第28話・準備万端?
ゼブから使節が送られてくるというニュースは、軍本部を大きく騒がせた。軍人たちの反応も様々で、ついに大戦かと意気込む者もいれば、多少の不利を押し付けられてでも穏便に済ませてほしいと願う者もいる。しかし、実際に使者との話し合いに参加できるのは、上層部と事件の当事者であるテンセイ達だけであり、その他の軍人はみな警備の任を課せられていた。
一方、テンセイとノームは、レンのもとで早朝から入念な打ち合わせをしている。もっとも、それは事件の内容とは直接関係ない打ち合わせであったが。
「え、え〜……と、次第で、あります」
「あります、じゃなくて”ございます”だ。もう一度最初からやり直しなさい」
昨日の会議では活気を見せていたテンセイとノームが、額に汗を浮かべてイスに座ってる。二人を苦しめているのはどう見ても不釣り合いなスーツだけではない。『敬語』という壁もあった。ウシャス内でならまだしも、ゼブの使者に対して普段通りの口を利いてしまってはまとまる話もまとまらない。そう判断したラクラが、レンに命じて敬語の練習をさせているのだ。
堅苦しい態度が苦手な二人にとって、これは想像以上の苦痛であった。おまけに今回の相手は大国政府の代表者なのだ。最大限の敬意を払って接しなければならない。
「わたくしが、えー、ご覧になったものは、えー……」
「”ご覧になる”は自分に対しては使わない。えー、というのも極力控えなさい」
「う、うぅ〜む……」
うめき声ともうなり声ともつかぬ音を発しながら、この七面倒で難解な言語を頭に詰め込むべく脳をフル回転させている。敬語というものは普段から使っていればそれほど問題にはならないが、滅多に使わない人間がいきなり完璧に使いこなそうとするのは無謀である。が、やらねばならない。
二人が辛く苦しい修行に励んでいる中、その隣にある建物内には晴れやかな笑顔をふりまく者がいた。そのキラキラと宝石のように輝く瞳には、一人の少女が映っている。
「それではコサメさん。今日はずっとこのお部屋にいてくださいね。用件が済み次第また来ますから」
「うん。え本よんでまってる」
言うまでもなくラクラだ。実質的にこの本部を仕切っている幹部として準備を整えなければならない立場だが、コサメのために用意した個室でいかにも楽しそうに会話している。もっとも、ただの個人的趣味だけでなく、ゼブからコサメを守るという任務に基づいた行為である。ゼブが強硬手段でコサメを奪おうとした場合を想定し、部屋の内外に複数人の軍人を配備しているのだ。
「テンセイさんもノームさんもお忙しいですから、任務が終わるまで待っていてください。そうしたら後でたくさん遊ぶ時間をあげましょう」
これは本心であった。もし、もし万が一今回の件が穏便に済むのであれば、テンセイ達に労いとして休暇を与えたいとラクラは考えていた。その可能性は薄いと知っていながらも。
「おねーちゃんもおしごと?」
「ええ」
「おわったら、おねーちゃんもいっしょにあそんでくれる?」
「えっ……ぇ」
コサメの純朴な目に捉えられ、ラクラの胸がぎゅっと締められた。己の立場からすれば安請け合いできない願い。しかし、可能ならば最優先で叶えたい願いでもある。
「……任務を一通り片付けられれば、少しだけ」
「やった!」
コサメが文字通り飛び上がってソファにダイブする。満面の笑みを浮かべてはしゃぐその姿に見とれつつ、ラクラは理性が利くうちに部屋を出ていくことにした。
部屋を出る際に、外で待機していた軍人を三人ほど室内へ招いた。招かれた軍人はいずれも女性で、コサメの世話をしながら室内で護衛する任務を与えられている。無論、廊下にも数名の軍人――こちらは男ばかりだが――が待機している。
「後は頼みます。会議が行われるのは隣の棟ですし、使者の出入りを許可するのもそちらだけですから、こちらへは堂々とは来れないはずです。それでもゼブがコサメさんを奪いに来るとすれば、『紋』の力を使って忍び込んでくることが考えられます。『紋』への対策も行いますが、みなさんも細心の注意で警備にあたってください」
「はッ!」
軍人達が一斉に敬礼する。その中には『紋付き』もおり、まず万全な警備状態だと思われる。
しかし――。廊下を歩くラクラの心中には、得体のしれない不安が漂っていた。会議でゼブがどのような態度に出てくるかわからない、ということもあるが、コサメの安否に関しても何故だか不安を感じてしまう。やはり、レンの言った通りに、コサメと護衛だけを軍本部から離れさせるべきだろうか。いや、それこそ守りを固めにくくなり、何かあった時にテンセイ達も駆けつけにくい。
そう考えている時だった。
「おしごと、がんばってねー!」
コサメの声が聞こえた。振り返ると、薄くあいたドアからコサメが顔をのぞかせて手を振っている。その姿がよほどツボに入ったのか、ラクラの顔が自然ににやけてしまう。慌てて顔を背けて再び歩き出すが、にやけた顔はすぐには戻らない。
「あぁ……。やはり、小さな子どもは可愛らしくあるべきですね……。私が軍に入るために捨てたものがこれほどまでに大きかったとは……」
「公私のメリハリが凄まじいですな、隊長」
「あら、レン。テンセイさん達の特訓は終わりまして?」
突然のレンの登場にも驚かず、冷静に対応できるあたりはさすがだろう。
「一応形にはなってきました。が、本番ではあんまりしゃべらせない方がいいでしょう。それよりも隊長、そろそろ『封輪』の準備をしときたいんですが」
「そうでした。保管庫のカギは私が持っていましたね。ついて来て運搬を手伝ってください」
「了解」
封輪。今から四年前、あの科学者・Drサナギがゼブと手を組む直前に発表した、『紋』の力を封じる腕輪である。形状は、鎖のついていない手錠といったところで、重量はそれほどないが、これをはめられた人間は『紋』の能力を使えなくなってしまう。
何故そんなことが可能なのか、それは世界中でサナギでしか知らない。だが、他国の科学者が封輪の構造や材料の成分を測り、同じものを模造したところ、その模造品も全く同じ効果を発揮した。そのため世界中の国家では、理論もよくわからぬままに封輪が製造、使用されているのだ。
『紋』を封じるという効果は公平な話し合いの場において欠かせないものである。今回の会議でもそれを利用し、公平さを得るとともに『紋』によるコサメ誘拐を防ぐ予定であった。