第254話・根拠
(サナギの野郎……ハンパな嘘こきやがって)
ノームは心の中で舌打ちした。もしかしたら表情にも表れていたかもしれないが、格別それを気に留める者はいなかった。
(どんなにこじつけても、どっち道他の奴らには怪しい話なんだよ。どーせ疑われるんだったらありのままに真実を話した方がまだマシだってのに……。本当コイツは訳がわからねぇ。壊れた研究狂かと思えば肝心な時にいきなりビビったりしやがる)
しかし、言ってしまったものは仕方ない。今更後戻りは出来ないのだ、とノームはへそに力を込めて事態の変化を見守った。無論、敵からの奇襲があれば即座に回避する準備は出来ている。
「え、え、えと、まぁそんなわけで……今はウシャスのどこにも、にも、フェニックスは存在してないってことだよ、だよ」
サナギは強引に話をまとめようとする。しかしこの状況、とても「そうか、ならばウシャスへの侵攻はやめよう」などという言葉は期待できない。フェニックスがコサメの体から抜け出したことは信じられたとしても、フェニックスがウシャスから消えてしまったと判断されるわけではない。
「サナギよ……」
「待ちやがれサナギ!」
そのぶしつけな声が割り込んできたのは、裁判官ならぬ王が口を開いた時であった。テンセイが振り返ると、一人の軍人が人垣をかき分けながら走り寄ってきていた。その顔には見覚えがあったが、名前は思い出せなかった。顔中に脂汗を浮かべた中年の軍人だった。
「てめぇ、オレを見捨ててウシャスにつきやがったのか! そんな下手くそな嘘まで作りやがって!」
「クケ!? お、お前は……」
サナギの顔が青ざめた。自分の話が嘘である、ということを示す証人がいることを思いだしたのだ。
「あの男は何者だ」
サダムがアドニスに問うと、
「今回の戦で陸兵部隊の一つを任せている、名はブルートです。我々の戻りが遅くなれば彼に軍の指揮を担わせるつもりでしたが……」
「人の上に立つ柄には見えねぇな」
ヒアクが辛辣な評価を下すが、構わずブルートは声を張り上げた。
「コイツの言ってることは嘘ッパチだ! ウシャスが『フラッド』に襲われてる間……オレは、オレはコイツの研究所で『紋』の改造を受けてたんだからなッ!」
叫びつつ、右手の皮手袋を外す。そこには(傍目には判別できないが)再三の改良を施された『紋』が輝いていた。
「サダム様! 将軍方もよく聞いてくださいよ! コイツは……サナギは、ゼブを裏切ってウシャス側についたんだ! そうに違いねぇ!」
「バカ、バカ、ブルート! お前こそ何訳の分からない、ない、ことを言っとるんだ!」
この時になってようやく、テンセイとノームはブルートの正体に気がついた。そして二人が一様に思ったことは、”しぶとい奴だ”の一言だけである。テンセイにとっては第二の故郷を焼き払った怨敵であったが、それを指示した者がルクファールであると知ってからは特に関心を抱かなかった。
「フェニックスが逃げだしたなんてデタラメだ! どうせコイツがウシャスの誰かに移植したに決まってる。でなければこのクソッタレどもと一緒にいるわけがねぇからな!」
「ふざけるな、るな! お前、どの口提げて私を反逆者扱いするってんだい! あれだけ力を、を、与えてやったのを忘れたか!」
「もう良い。双方、言を慎め!」
サダムの一声があたりを鎮めた。この男の一喝の前では、いかなる混乱や狂気をも止まらざるを得ない。
「興味深い点は数あるが……我らゼブにとって最も重要な事は、フェニックスの正確な在り処、ただそれだけぞ。ぬしら双方の申し立てた中にも、そのことに関する重要な根拠が欠けておる」
「あなた達が自分の持つ情報を重大だと思っているのなら、それ相応の証拠となるものを提示するべきでしょう」
根拠。証拠。そんなものがあればとっくに示している。ただ唯一それに近いものはコサメの体だけだが、それもサナギの持つ移植技術の存在によって信憑性は危うい。そんなことは初めからわかっている。真実をありのままに伝え、後はサダムの対応次第というのがテンセイの予定だった。それをサナギの虚偽が面倒にさせた。
「……フェニックスはウシャスから去った。我らがウシャスを攻めたところでフェニックスは手に入らない。故に、ウシャスへの侵攻は中止せよ、というのがぬしの願いか、テンセイ」
サダムは話の相手にサナギを選ばず、強い瞳で真っ直ぐにテンセイを射抜いた。おそらくサダムには、テンセイと戦った記憶は残されていないだろう。だが戦いに生きる男の本能か、あるいは己に似ていると感じるところがあるのか、テンセイのことを混乱の中でもただ一人揺れない者、冷静でいられる男であると判断したのだ。
テンセイもまた強い瞳で王に応える。たとえサダムがテンセイを忘れていても、テンセイはサダムの人間性を忘れてはいない。
「ああ。オレはただ、この戦争を止められればそれでいい。ゼブとウシャスがぶつかれば両方にデカい被害が出るからな」
「は、戦争に被害や犠牲がつきものなのは当然だ。こっちは端っからその覚悟で軍をやってんだよ。ウシャスは違うのか?」
ヒアクが口を出した。
「覚悟を決めて戦った奴が命を失うのは、まだ救いがあるかもしれない。だが全ての人間が明日の命を覚悟してるわけじゃない。何も知らないまま振り回され、気がついた時に全てを失っている人間もいる」
「そりゃ、そいつに力がないからだ。自分の周囲に危機が迫っていることに気が付かず、覚悟を決められなかったそいつが悪い」
「……とにかく、この戦争は不毛ってことだ。いくらウシャスを攻めようと、フェニックスは手に入らない」
「不毛ってことはないね。お前たちの話が本当なのかもわからないし、第一、フェニックスが手に入らなかったとしても、ウシャスを攻め落とせば完全にゼブの天下になる。その後でゆっくりとフェニックスを探せばいいだけのことよ」
それこそがフェニックスの思惑。自業自得のシナリオなんだよ――。テンセイの傍らに控えるノームは、固く拳を握り締めた。