ガラスへ叩きつけている。西棟はただの居住区のため、特別な強化ガラスといったものは使われていない。打ち付けるたびにヒビが入り、白い亀裂が走る。
「おいおい、数が多いってのはずいぶん得だな」
テンセイがそう言った直後、ガラスから石が飛び込んできた。とうとう穴が開けられたのだ。穴からぞくぞくと蜂が入ってくる。
「ほいっと」
テンセイは、穴を開けた勢いで飛んできた石を軽々と掴みとった。腕を高く上げないワインドアップの構えで、その石を窓へ投げ返す。蜂が抱え運んだ時とは比べ物にならない速度で石が滑空し、ガラスを突き破って蜂の群れを貫通した。しかし、今の攻撃はほとんどダメージにならない。それどころか侵入孔を二つに増やしたことになる。
「一瞬ひるませりゃあ十分だ!」
欲しかったのは時間だ。屈強な軍人が体を横たえられる、大きめのベッドを持ちあげられる時間が欲しかったのだ。元々太い腕の筋肉がさらに隆起し、上にかかっている布団ごとベッドを持ちあげた。壁や押し入れに角がつっかえるが、気にしている余裕はない。力任せ、荒れ狂う嵐のような怪力で窓へと投げつけた。
そう、まさに嵐だ。蜂の群れは瞬時に散開し、破壊音の隙間を羽音が駆け巡る。不摂生に溜められていた埃や木片が舞い上がり、ほんのわずかな間だがテンセイの姿を消した。次にその巨体が現れた時、蜂を操っているシューレットなる人物は背中に汗をかいたことだろう。そこは、蜂の群れのど真中であった。
当然、蜂はテンセイ目がけて一斉に襲い掛かる。
「敵が何かしらの手段でこっちの様子を見てんなら、”目”の役割をする蜂がいるはずだ。常識って奴が考えりゃあ、何百何千っつう蜂全てがカメラになるわけがねぇ。んなことしてたら見る方が大変だからな」
文字通り四方八方から蜂が迫る中、テンセイは真っ直ぐに手を伸ばした。
「『他の蜂に守られ』そして『オレからやや離れた位置をキープする』蜂。それが目だ」
海鳥が一瞬で水面近くの魚をかすめ取るように、テンセイの腕は数匹の蜂を掴んで指の中に捕まえた。捕らわれた蜂の中に、一匹だけ体の大きな個体がいる。
「目の役割であり、司令塔――『女王蜂』。確かに捕まえたぜ」
いかに急激な空中停止や方向転換を誇る蜂と言えど、それを操っているのは人間である。逃げずに前進してきたテンセイの猛攻から逃れるには判断が遅すぎた。
「こっからは賭けだ。女王蜂を失ったコイツらがどうなるか……さすがに予測がつかねぇ」
牢に見立てた指へ針が突き刺ささる。そんな精一杯の抵抗もむなしく、拳は無情にも固く握り締められた。
「ミュ……ジミァ」
か細い断末魔の声とともに、茶緑色の体液がテンセイの指から漏れ流れる。左腕にコサメを抱いたまま、テンセイは微動だにせず力を込め続けた。
――じきに嵐は消え、静寂があたりを包んだ。