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第244話・人

 ”ヒト”。猿から変化した(当人たちは『進化した』と称しているが)醜い生物。それは虎や狼のような鋭い爪も牙も持たず、それでいて他の生物を殺して肉を食う。水に潜ることは出来るが、大して長くは続かない。鳥や虫、あるいはコウモリのような翼の類も持っていない。地上を走る速度にしても、ヒトより素早い獣は数えきれないほど存在している。それにも関わらず、ヒトは爆発的に増え、世界を支配しようとしている。それは神の技量を越えた増殖であった。


 遥か古代、ヒトがヒトの姿となるよりも以前の頃、この世界は爬虫類によって支配されていた。しかし、その様子は現代のヒトの支配とは大きく異なる。何故なら爬虫類は一種の生物ではなく、巨大で爪や牙を持つ者、小型ですばしっこく走り回る者、中には翼を持って空を飛び、後に鳥類の祖となった者もいた。肉を食う者もいれば草木をかじるだけの者もいた。多様な生物が複雑な生態系を構成し、世界を覆っていた。ヒトは違う。ヒトは体格の違いや皮膚の色の違いこそあれど、ヒトはヒト、一種のみだ。ただ一種の生物が他の生物を退け、己の支配下に置いている。


 武器となるほど強力な爪も牙も持たず、翼も持たないこの生物が何故これほどまでに蔓延るのか。答えは「好奇心」だ。ヒトは四足で歩くことをやめ、見るからに不自然な二足歩行を身につけた。サルやクマといったいくつかの哺乳類も二足歩行の術を持つが、四足で歩く頻度が高い。前足だった部位を手として使うようになり、ヒトの好奇心は加速した。道具を扱うことをきっかけに、何かを作ることに意欲を示し始めた。


 炎を起こし利用することを覚えた瞬間、ヒトは他の生物と明らかに異なる存在となった。炎は生命の象徴。炎に焼かれた生物は死を味わうが、焼けた跡には新たな命が芽生える。神聖なる炎をも手中にしてもなお、ヒトの好奇と探究の欲は満足しない。さらに膨れ上がるばかりだ。木々を断ち切り、そこに住む生物を退けて土地を拓き、己に都合のいい植物だけを作物として残し、牛や馬を手足の代わりに使うことを覚えた。農耕が発展するにつれてヒトの集団は規模を増し、やがて町が出来て都市となり、国となる。数が集まれば力と好奇心はより増大し、新たな技術の開発によってヒトの住む環境は改善され、さらに数を増やす。


 永劫の繁栄を求め、力を身につける。それはヒトに限らず、あらゆる生物に共通して言えることだろう。全ての生物は己の一族が永きにわたって平穏に生活できることを望んでいる。だがヒトは限度を知らなかった。次々と生み出される力に溺れ、どこまでも邁進を続けた。周囲の環境に合わせて己の生態を変える生物は数多いが、ヒトは環境を己の快適なものに作り変えた。その過程で幾多もの犠牲が出たが気にも留めなかった。


 ヒトはどこまでも突き進む。水に恵まれ、肥沃な土壌を持つ地はことごとくヒトの支配下に置かれた。荒野を越え、海を渡り、増えすぎた数を守るために新たな土地を探す。住みよい環境がなければ土地を耕し、水がなければ豊富な土地から水路を引く。ヒトはそれを文明の発展と呼び、大いなる喜びと未来へ希望に胸を膨らませていた。その引き換えに何を失ってきたのか、考えようともしなかった。


 誰かがふと気づいた時には、遅かった。ヒトの織りなす様々な行為が、世界にどれだけの影響を与えてきたのか。ヒトにとっては随分と住みよい環境になっただろう。だが、ヒトでない者にとっては荒廃した世界であった。文明の影で虐げられてきた者たちの屍の数は計り知れない。より多くの作物を収穫するため異物を投入された土地はやがて痩せ衰え、かつて森林であった場所は生命を刈り取られて荒野と化し、清流をたたえる河川は廃棄物に染められた。数多の生物が押しつぶされ、種の滅亡に陥った。それは生物間の競争の結果だと呼ぶにはあまりに凄まじい駆逐であった。しかし気付いた者はごく少数に留まり、力に溺れる大多数のヒトは、更なる発展のために事実を黙殺してきた。


 被害が己に降りかかるようになり、初めて全てのヒトが過ちを認識した。少数の意見、では誤魔化されないほどに世界は汚されてしまったのだ。このままでは自分たちの将来も危うい……そう考えた者は世界の修復を試み始めたが、その努力は崩壊の速度に対してあまりに微弱だった。そして崩壊が深刻なことに気付いても、ヒトの躍進は止まらなかった。一度手に入れた力を捨てることが出来るほど、ヒトは強い生物でなかった。……弱いからこそ力を欲し、無意味な破壊を繰り返すのだろう。


 ヒトは明らかに対応を誤っていた。今の力を失わず、あくまでも発展を目指しつつ、そのついでに世界を修復しようとしている。その両立がどれだけ困難なことか。ヒトは技術の力で解決するとばかり思い込んでいる。そもそも、修復しようなどという発想が浅はかだ。ある者は、絶滅の危機にある生物をヒトの手で救うなどと意気込んでいる。救う、等とどの口がのたまうか。無論、ヒトの中にも心から世界を憂い、改善に勤める者もいただろう。しかしその程度では、ヒトという生物の背負った罪は償いきれない。


 ――フェニックスは判決を下した。ヒトと言う生物が世界にとって害悪であるということに。あらゆる生命の誕生を見守り続けてきたフェニックスにとっても、ヒトの存在は異質なものであった。この生物がどこまで世界を変えていくのか。それはフェニックスでさえも予測がつかない。そしてこれ以上の行方を見たいと思う好奇心も持ち合わせていない。


 厄介な生物だ。判断の基準はただそれだけでいい。力をつけた(おご)り深い種に、鉄鎚を。神の決断はシンプルだ。……もしかしたらフェニックスは恐れていたのかもしれない。ヒトの力が、次第に神へ近づいていくことを。もしもヒトが、己の力で崩壊を修復してしまったならば……。


 神は動きだした。ただ一つの種を滅ぼすことは容易だが、それだけでは意味がない。ヒトに相応しい終焉を与えなければならない。その手始めに行われた行為が、『紋』の誕生であった。

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