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第32話・舞う悪意

「な、何だ!? どうしたんだよ!」


「眠ってる……。見張りの軍人が全員眠らされちまってる」


 東棟、コサメの部屋近くまで到達したテンセイとノームは、廊下に倒れた軍人達を目撃した。


「クソッ、やっぱりすでに何かが起こっていやがった」


 一瞬、催眠ガスのような能力を想定した。しかし、ガスならば完全に眠ってしまうまでに少し時間がかかる。これだけの人数が一斉に倒れるには不自然だ。


 部屋のドアは中年女性によって開かれていたままだ。二人はそのドアへ向けて再び走り出す。と、部屋の中から、何かが出てきた。海を連想させるような青い物体が、ちらりと部屋から出てすぐにまた引っこんだ。それが何であるか、二人はすぐに理解した。


「コサメ! 無事だったか!」


 再びそれが姿を現した。海色の髪の少女――コサメが、ふらふらとした足取りで部屋から出てきたのだ。


「よかった、お前は眠らされてなかったんだな」


 テンセイが駆け寄る。だが、安堵の表情はそう長くは続かなかった。


 コサメは眠っている。まぶたはしっかりと閉じられ、ゆっくりと寝息も立てている。眠ったまま歩いているのだ。しかも歩き方が異常に遅い。一歩ごとに頭が大きく揺れる。


「おい、どうした!? 起きろコサメ!」


 テンセイはコサメの肩を掴んで強くゆすった。コサメが夢遊病を患ったなど一度も見たことがない。


 ゆるり、とコサメの体が傾いた。テンセイは慌ててその体を抱きかかえる。その瞬間にノームが叫んだ。


「オッサン危ねぇ!」


 声と同時にナイフが閃いた。銀の刃が二度、三度テンセイの背中を走り、確かな手ごたえをノームの手へ届けた。


「コイツが……みんなを眠らせてやがったんだ」


 ナイフを納めながらノームが言う。テンセイが振り向くと、廊下の床に四つの影が落ちていた。蜂だ。黄色と黒の縞模様を持つ、野山でよく見られる普通のスズメバチ――に似ているが、その針は通常のそれより三倍は長い。いずれもノームに斬られており、すでに息絶えている。


「この針を刺して、催眠の毒みてーなものを送り込んでたんだな」


「蜂の毒っつったら、大抵は獲物をマヒさせるためのものだ。痺れさせるのと眠らせるのとは違う。……コイツが普通の蜂じゃあねぇっとことは確かだな。『紋』によるものだろう」


 しかし、なぜコサメが眠ったまま歩きだしたのか? その謎が解けたのは次の瞬間であった。


「っつ」


 何かがテンセイの手を刺した。見ると、床に倒れているのと同じ蜂が、手の甲へ針を突き立てていたのだ。それも一匹ではない。コサメの服の中から、無数の蜂がテンセイめがけて這い出している。


「なッ……んだこれはァァァッ!」


「オッサン!」


 ノームが再びナイフを振るうが、数が多すぎる。蜂は一斉に羽音を轟かせながら宙に舞い、毒液を注入すべく降りかかってくる。


 テンセイの判断は早かった。片手でコサメを抱き、蜂の群れに背を向けて部屋の中へと駆け込んだ。当然蜂もその後をついて行く。テンセイが狙ったのは、テーブルの上に置かれていたポットだった。中年女性がコサメにケーキを出した際、一緒に用意していた紅茶ポットである。固い拳が一閃してポットを叩き割る。少々ぬるくはなっていたが、中身は十分に残っていた。テンセイは砕けたポットを頭上に振りかざし、こぼれ出す紅茶を自分とコサメに浴びせた。


 蜂は液体の飛沫を嫌い、テンセイの体から離れる。コサメの服の中に残っていた蜂も、全て出て行ったようだ。


「蜂が……服の中を引っ張ってコサメを動かしてたのか。奴らのさらいやすい場所まで連れて行くはずだったんだな」


 右手の甲を刺されたようだが、眠気は襲ってこない。一匹や二匹に刺されただけでは効果が薄いようだ。ただし、刺された痛みがほとんどないということが逆に恐ろしい。いつ、どこを刺されたのかわかりにくいからだ。


 一旦は退いた蜂はしばらく天井近くを乱舞していたが、じきに攻撃態勢を立て直し、滝が落ちるようにテンセイへ流れ飛びかかった。


「クソしつけぇぞ、てめぇら!」


 テンセイは窓のカーテンを破き、布の防御壁を被ることでかろうじて防いだ。豪力を誇るテンセイをもってしても、蜂の群れに対しては身を守ることしか出来ない。しかも、カーテンは徐々に針で裂かれていく。


「ぐ……ぅぅ、のヤロォ……」


 廊下に残されたノームはさらに悲惨だった。廊下には蜂を防ぐ液体も布のカーテンもない。部屋の中へ飛び込もうとしても、その途中で間違いなく刺されてしまう。もはや何一つなす術はなく、ただ懸命に身を丸めて肌の露出を抑えるだけであった。厳粛な会議のために長そでのスーツを着ていたことが唯一の幸いであろうが、あまりにもぜい弱すぎる。


 動きを止めた獲物は、蜂にとって格好の餌食である。部屋の中にいた蜂の半数が、ノームを襲う方へ参加し始めた。直接肌が見えている部分はないかと服の上を這いずりまわり、蠢く感触と羽音の大合唱がノームの体を包み込む。

 ――地獄絵図ってのはこんなのか? ノームがそう思い浮かべたとき、誰かがそれを代弁した。


「うっわ。地獄絵図だね、こりゃ」


 間の抜けた声。ノームからは姿は見えないが、声でわかった。


「てめ、ガキ……」


「バランだよ。バラン・ユーチス」


 やはりついて来ていたのだ。布にくるんだ剣を持つゼブの少年護衛官だ。


「これは、お前の能力か!?」


「んーん。違うよ。でもそんなこと知る必要はない」


 バランは剣をベルトから外し、手に持ち変える。


「シューレットさん。こっちのナイフはオレがやるから、ターゲットの方をお願い」


 シューレットなる人物が蜂を操っている『紋付き』らしい。バランの声に反応し、蜂がノームから離れてテンセイとコサメへ襲いかかった。


「っ……オオオ!」


 カーテンではもう防ぎきれない。逃げ場は……ひとつだ。


「オッサン、コサメを連れて逃げろ!」


「負けんなよ、ノーム!」


 ノームの声に背を押され、テンセイは決断した。唯一の脱出口・窓の外へ、ガラスをブチ破って飛び出した。

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