第247話・行動
「ああ、やっぱりだ」
誰にともなく零れたテンセイのつぶやきは、彼の言葉とは思えないほど暗く、平淡であった。双眼鏡のレンズを通して映る景色が、この男の活力に重い蓋を被せていた。いや、景色だけではない。この場所――ゼブ国の王都フォビアを見下ろせる高台――に来る以前の出来事が、苦い枷となって心の隅に残っている。
『リク、リク。嫌だよ、リク!』
この世のあらゆる不幸を圧縮したような声が、何度も脳裏に蘇ってくる。結局、テンセイはまた一つの悲劇を止められなかった。フェニックスが天へ去った後、急いで塔へ駆けつけた一同が見たものは、冷たい人形と化したリークウェル・ガルファの姿であった。炎に焼かれて生死の境をさまよっていた男は、その命を繋ぎとめていた力を失い、息絶えたのだ。
『どうして、どうして!? なんでみんな……みんないなくなっちゃったの……?』
一つの夜を越えて朝を迎えるまでの間に、ユタは信じる仲間全てを失った。五人と一匹がいれば、この世に敵うものはいないと信じていた。テンセイ達はかける言葉もなく、天涯孤独となった少女を引き取ることしか出来なかった。ユタは激しく泣きじゃくり取り乱していたものの、ラクラがそっと手を差し出すと素直にそれを握り返し、ウシャス軍の船まで同行した。
フェニックスに踊らされた魔王・ルクファールは未だに眠っている。死んではいないが限りなく呼吸が薄く、全く目を覚ます気配がない。何かきっかけがあれば目を覚ますのでは、とは誰もが思ったが、そのきっかけがわからない。そもそも、目を覚まさせて良いものか。所詮フェニックスの傀儡に過ぎなかったとはいえ、この男の憎悪は本物であり、そしてこれまでの残虐な行為はルクファール自身が企て、実行してきたことだ。世界に憎悪を抱くきっかけを作ったのはフェニックスだとしても、魔王へ変貌する資質は初めから備わっていたに違いない。フェニックスの力を失ったとはいえ、器として鍛えられた凄まじい身体能力は脅威的な存在だ。歪んだ性格もそのまま残っている。
『コイツ、どーすんだよ』
ノームはテンセイに意見を求めたが、問われたテンセイが一番迷っていた。何よりも優先して倒すべき敵、という目標が果たされた現在、テンセイがルクファールへ向ける感情は複雑である。ベールの兄、コサメの叔父、ヒサメや大勢の村人を殺害した張本人。怒りや恨みの感情が全く無いのかと言われれば、決してそうでない。
テンセイはずっと、ルクファールの命を完全に奪うつもりでいた。そうしなければ魔王は止められないだろう、という思いからきた決意であったが、その背景に復讐の意味合いが含まれていたことは否定できない。しかし、いざルクファールを倒し、魔王を不死としていたフェニックスの力を失わせたが、テンセイは命を奪おうを刺そうとしなかった。何故か。テンセイの心が、それ以上の闘争を望まなかったせいだろう。
結局のところテンセイには優しすぎる故の甘さがあり、非情になりきれない男だった。テンセイは改めてそのことを痛感していた。
『……とりあえず、オレ達がしっかり見張っておくしかないな』
そう言ったテンセイの背に、ラクラがそっと手を触れた。そこには「……貴方に出来ないのなら、私が」という無言のメッセージが込められていた。ラクラは軍人だ。女の身で幹部となるまでの過程で多くの戦いを経験している。あえて冷酷に表現するならば、命を奪うことに慣れている。テンセイに代わってルクファールにとどめを刺す役割を自ら買って出た。しかし、テンセイはそれを望まず、無言でルクファールを船へと運んだ。
サナギ、サナミの二人はいまだにブツブツと研究に関する言葉を吐き散らしていたが、彼らの安全を保障するルクファールが倒され、またサナギ自身の持つ能力も弱点が知られてしまったため、テンセイ達に刃向うことも出来ず共に島を出ることになった。テンセイ達にとってある意味ではルクファール以上に危険な存在であるため放っておくわけにもいかず、言うならば仕方なく同行させているのだが、ノームなどはこの二人を船に連れてきたことを激しく後悔している。
『しかし、しかし、いったい何をどうするつもりだい』
『戦争を止める? クケ。確かに、に、今のゼブには将軍も王も、も、いないよ。でも、武装した軍隊を止めるってのは、のは、強敵と一対一で戦うより困難なことだよ』
『そう、そう。ここにいる、いる、メンバーだけで止めるのは無謀だし、だし、下手にウシャス軍を動かそうものならそれこそ戦争に、に、なる』
言っていることは正論だ。普段の言動は支離滅裂なところがあるくせに、批判する時だけは正論だから余計に腹が立つ。
『うるっせぇな、てめぇら! 何もしないで滅びるぐらいなら、無謀でも何でもとにかくやるしかねぇだろうが!』
『クケケ、暑苦しい正義感だね。お前、いったいいつから、から、正義の味方になったんだい』
『ただの不良盗賊のくせに、くせに』
『うるせぇ! とにかくグチグチやかましい口を閉じやがれ!』
不毛な口喧嘩に辟易しつつ、ウシャスの幹部クドゥルとその腹心スィハは船を動かす。それを上空から見守るように、ベールが黒い翼を広げて追走している。あたりを覆っていた嵐は黒雲とともに消え去り、ウシャスの近海に似た穏やかな海原が広がる。
『落ちつけノーム。ケンカなら全部片付いた後でしろ。ゼブに干渉するならその二人がいた方が有利だ』
『ケンカは、だめ』
テンセイとコサメにたしなめられてノームは静かになるが、しばらくするとまた騒動が起こる。そんなことを繰り返しつつ船は進み、やがてウシャスの領海に入ろうかという場所にきて、テンセイが提案した。
『隊長達はウシャスに戻って、ゼブの攻撃に備えてくれ。……戦争するためじゃなく、被害を最小にするために』
『それはわかっています。しかし、テンセイさんは……?』
『オレはゼブに行く。サナギとサナミも連れてな』
ひっ、という小さな悲鳴は全員に無視された。