第31話・会議は黙す
人間が恐怖を感じるのはどんな時だろうか。自分の身に危険が迫っている時や、何か大事なものを失ってしまいそうな時。確かにそれらは『恐れ』の感情を刺激する。
だが、最も拭いがたく、簡単には吹っ切れない恐怖とは、『不気味さ』から来るものである。目の前の人物が何を考えているのかわからない、今自分の身に何が起こっているのかわからない、といった、理解できないがための恐怖というものが一番タチが悪い。相手が自分に対してハッキリと敵意を持っているのなら、こちらも警戒することが出来る。だが、相手が敵意を持っているかどうかすらわからない時――人は、何をすればいいのか判断に迷う。
今のラクラがそれに近い状態であった。
「フ〜ム、そちらの意見ももっともですな。少なくとも間違いだと断定する材料がこちらにはありません」
ゼブの外交官であるストラムは、相変わらず不敵な笑みを浮かべている。会議は一進一退、というよりも全く動かない状態であった。互いに爆死したゼブ人の素性ついて主張し合い、そちらが正しいかを見極めるのがこの会議の建前である。ウシャス側は「軍人だった」と主張し、男が着ていた軍服と銃を提示した。ゼブは「研修目的の派遣労働者だ」と言い張り、ウシャスから送られたという認可文書を提示した。
この認可文書、一見するといかにも本物に見える。テンセイやレンが嘘の報告をするわけがないと信じてはいるが、正面切って偽物だと断定するにはあまりに精巧な出来だ。
「いやはや、しかし。我々の方も退くわけにはいきませんからなぁ。亡くなった方のご家族に申し訳が立ちません。ところがそちらの言い分もスジが通ってるとなると……このままでは埒が明きませんな」
「ええ。ですが」
「いや、結構です。我々はあくまでも当事者の意見を聞きたがっただけですから。後の話し合いは、後日、改めてそちらの政府とさせていただきます」
と、ストラムは早くもお開きを要求しだした。そのことがより一層不可解な不気味さを醸し出している。テンセイ達から直に話を聞きたいのなら、わざわざ軍本部まで来る必要はない。後にウシャス政府とも会議をするつもりなら、その時に呼びつければ済むだけの話である。
では、何故軍本部での会議を要求してきたのか。思い当たる理由はひとつしかない。
その時、ラクラは何者かの視線を感じた。声を出さずに合図を送ろうとするような視線である。その発信源はテンセイであった。
「……テンセイさん? どうかされましたか」
その一言で室内の全員がテンセイを注目した。当のテンセイは、いかにも苦しげな表情である。
「すまね……すみませんが、少し、体調が……」
さらに顔をゆがめ、腹部を手で押さえる。
ほんの一瞬、ラクラとテンセイの視線がぶつかった。そしてラクラはすぐにテンセイの意図を理解した。
「席をお外しになって構いませんから、医務室へ行かれては?」
証言者としての役目は、すでに終えていた。今ここでテンセイが抜けても何の支障もない。……はずである。しかし、ゼブの面々の表情には、わずかに苦い影が浮かんでいる。
「それじゃあ……失礼します」
「あっ、オレ……私がつきそいまショウか」
カタコトの敬語を放ったのはノームだ。ノームは詳しい事情までは把握していなかったが、テンセイの様子から何か危険信号を感じ取ったのだ。ラクラは許可を出し、ストラムも仕方ない、という風に頷いた。
無論、体調が悪いなどというのは嘘である。テンセイは一刻も早く、この場を去ってコサメの元へ駆けつけたかったのだ。ゼブの『紋』が封じられていないという可能性が浮上した以上、どんな警備でも安心は出来ない。
二人は会議室を出て、最初のうちは静かに歩いた。会議室に声が届かない場所まで来たとき、ノームが口を開いた。
「オッサン、何事だよ」
「たぶん……いや、十中八九、ゼブは封輪を無効化している。『紋』が使えないと油断させておいて、今すでに何かしらの能力を使っているはずだ」
過程を省略した説明にノームは若干戸惑ったが、すぐに頭を切り替えた。
「コサメを奪うために?」
「そうとしか思えない。でなければわざわざ本部まで来るわけがない」
「だったらヤベェじゃんよ! 急がねぇと!」
「何がですかぁ?」
突如、間の抜けた声が背後から飛んできた。振り返ると、そこにはゼブの護衛官――会議の前に「バラン・ユーチス」と紹介された――武器を背負う少年がついて来ていた。
「自分も、ちょっと腹を下してまして。ついでにお手洗いまで案内してもらおうかなぁーって」
年配の女性に受けがよさそうな童顔に、屈託のない笑みを浮かべている。しかし、全身から漂わせている空気は決して和やかなものではない。
「トイレならこの突き当たりを右に曲がったところだ。さっさと行けよ」
ノームは警戒心を強めたせいか普段通りの口ぶりになってしまったが、バランは気にもせずに頭を下げる。
「どーも。ありがとうございます」
バランはノームに指示されたとおり、廊下を曲がってトイレへ入って行った。口調と同じでのんびりした動作だが、佇まいに隙がない。
もしかしたら、これからこいつと戦うことになるかもしれない――。テンセイはバランの背を見送りながら考えた。背中の武器が刀剣だとは予測できるが、どんな剣技を使ってくるのかはわからない。何故、剣を布で包んでいるのか? そこが気になった。素早く攻撃しようと思ったら、鞘に納めて腰に帯びている方がずっと良い。
「おい、オッサン。いつまでも見送ってる場合じゃあねぇぜ。早くコサメんとこの軍人に知らせねぇと」
ノームに急かされ、テンセイは思考を止めた。剣の秘密は戦えばわかることだ。
「敵の大将、もうそろそろ帰ろうかって感じだったぞ。もうすでにやられてるかもしれねぇ!」
時間はない。手遅れかもしれない。二人は駆けた。
そして嫌な予想は現実となる。二人が東棟へ走り出した頃、全員が眠り倒れた部屋の中で、一つの小さな影が、寝息を立てるコサメへと近づきつつあった。