第260話・四重奏
「テンセイよ、あくまでもその意思を貫くか」
サダムはいたずらっぽい笑みを浮かべるが、目は変わらない。
「何度も言わせるな。オレは戦争を止める」
「ふむ。ぬし程の男の言葉に、偽りは存在しないだろう。ぬしの強く気高い決意と心意気、しかと受け取った。余らが言葉を尽くしたとてその決意は止められぬだろう。ならば……」
王の視線は変わらないが、声をかける対象をテンセイから将軍へと変えた。
「その者どもを捕らえよ。我らの邪魔をさせぬよう、能力を封じた上で拘束せよ。……と言いたいが、彼奴らはそれでは止まらぬであろう。この場で始末せよ」
「御意」
王の判決の下、もっと早く動き出したのは赤髪のアドニスであった。将軍の中でも特に深くサダムを心棒するこの若き男は一見して平静なようであったが、本心では、王に対して無礼な態度を取る異国の者に早い段階から敵意の牙を剥いていた。懐に隠して持っていた鉄輪を目にも留まらぬ速さで抜き取り、テンセイとノームの首を狙って投げつけた。
ノームはブルートへ投げそこなったナイフで鉄輪を防ぎ、テンセイは右手にコサメを抱いたまま日立ての指先で鉄輪を挟み、受け止めた。次の瞬間には銃声が響いていた。ヒアクの小手に仕込まれた銃が火を噴き、四つの弾丸を吐き出したのだ。弾丸はそれぞれがテンセイとノームの急所、頭部と心臓を狙っている。鉄輪を防ぐ隙を狙った銃撃には、二人も転がるように回避するしかない。
地面を二回転ほど転がったノームの視界に、黒くうごめく蛇が移った。戦いの経験の中で、ノームはその蛇に触れてはならないことに即座に気づいた。鎖に絡められては身動きが出来ないことは当然、手に握ったナイフで防いだとしても、鎖のまとった冷気が指や腕の動きを制限する。
(やっぱし、クソ! 結局こうなんのかよッ!)
ノームは鎖に向かってナイフを投げつけた。刃で鎖を斬る、などという達人めいた結果は期待していない。とにかく少しでも軌道を逸らすことができれば上出来であった。自分の身を守る貴重な武器を一つ失うことになるが、背に腹は変えられない。だが鎖に弾かれて地面に落ちたナイフの刀身が、半透明の氷に覆われているのを見たときには寒気が走った。
将軍たちは全力で罪人を始末するために動いていた。ナキルがノームを狙ったように、テンセイに対しても将軍アクタインが斬りかかっていた。
「かぁッ!」
剣豪の一振りは空を斬った。テンセイはコサメを抱えつつも、猫のような俊敏さで閃光のような一撃をかわしていく。
「テンセイよ。……王の言葉を借りるわけではないが、お主のその腕、その技、ここで失うにはあまりに惜しいと私も思っている」
刀を振りつつ、アクタインは静かな声でテンセイに語りかけた。フェニックスに蘇生させられた王と将軍の中でも、アクタインだけは特別だ。彼の死はゼブ全域に伝わっており、死者が蘇生したという事実の生き証人としてフェニックスの存在を裏付けている。しかしその事情ゆえに、己が『フラッド』やテンセイたちと戦い敗北したことを忘れている王や将軍とは異なり、アクタインは自分が敗北し死亡したことを覚えている。例え忘れていたとしても、周囲のものがそれを覚えていて教えたはずだ。
「剣と拳を交えた私にはわかる。テンセイ、お主は真に強い男だ。戦争を止めたいと願うその気持ちは理解できるが、ゼブを止めるなどあまりに無謀なことだ。今すぐ王に詫びるならば、私からも口添えして話をつけよう」
「……悪いな、バランの師匠。あんた達や王が強いってことはよくわかってる。無謀この上ないってこともわかってる。だけど、絶対にこの戦争だけは止めなくちゃならねぇんだ。破壊は、一度始まったら止まらなくなる。たとえゼブが途中で戦争を止めようとしても、力を持った人間たちは暴走を止められない」
「お主は、いったい何を知っている。我らの知らない事実を抱えているような気がするぞ」
「どんなに無謀でも、ムチャクチャでも、妥協なんてしたら全てが終わりなんだ。オレは……絶対に退かない」
「その覚悟だ。その強い意志を持つ器こそが、あのバランがお主たちについた理由だろう。しかし今はそれだけではない。前に手を合わせた時と比べて、お主は何もかもが研ぎ澄まされている」
この会話は、じっくりと面と向かい合いながら語られたものではない。アクタインの剣に迷いはなく、地獄に巣食う鬼すらも斬り捨てんばかりの技と気迫でテンセイの首を狙っている。さらに剣と剣の隙間を縫い、ヒアクの弾丸が飛んでくる。うっかりアクタインが被弾してしまってはマズい、などという発想はない。機械補助のついたヒアクの狙撃は非常に精密であり、またアクタインの精錬された技は背後から迫る弾丸をも気配で捉えている。
「この力は何なのだ。もしやこれこそが、フェニックスの力なのではないか?」
コサメの体からフェニックスは抜け去ったが、それ以前に鍛えられたテンセイの体はそのままだ。特に、フェニックスが元に戻るための儀式――魔王ルクファールの討伐の際に意図的に肉体を強化されたため、アクタインとヒアクの息をつかせぬ攻撃も完全に見切って回避していた。確かにこの力はフェニックスによるものだが、今はもうテンセイだけの力だ。アクタインの疑問はイエスともノーとも答えられない。
「お主がゼブの敵であるなばら私は容赦しない。私は武の道を究めるために生きると誓い、その頂点に相応しい王へ仕えることを幸福としている。私は全力でお主を殺すが、許しを請うならば手を止める」
それでもまだ己を貫くか、とアクタインが言う前に、テンセイの肩口から血が噴いた。刀傷でも弾丸を受けた傷でもない。アドニスの放った鉄輪が肩を裂いていた。ごく細いワイヤーの繋がった鉄輪だ。さすがのテンセイも、想定外の角度から迫る刃を初見でかわすことは出来なかった。それでも急所となる点を避けている。分厚く、鋼のように緊張した筋肉には、オリハルコンの鉄輪も数ミリしか刺さっていない。
ますますテンセイの正体が読めない。アクタインがそう思った時であった。
「王! 王! 緊急のご報告です!」
一人の軍人が、血相を変えて広場に飛び込んできたのだ。将軍たちは視線こそ送らなかったものの、必要な情報として耳は貸していた。