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第275話・両親

 ヒトにとっては深い傷も、星という巨大な生命体にとっては微々たるものだったらしい。一度は地獄の戦火に焼き尽くされた山陰も、しばらく人の手が入らないうちに新たな緑が芽生え始めていた。


「コサメ。わかるか? あそこにオレたちの家があったんだぞ」


「うん。あっちのみちをあるいて、むこうのかどをまがったらがっこうに行ける」


 テンセイにとっては第二の、コサメにとっては最も古い記憶のある唯一の故郷。ウシャス領海に浮かぶ島の山奥を、テンセイとコサメは訪れていた。


『学校? コサメは学校に通っていたのか』


 二人の傍には、黒翼のベールが守護者のごとく寄り添っていた。


「学校っつっても、村中の子どもを集めて本を聞かせたり簡単な算数を教えてる程度だ。若いころに王都の街中で教師をやってたじいさんがいてな。読み書きや計算ぐらいはみんな身につけるべきだ、ってことでコサメもそこに通ってたんだ」


『なるほど。……勉強は楽しいかい?』


「え本をよむのはすき。でも、さんすうはちょっとむずかしい」


『そういうところは僕に似たんだ』


 ベールは幼き日の自分の事を思い返し、表情の変わらない笑みをつくった。幼少の頃、ベールはどちらかといえば本の虫に近い子どもだった。兄の看病のためろくに野外で遊ぶこともままならなかった少年は、読書を唯一の楽しみにするしか出来なかったのだ。


「アイツは勉強なんか全然してなかったな。……オレもそうだけど。というかあの島にいる間は最小限の知識しか必要なかったしな」


 テンセイはあえて、特定の人物の名前を避けた。しかし、その口元には意地の悪い笑みが浮かんでいる。大国の王と拳を交えた戦士とは思えない、やんちゃ盛りの子どもの顔だ。緩やかな風が草の香を運び、テンセイの顔をくすぐる。


「この山で、オレはやっと気付いたんだ。過去をなくすことは出来ないんだ、ってな。目を背けたって消えてはくれない。正面からぶつかって何とかするしかないって初めて思い知った」


『ああ。僕も……もっと早くそれに気付いていればよかったよ』


「まぁ、色々難しいよな。こういうの」


 テンセイが空を見上げると、風に乗って飛ぶキツネの姿が見えた。コサメと並んで手を振ると、徐々に高度を下げて近づいてきた。


「すまねぇな、隊長。面倒な後始末押し付けちまって」


「いいえ。これまでの戦いに比べれば、書類の取りまとめなど些細なことです」


 キツネから降り立ったラクラが握っている文書。それは、ゼブとウシャスの停戦協定を示すものであった。


「でも、本当にありがとう。隊長が道を開いてくれたから、こうして笑っていられる」


「……よしてください。私は何も」


「ルクファールを倒して魂を解放する。それは、オレにはきっといつまでも出来ないことだった。隊長が開いてくれたんだ」


「そんな……」


 お礼代わり、とは言わなかったが、テンセイはラクラに手を差し出した。友好と感謝の握手。ラクラは導かれるままにその手を握り、薄く頬を染めた。


「ねぇ、子どもが見てるんだけど」


 わざと怒ったような声が二人の手を離させた。キツネに乗ったままのユタがつまらなそうな目でラクラを見つめている。


「そうだな。子どもが二人もいることだし」


「二人って……。あたしは違う!」


 テンセイは底抜けに笑った。コサメもつられて笑った。ラクラは微笑を湛えたまま目を伏せ、ユタは両腕を上げて怒りをアピールする。


『テンセイ。僕は本当に、君に会えてよかったと心の底から思っている。あんなに苦しい思いをしてきたのに、君のおかげで僕は救われていた。夢なんかじゃなくて、現実の幸せの中にいられた。……でももうあまり長くはもたないかな』


 ベールの言葉で、笑い声は風に流された。


「あと、どのくらいだ?」


『わからない。魂の一つ一つに個体差があるからね。死んでいった者が留まり続けるのは、実は魂にとっても辛いことなんだ。僕は一応自分の肉体に宿っているからまだ良い方だけど、一緒に宿っている魂たちは、新たな転生を求め始めている。これから少しずつ、魂が抜けだして天に登っていく』


 魂が抜け出した時、もしも近くに人間がいたならば。その魂はまた人に惹かれ、留まり続けてしまうかもしれない。だからこそベールは、人の訪れない場所を選んだ。故に、彼はこれからサイシャの島へ向かうことになっていた。この山も今は人が絶えているが、山のふもとにはノームの育った港町があり、そこの住人が万が一訪れないとも限らない。


「出来れば、もっとゆっくり話したかったけどな」


『うん、僕もそう思う。けどこれでいいんだ。僕たちはただ、本来あるべき姿に還るだけなんだから。成長したコサメと、その育った場所を見られただけでも満足だよ』


 ベールの心は満ち足りていた。生きている間は兄ルクファールに圧迫され、死後はその『紋』と肉体をサナギとサナミに利用されていた悲劇の青年は、緑深い山の中で幸福に包まれていた。


『それじゃあ、僕はそろそろ行くよ。残った魂たちを最後まで見届けるのが、僕の役目だ』


 ああ、とテンセイは言おうとしたが、すぐに口をつぐんだ。そして代わりに意地悪なほど明るい声を発して見せた。


「なぁ、いい加減出て来いよ。今さら照れることがあるもんか」


 ベールの肉体に向けた言葉は、ベールでない人物の魂に呼びかけている。しばし沈黙が続いたが、やがてかすかな、それも声の出始めだけでその後はしっかりとした口調で、これまでずっと沈黙を続けていた魂が声を響かせた。


『……ありがとう。本当に大きくなったわね、コサメ。……ねぇ、テンセイ。私も貴方やベールと一緒に過ごせて楽しかったわ。これからは、貴方が貴方のために幸せになって』


「オレの幸せ、か」


 それ以上の言葉は出なかった。風に葉が揺れる音だけが空間を支配していた。


 黒翼がマントのごとく広がり、ひと際大きな風を起こす。ユタの能力にも劣らないその風はベールの巨体を持ち上げ、空へと運んだ。テンセイはただ黙ってその様子を見守っている。ラクラとユタも同じだった。


 コサメだけが、口を広げて力強く叫んだ。


「行ってらっしゃい! おとうさん、おかあさん!」


 そして翼は南の彼方へ去って行った。

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