第30話・這い蝕む夢魔
ゼブの外交長官は、ストラムと名乗った。白髪まじりの髪は上品に整えられ、礼儀作法や言葉の端々から、ベテランとしての風格が見て取れる。それだけに、顔中のしわを動かしてつくる笑みが不敵な印象を放っている。
「いやいや、国際会議とは少々大袈裟ですな。我々はあくまでも事実の調査に参っただけですから。実際の状況を説明していただければ結構です」
(何言ってんだか。会議の場を設けてくれと言ったのはそっちじゃねーか)
レンは心の奥で舌打ちした。レン自身もどちらかというと感情的なタイプらしい。が、さすがに表情はかえない。
「早く始めて、出来れば早く終わらせましょう。どうも私はこのリングが苦手でしてな。このリングの形が手錠を連想させて、まるで自分が罪人にでもなったかのような気分になってしまうのですよ」
「申し訳ございません」
ラクラが言葉を添える。
「いやいや、会議の公正さを保つには不可欠な道具ですからな。このリングのおかげで互いに『紋』を悪用することなく話し合いが出来るのですから」
そう、完全に双方の『紋』は封じられている。もし仮に「相手の意思と異なる言葉を言わせる」という能力を持った者がいたとしても、それが発揮されることはない。
だが――。本当にそうなのか? と、テンセイは頭の片隅で考えた。何か大事なことを見落としているような、そんな気がしてならない。
ラクラも同じだった。しかし、ここまで来た以上、会議を進めるしかない。
「では、まずは双方の主張を改めて確認しましょう。質問や意見はその後に」
こうして、不信を抱いたまま会議は始った。
ウシャス軍本部は、主に三つの棟からなっている。現在会議が行われている本棟、訓練施設や医務室がある西棟、そして、軍人たちの寮となっている東棟が、入隊試験の行われた中庭を囲むようにして建っている。
コサメの部屋はその東棟にあった。
「ごちそーさまでした……」
カチャ、とフォークを置き、コサメは両手を合わせる。皿の上のケーキはきれいに平らげられていた。
「おいしかったかい?」
護衛の任務を受けた女軍人の一人が、にこやかな笑みを浮かべて尋ねる。齢は30前後だろうか。母性本能を刺激され、コサメへの好意で自らケーキを用意したのだ。
「うん、おいしかった……」
「それはよかったわ」
本棟で会議が始まってから三十分後のことである。会話こそ和やかだが、部屋に満ちる空気はピンと張り詰めている。部屋には他にも二人の女性軍人がいるが、こちらは表情を硬くしたまま、窓の外やドアを見張っている。ゼブ軍に狙われた少女を守るという重大任務。少しも気を緩めてはならない。が、かと言って、必要以上にコサメを怖がらせることもはばかれる。そこで、中年の女性が給仕と話し相手の役を兼ねているのだ。
「ふぁ……」
事情を何も知らないコサメが、小さくあくびをする。絵本を二、三冊ほど読んだところでケーキの差し入れがあったため、適度にお腹が満たされて眠くなったのだろう。ふらふらとテーブルを離れてベッドに向かう。
「あら、おねむかい? ちょっとお昼寝するといいわ」
中年女性はテーブルを片づけながら言った。ふとベッドの方を振り向くと、コサメが掛け布団の上に横たわり、口の端にクリームをつけたまま早くも寝息を立て始めていた。
「あらあら、コサメちゃん。ちゃんとお口の周りを拭かなきゃ……。それに、おフトンの上じゃなくて中で寝ないと」
近寄って小さな体を抱きかかえる。と、その時であった。何かが床に倒れ落ちるような音が聞こえたのは。
何かしら――。とコサメをベッドに戻してあたりをうかがった女性は、初めて異変に気づいた。音の正体、発信源は、窓辺に待機していた若い女性軍人だった。つい先ほどまで神経を張りつめて警備にあたっていた女性が、なぜか床にうずくまるように倒れているのだ。
「ど、どうしたんだい……!?」
慌てて抱き起こすが、特に外傷は見当たらない。むしろ、ベッドの上のコサメと同じように、安らかな寝息を立ててさえいた。あまりに突然の睡眠。ただの居眠りなんかじゃあ決してないと中年女性は判断した。
「あ、あんた、ちょっと大変だよ!」
振り返って、入口のドア前で待機していた女性に声をかける。が、それはより自分の額に多くの冷や汗をかかせるだけの行為であった。ドアを見張っていた女性までもが、壁にもたれて眠りこけていたのだ。
あまりにも不自然な眠り。さらに異変は続く。顔中から冷や汗をかいているにもかかわらず、中年女性は自らの体が暖められているかのような感覚を味わった。まるで母の胸に抱かれる赤子のように、柔らかな暖かみに包まれていく。
マズい! 突如襲ってきた強烈な眠気。もう間違いない。ゼブの攻撃だ。
「だ……れか。……中、に、来て……」
廊下の軍人たちに助けを求めるべく、懸命に根性を振り絞ってドアを開ける。ドアを開けて廊下へ踏み出し――そして、絶望と恐怖のために敗北した。見てしまったのだ。廊下のあちこちで眠り倒れている軍人たちを。
完全に眠りに堕ちる直前、中年女性は考えた。『紋』は封じられているのに、なぜ? と。
『紋』を封じる封輪。発明者はDr・サナギ。発明された時期は今から四年前、”ゼブと手を組む直前”。
東棟での惨事が起こったのと同時刻、テンセイはようやく不信感の正体に気づいた。
(天才科学者・サナギ! 四年も経てば……間違いなくアレの発明やっているハズだ! いや、初めからそれを目的としてリングを発表したんだ!)
気づくのが遅すぎた。ゼブは、会議の前提をひっくり返していたのだ。
(”リングを無効化する道具”。あるいは薬品か何かかもしれねぇが、とにかく、連中の『紋』は封じられていない!)
それが答えであった。もっとも、Drサナギが開発したのは”リングを嵌められても使用できる『紋』”であったが。