第266話・束縛
惨劇の舞台には闇夜や雷雨がふさわしいが、ゆるやかな陽光の下でも惨劇は行われるものである。生命の神獣フェニックスは太陽の化身だとする説は古くから存在するが、この時の一部始終を眺めていた太陽があの神と同一のものなのか誰にも断定できない。太陽は普段と全く変わらず世界に光を降らせ、それをラクラの銃が植物のように吸い取った。
ラクラの銃は、いったいどのような構造になっているのか。全体の色合いや弾倉部分の形状が変わっている他は通常の拳銃と変わらないにも関わらず、光を凝縮して破壊の力を高め、それを分散させずに発射することが出来る。この銃を分解することはラクラの『紋』を傷つけることに繋がるため、実際に行われたことはないが、おそらく分解したところで何もわからないだろう。だがラクラにとっては己の肉体の一部であり、幾度となく戦場を乗り越えてきた友である。
白い銃口は、魔王の胸に押し当てられていた。右手の銃は衣服や皮膚に跡が残るほど強く押し付けられ、左の銃は魔王のヒジを折って拳を止めていた。
「なに、」
魔王が言葉を発するより、銃の咆哮の轟く方が早かった。凝縮された光の弾丸は強固な肉体を無慈悲に切り裂き、瞬く間にそれを貫いて空の下に現れ、やがて虚空へと消えて行った。
「私は、貴方の言葉を何一つ信じません。貴方の心を汲めるほど……私は強くない」
馬鹿な、という思いは言葉にならず、魔王の体とともに船上に落ちた。海上に落ちなかっただけでも幸いだろうか。
「首を斬る、というのは間違いなくダウトです。私は貴方の姿を見失っていましたが、これだけは確実に断言できます。……今の貴方は万能ではない」
「わた……しを、私を……! 見下すなッ!」
ルクファールが言葉を返した。弾丸は心臓には当たらなかったが、確実に胸部を貫いている。フェニックスの修復能力を持たない以上、いかに魔王とて余命は長くない。見開かれた瞳が、傷の深さを物語っている。
「貴方は強い。本来なら、私とユタがいくら力を合わせても遠く及ばないでしょう。それはフェニックスの力があってもなくても同じこと。しかし、今の貴方を倒すのは難しくない」
「なんだと……」
ラクラの首は切断されていない。首を断つ攻撃など初めからなかったのだ。ラクラは全く防御の動作をせず、向かってきたルクファールに銃を向けた。その行為が魔王の隙を突いたのだと言っても間違いではないが、それだけでは魔王は倒せない。フェニックスの力と魂の重みで研ぎ澄まされた肉体ならば、まさに文字通り神懸かりの反応で回避することも難しくなかったはずだ。
「貴方の行動には希望が存在しない。自分一人の欲求を満たすだけの、暗くて深い未来しか求めていない」
「おまえ……お前ごときにッ! 何がわかる!」
「私はただの軍人です。自分の守るべき誇りの正体すら理解できていませんでした。けれど……テンセイさんを見ていて、私にも一つだけわかったことがあります。信じるべきは何よりも自分の心だ、と」
そんなことは私も知っている、とルクファールは叫んだ。かすれて半分ほど言葉にならなかったが、瞳で激しく訴えた。
「誰かを信じる時、例えどんなに相手のことを信頼したつもりでも、相手を信じる自分自身を信じていなければ完全な信頼にはならない。私はテンセイさんを信頼しているつもりでした。しかし、それは単なる甘えに近いものでした。私は……」
「戯言を……戯言をゴチャゴチャ抜かすな! お前達が信じていいのは……私だ! 私だけだ! 私を信棒することに命をかければ……それでお前たちは幸福なんだ!」
ルクファールが体を起こす。胸に風穴が開いているとは思えないほど、肉体からは生命の波動がほとばしっている。しかしそれは、風船から空気が抜けていくに近い状態なのかもしれない。
こんな感覚は初めてだった。フェニックスの力を手に入れてからは、己の不死を確認するためにあえて致命傷を負ったことはあった。テンセイや『フラッド』との戦闘でも常人なら即死するほどのダメージを受けた。それらの時は、内に秘めたフェニックスの力がすぐに傷を癒してくれた。一瞬の苦痛さえも、その後に待ち受ける大いなる粛清を思えばかえって愉悦に変わる程であった。
(バカな。何だ……何だこの寒気は。体が重い。吸い込んだ酸素がどこかに流れ出ていく。脚が震えて上手く立ち上がれない……! これは、この感覚は!)
遥か彼方の過去に、今と同一に近い感覚を味わったことがあった。八年前、ベールとともにサイシャの島を目指し、不意を突かれて嵐の海へ落とされた時だ。忌まわしい記憶の一つが、ルクファールの脳裏に鮮やかに浮かび上がってくる。
(ベール……ベール! アイツだけは、私の理解者だと思っていた。全く浅はかだった! アイツは意思が弱いのだ。私の世界について来れず、脱却を図るためにこの私を……! 結局、この世には私以外に信頼できる存在などないのだッ! 実の弟でさえ、大人しい顔をしておきながら薬で眠気を誘い、海へ落とすなどと愚劣な行為を働くのだからなッ!)
呼吸が重い。天国へ至る階段を上っても息切れ一つしなかったというのに、今はいくら荒く呼吸をしても酸素の取りこまれる感覚がしない。
(なぜ私が、こんな奴にこんな目に! あの程度の弾丸を避けられないはずがない! 薬を盛られたところで海に落とされるわけがない! どいつも! こいつも! 私より絶対的に格下のカスのくせにッ!)
壊れた時計の針のように、思考がめちゃくちゃな方向に回転する。事態を把握し活路を見出さなければならないのに、脳の信号は勝手に過去を彷徨う。
(うあ、おおお……! この苦しみは、この感覚は……。かつての、魂の重みに耐えられずにいた時の! 馬鹿な。なぜ今になってこの苦しみが襲ってくるのだ。私は全てを乗り越えた。こんな苦しみからは解放されたはずだ!)
ルクファール・サイドの最後の過ち。それは、テンセイが他者の魂を背負ってなお立ち上がれた理由を、最後の最後まで理解しようとしなかったことだ。




