第257話・勃発
嵐が渦巻く。魔王ルクファールの目覚めにより、世界に混乱をもたらす嵐がより激しさを増した。
単独では無力なサナミにとって、ルクファールの覚醒は大いなる恐怖とともに安堵をもたらした。この男の機嫌を損ねようものなら命はないが、逆にいえば機嫌を立てている限りは己の身を守ってくれる盾なり剣なりになってくれる。当然。その事を口にしようものなら即座に首が胴から離れるが。ルクファールは新たな知識を得ることの欲や好奇心が非常に高く、サナギとサナミの研究を快く援助してくれる面もある。ルクファール自身が言ったことを真似するわけではないが、何を考えているのかわからない神よりと比べれば遥かに扱いやすい。
もしもルクファールがテンセイに協力してくれたなら、事態は一気に終息へ向かっていたことだろう。サダムの言葉を覆すことが出来たのは宰相グックだけであり、ルクファールはその魂を有しているのだ。そのことがサダムに信じられるか否かを問わず、とにかく一時的に戦争を食い止めることは出来ただろう。
「さて、とりあえずは静観させてもらうかな。フフ、テンセイたちは私の目覚めに気づいていないようだな。連中が知ったらどんな反応をするか楽しみだが……今はまだその時ではないだろう。あの忌々しい奴らが今度こそ絶望の色に染まる、そんな再会を演出してやるべきだとは思わないか?」
「は、はぁ」
「いや待てよ。妙なところで小賢しいあのテンセイのことだ。私が目覚めるだろうことをとっくに予見していた可能性は高い。と、なると……私がいつ目覚め、そして目覚めた後に何をしでかすか、そこまである程度読んでいるだろうな」
「それは、確かに」
「どうだ? サナミよ。お前は奴の予想を聞かされていないか? 私が目を覚ました場合、きっとこんな行動をするだろうからその時自分はこうするつもりだ、とか。お前ひとりを見張りに立たせているぐらいだから、何か対処法を聞かされているんじゃあないか」
「あ、いえ……。いつか目覚める、める、ということまではテンセイも読んでおり、おりましたが、特別な対処などは全く聞かされて、れて、おりませんので」
「ほう。つまり、特別何も聞かされていないにも関わらず、お前は大人しく私を見張っていたというわけか。……テンセイの言葉に従って。あいつの、何の根拠も裏付けもない言葉を信じて……?」
「ひっ!」
やってしまった! と、サナミは背筋を震わせた。テンセイのことを信頼しているつもりは全くなかったが、気がつけばそう指摘されてもおかしくない行動を取ってしまっていることに初めて気がついた。
「そうか。奴もまたカリスマを持っているということだな。サダムとはややタイプが異なるが、かなりそれに近い魅力を。お前たちも知らず知らずのうちにそれに絡め取られたのか。あれだけ私に忠誠を示しておきながら……」
「いえ、いえ! そんなことは!」
サナミは全力で否定するが、神に弄ばれた事情を知ってもなお主義を変えないこの男が、今更言葉で納得させられるわけがない。
「……が、まぁそんなことは別にいいだろう。一時的に主を失った者が、新たに縋ることのできる者を求てもおかしくはあるまい。弱者は強者の支配を欲するという、典型的な例を見ただけのこと」
ルクファールがそう言わなければ、たとえ手を出されなくともサナミは恐怖で己の心臓を停めてしまったかもしれない。とりあえずルクファールの最大の興味は余所に向いているらしく、窒息する前に安堵の息を吐くことが出来た。
「なんにせよ、まずは状況を把握しなければな。テンセイとサダムの交渉がどう動くか……私が動きだすのはその決着がついた後でいい」
そう言って魔王はフォビアの広場へ視線を下ろす。その直後、唇を薄く開いて白い牙を見せた。
「見てみろサナミ。少し目を離した隙に、何やら面白いことになっているぞ。どうやらテンセイにとっては苦しい展開のようだ」
「はぁ。……おお!?」
双眼鏡を使わずとも、サナミは広場の異変に気づいた。広場の中央、テンセイたちのいた辺りから黒煙が立ち昇っていたからだ。もどかしく慌てる手で双眼鏡を構え、目を凝らすと、広場の地面や周囲の建物に赤い炎が揺らめいていた。軍人たちがうろたえている姿と、それでも悠然と佇む王や将軍の姿は確認できたが、テンセイやサナギの姿は炎に紛れてよく見えない。
「これは、これほどの炎を出せるのは、アイツ……」
「ずいぶんと下劣な炎だが、文字通り戦火が巻き起こったな。まぁ、あの連中のことだからそう簡単にはくたばらないとは思うが」
サナギの安否を心配して青ざめるサナミをよそに、ルクファールは余裕の微笑みを浮かべながら静観を決め込んだ。
フォビアの広場に炎を放ったのは、言うまでもなく軍人ブルートである。ブルートが怒りに任せて放った炎の矢はテンセイに回避され、その足元の地面を焼き払った。続けてノームやサナギに対して連続で矢を放ったが、興奮のせいで狙いが定まらず、咄嗟に退いた軍人たちの脇をかすめて建物の壁に命中した。自慢の攻撃が悉く空振りに終わることがますます怒りを煽り、狙いの定まらない炎の矢を連発させる。
「ちくしょう、ちくしょう! もうどうにでもなりやがれ!」
自分の味方だと信じていたサナギに裏切られ、それを王に糾弾しても「根拠がない」「関係ない」と一蹴され、とうとうブルートの我慢は限界に達した。そもそも将軍たちの帰りがもう二日、いや一日でも遅れていれば、自分が指揮をとってウシャスに攻撃を仕掛けていたのだ。もはやどこにもブルートの味方はいない。そう自覚した瞬間、この哀れな軍人は凶行に走っていた。
「てめぇのせいだ! てめぇが……てめぇがオレから逃げたせいでこんな目に遭ってんだ!」
叫ぶブルートの視線は、コサメを抱えて矢を避けるテンセイに向けられる。その憎き標的に矢を打ち続けるだけでは怒りが堪え切れないのか、ついに『紋』から火柱を噴き上げながら直接殴りにかかった。