第245話・神の目論見
フェニックスはヒトという生物を観察することで、その生物が持つ一つの特性を見抜いていた。
「ヒトというものは、力を手に入れればそれを振るう。力なき者は力を求める。一度力を手にした者は永久にそれを手放そうとしない」
ヒトの犯した罪は全て、力を欲したがためのこと。そんなヒトを滅ぼすには、新たな力を与えることが最良の策であった。ヒトの好奇心を刺激し、徹底的に夢中にさせる力。そうして生み出されたものが『紋』であった。
フェニックスという存在が、いつ、どのようなきっかけでこの世界に現れたのか。それはフェニックス自身でさえ知らないし、きっと誰にも答えられないだろう。だが遥か昔、無機物の塊が生命へ移り変わっていく段階には存在していたことは間違いない。本来、フェニックスは生命の活動に介入はしない。生物の誕生と死のサイクルを作り出した以降は、ただ深い眼差しで世界を見つめているだけであった。生物間で進化や退化が繰り返され、競争と環境変化の果てにいくつかの種が滅びても、全ては運命の一つとして受け入れていた。一つが滅びる代わりに新たな種が栄える。そのルールさえ守られていれば良かった。
神が重い腰をあげねばならない程、ヒトは力をつけ過ぎてしまった。生物のルールを忘れてしまった。力に溺れた生物は、自らの力に潰される結末がふさわしい。
想定通り、『紋』の発生はヒトの世界に多大な影響を与えた。それはある程度成長した都市や国家にとって災害ともいえる現象だった。『紋』の持つ力は、時に軍を越え、法を抜け、ヒトの築き上げた叡智と技術を容易くくつがえす。王の権威も、法の秩序も、一度は崩壊の危機に脅かされた。権力や法律のシステムが厳重に確立されている国家ほどその被害は深刻だった。だが、それもいずれは沈黙する。『紋』に秘められた力が強大であっても、それを扱うのは所詮ヒトだ。ヒトにとって、歴史の上に築かれたシステムは神の権威に等しい。
結局は、『紋』をも含めてあらゆる力を統べる者が覇者となる。その筆頭に立ったのがゼブ国だ。凄まじい勢いで領土を増やし続けていたこの軍事国家は、『紋』の力に一早く目を付け、国家を支える力の一つとして取り入れた。東の大国であるウシャスも対抗し、『紋』を軍の中に入れることを決意した。人智を超えた新たなる兵器の存在は、大国間の争いをも一変させた。相手がどのような力を有しているのか把握できない以上、迂闊には手を出せない。そして一度戦火が起これば徹底的に潰し合うしか道はない。
「力の存在を知れば、ヒトの好奇心は疼いて止まない。力で強大であるほど惹かれあう」
世界中に撒かれた数々の『紋』は、まだ粛清の前座にすぎない。『紋』を世に送り出し始めてから数十年の時が流れた頃、フェニックスはついに舞台の主役を制作することにした。先に生み出してきたどの『紋』をも越える、より洗練された力の持ち主を。結論を言うと、フェニックスはあえてヒトに神の力を与えた。他者の魂を集め、思いのままに解き放つ。それはフェニックスの持つ能力の一つであった。
王や政治家にこの力を与えてはならない。強大な力がその本領を発揮するのは、憎しみや劣等感を受け入れやすい環境の人間が丁度いい。そう、例えば地方の没落貴族の家などが適任だ。都市や国家の中央から離れているほど強い感情は生まれやすい。ヒトは感情で力を使う。
力を。もっと強大な力を。ヒトがそれを欲するのなら、いっそ与えてやる。世の全てを知り尽くしたつもりの獣に、その愚かさを思い知らせるのだ。ヒトには決して扱えない力が存在することを。フェニックスの狙いは着々と実行されていく。
力の器として選ばれたルクファールは、魂を背負う重さに苦しみ、他人の本心を覗き見ることで世に絶望を抱いた。醜い。実に醜い思想を持った災厄の魔王が誕生した。憎しみに囚われる無意識の心に呼びかけ、フェニックスは魔王を己の元へと招いた。己の持つ力をヒトの世に解き放つために。フェニックス自身も抱える力はあまりに膨大すぎるため、一時的とはいえ元の肉体から解放することは困難であった。その儀式の補助者となることがルクファールに課せられた使命であった。
「我が力を、ヒトの世の中心に送り込む。……後は何もせずとも、ヒトは勝手に己を破滅へ導くであろう。力は振るわれなくとも、そこに存在するだけで他を圧倒する」
かくして、フェニックスの意思は力とともに四散した。別れた欠片が再び一つに戻るまで六年の歳月を要したが、悠久の時を生きるフェニックスにとっては瞬きをするに等しい時間であった。
「まさか、まさか……」
サナギの呻き声が、静かな森に染み渡った。その声の調子が普段と異なっていたため、もワズテンセイたちの注意を引きつける。サナギの驚愕は、すでにルクファールが倒れたことへ向けられていない。フェニックスの思惑を知ることで、記憶の中から恐るべき事実を発見したためだ。
「人類の……消滅……。ああ、ああ、まさかまさか! すでに……」
「おいどうしたサナギ! 何か知ってるんなら言え!」
「今更隠す必要もない。お前たちは真実を知る資格がある」
怒気を含んだノームの言葉に、フェニックス自らが答えた。
「この男が大国の王を操作していたと同様、私もある程度この男を動かすことが出来た。……当人は全く気付いていないようだがな。国の宰相となったこの男に、部下に対してある命令を出させたのだ」
「命令……?」
「ひっ、ひっ、恐ろしい。あのお方はおっしゃられた。王と将軍がこの島に向かって三日が過ぎたら、即座にウシャスを攻めよ、と。ゼブの持つ全ての戦闘力をもって、ウシャスを壊滅せよと……! 兵士に命じているのをワシらは見た」
ゼブとウシャスの戦争――! 長く危惧されてきた争いが、ついに現実となった。戦争の規模はかつてないほど巨大なものになるだろう。そして一度戦が起これば、直接戦争に関わらない者の間にも不安と混乱が津波のように押し寄せ、各地に点在する『紋付き』たちも何らかの形で力を使わざるを得なくなる。大いなる力と力の衝突の果てに、待ちうける結末は……。