第259話・選ばれし形
「見てみろよサナミ。これでまた一つ、世の中の法則ってものが見えたな」
「クケ。法則、とは……?」
「あの男……炎をまき散らした軍人は、心の底からテンセイを憎み、怒りに身を任せただろう。王や将軍が見ている前で勝手なマネは出来ないとか、まわりの火薬なんかに引火したらマズいだとか、そんなことを考えて迷ったりはしなかった。自分の心の、一番素直な感情に染まって全力を出した。そうだろう?」
「はぁ、細かいところまでは、までは、アタシにはわりませんが……おそらくは」
「一点の疑いも迷いもなく、真っ直ぐに込み上がってくる衝動。そのエネルギーは本来かなり強大なものになるはずだが、あの男は結局大した成果をあげられずに敗北した。なぜだかわかるか?」
「いえ、いえ、アタシにはなんとも。強いて言うなら、そのエネルギ-を不発に終わらせるほど、ほど、将軍の力が強かったとしか」
「それもある。と言うよりほぼ正解に近い答えだな。だが完全な意味での正解ではない。いいか? あれは将軍が強いというより、あの男が弱かっただけのことだ。この緊迫した状況では、かすかな出来事がきっかけで戦乱を招きかねない。だがあの男はそれをしくじった。つまりだな、この世界に戦乱を起こすのに、あの男では力不足だったということだ。きっかけは誰にでも作れるものではない。それに相応しい器を持った者だけが革命の幕開けを許され、器なき者が多少の力をつけたところで、結局は闇に葬られる。それが世の法則だ」
「はぁ」
「しかしこの勝負……テンセイの器とサダムの器どちらが上回っているかが鍵だが、今の事件を見る限り、どうも簡単には決着がつきそうにないな。互いに抱えるものが大きすぎるせいか、多少のことでは動じない」
「そのようですな」
「あの状況を動かせるほどの器を持つ者……他にいるだろうか? 私としては、出来ることなら戦争が起こってしまった方がありがたいのだが。かといってテンセイがあっさり殺されてしまうのも味気ない。奴には私に屈辱を与えた代償として存分に苦しんでもらわなくてはならないのだが……」
言葉は徐々に弱まり、ついには口元だけでブツブツとつぶやく程度になった。傍で聞いているサナミにもその声は聞き取れないが、おおよそ次にルクファールが持ち出すであろう提案は予測できていた。想定できる範囲で最悪の未来を思い浮かべれば、それがルクファールの提案だ。
「やはり見ているだけでは面白くないな。事が事なだけに、サダムもすぐには行動しないだろうしなぁ。……面倒だ。この私が自ら戦乱を起こしてやろう」
それが可能な器は自分以外にあり得ない、と大いに胸を反らしつつ、ルクファールは広場に背を向けた。
「かといってあの連中の前にノコノコ姿を現すのは無粋だ。他の手を打つとしよう。。そうだ、面白い玩具があるではないか。行くぞ、サナミ」
やはり自分も巻き込まれるのかとすっかり絶望に染まったサナミを従え、ルクファールは歩き出した。その視線は真っ直ぐに東――海の方を指していた。
混乱の鎮まった広場には、再び静寂が戻っていた。下手すれば王都全体が破壊されかねない事件が起きたにも関わらず、王とテンセイは何も起こらなかったかのような態度で互いの目を見据えている。
「さて……」
サダムが血の気に満ちた唇を動かし、厳粛に語る。
「無粋なものに話の腰を折られたが、我らがウシャス侵攻を中止する理由は全くない。危険を承知で敵陣まで出張ってきたぬしらの勇気と覚悟には悪いが、兵はこのまま進める」
「せめて、あなた方の安全だけは保障しましょう。もちろん、余計な手出しをしなければという条件付きですが」
「なに、ウシャスの民草全てに対しても、我らは無益な死を強いたりはせぬ。大人しく武器を捨て、我らに降伏しさえすればそれで良いのだ。誰一人として人の住まぬ地を征服したところで、何も救われはせんからな」
独裁の覇者は語る。事も無げに言ってのけるが、支配される弱者にとっては堪ったものではない。初めから何の力も持っていなければ傷を少なくして取り込まれるだろうが、ウシャスにはゼブに匹敵する軍がある。力と力がぶつかり合えば余波が生まれ、軍の外にも被害は出る。戦力を補うために各地に存在する『紋付き』は強制的に召集され、望まない闘争に足を踏み入れることになる。それだけでも悲惨だが、この戦争は生命の神フェニックスを探すことも目的とされている。コサメがフェニックスを持っていないとわかったからには、新たなフェニックスの持ち主を探すこととなる。そうなれば安全の保障など誰にも存在しなくなる。
「我らは決して止まらぬ。ウシャスの勇敢なる者、テンセイよ。余はぬしに対して、何か……何か、言葉で表現することは難しいが、大変な興味を抱いておる。機が機なれば、是非とも手合わせをしたいと思うておる程だ。ぬし程の男を一介の罪人として裁くのはあまりに惜しい」
やはり、実際に手を合わせ敗北したことは記憶にないようだ。
「くれぐれも余計な手立てはしてくれるな。我らの監視の下で大人しくしておれば、アドニスの言うようにぬしら三名、望むのなら親兄弟の命も奪わぬと約束しよう」
サダムの目は真剣だ。偽りも装飾もなく、わずかにも不満や悔恨の入る隙がない。将軍達でさえも、この瞳に見据えられては逃れられない。全身から発する威圧を凝縮して放ったかのような眼光はいかなる武人の手をも縛りつけ、心からの服従を契約させる。魔王ルクファールにも認められた王の気骨だ。
テンセイは圧力を受け止める。サイシャの島で拳を交えた時に感じたのは武人としての圧力であったが、将軍達を従え王都に君臨するサダムからは王者としての圧力を感じている。
しかしそれでも、テンセイは言い放った。
「戦争は止めてもらう。何があろうと……これ以上命が奪われることは耐えられない。何が何でも、あんた達を止めて見せる。全てを守ってみせる」