第240話・夢は尽きず
夢を見ることが、人間にとって最大の幸福。賢者も愚者も、神父も罪人も、王も奴隷も、みなそれぞれが夢を持っている。自覚の程度に差こそあれど、夢そのものを完全になくした者はいない。夢見ることは全ての生物において平等。どの夢も当人にとっては絶対無二のものであり、誰にも奪われてはならない。死者の魂に夢を見せる能力。それは、死者に永遠の幸福を捧げること。招かれた魂たちはみな心の底から笑顔になり、感謝を表す。
だが、生きている者には夢の真の価値は理解できない。魂が肉体に包まれ、様々な人間と関わりを持っている間は、夢に溺れることが出来ない。それでも幼いうちは夢に飛びこむことも許容されるが、肉体の成長に伴って不可能となっていく。夢を持つこと自体は否定されないが、その質と度合が制限される。立派で、合理的で、現実味のある夢だけが許され、それ以外を口にし、また実行しようものならただちに”異常”のレッテルを貼られてしまう。”正常”でいたい大人たちは、せいぜい寝床の中でしか自由に夢を持つことが許されない。
――ならば、私が見せてやる。夢を見せる力が、自分にはある。死者の魂に夢を見せるだけでなく、この世界に生きる全ての者に等しく夢想を与えてやれる。そんな可能性を秘めた者が私以外にいるのだろうか。いない。そう、全ての者に夢を与えることは、もはや神ですら叶わない。いくらか昔の時代は、”神を崇めることが幸福”という夢想が堂々とまかり通っていたという。だが現代の人間は知恵と力を身につけ、あらゆる科学技術を発達させた。知識を得るにつれて人々の中で神の地位は降格され、ついには抹消される。
もはや、古き神々の時代は終わったのだ。神の威光が届くのはせいぜいいくらかの団体の組織内だけで(それも、その組織に所属する全ての人間が心から神を崇めているとは限らない)、思いあがった人間たちに夢を見せることは出来ない。私でなければダメなのだ。この私が直々に世界の舵を取り、夢を見続けさせてやる。夢こそが、幸福。地位も身分も関係なく、貧富の差もなく、全てが等しく夢を見る世界。その先陣を歩むため、まだ終わりは……。
「これで、終わったんだよな」
テンセイがつぶやいた。それは誰かに聞かせるためのものではなく、己の胸に向けて投げかけた言葉であった。ルクファールの目指す先にどんな世界があるのか、テンセイは知らない。だがその目的が達成されるまでの過程で、多くの命が失われることは確かだ。世界で己の望む姿になる日まで、ルクファールは決して止まらないだろう。例えこの世界に住む人間の半数以上がいなくなってしまっても。
「来い、コサメ」
テンセイは顔をあげ、両腕を広げた。声を聞いたコサメは何の躊躇もなく木から飛び降り、テンセイの腕に収まる。コサメは、テンセイと魔王の最後の戦いを一部始終見続けていた。幼い目に映る光景はとても子どもには、というより成人した男性であっても見たくない凄惨たるものであったが、コサメは一度も目をそらさなかった。
「……それじゃあ頼んだぞ。今は気を失ってるが、フェニックスの力がある限りこいつは何度でも立ち上がっちまう。ここから先はお前しか出来ないことだ」
「うん。やってみる」
コサメはテンセイの腕から地面に降り、地に伏したルクファールの元へ歩み寄る。『紋』を砕かれるまで拳を受け続けたその体は、意外にも目立った外傷がない。『紋』の破壊を恐れるルクファールが攻撃を受けると同時に己を修復していたせいだろう。
魔王の体に刻まれたフェニックスの力をいかにして取り除くか。方法は一つだ。
「一つにもどりたがってる。わたしの中の火と、この人の中の火が。もとの一つにもどろうとしてる」
そう語るコサメは、すでに無知な少女ではない。朧気ではあるが、自分の持つ力とルクファールの持つ力の共鳴をはっきりと感じ取っていた。
コサメはうつ伏せに眠るルクファールの側にひざを突き、魔王の右手を持ち上げ、自分の首の後ろに触らせた。そこには『紋』が刻まれている。フェニックスの力が。
「これでいいんだ。フェニックスの――神の力が人間に宿ったせいで、これだけの悲劇が起きた。フェニックスの力を元に戻せば、これでようやく戦いが終わる」
ルクファールの『紋』に封じられたフェニックスの力。今、その束縛は弱まっている。ルクファールのホテルは、オーナーの命令がない限り内部から魂が出ていくことは出来ない。しかしフェニックスは魂だけの状態になってもなお凄まじい力を所有し、さらにホテルの『紋』は破壊されている。そして、コサメのうちに眠るフェニックスの欠片が外側から干渉することにより……。
突如、光が立ち昇った。それは炎が発する赤の光ではなく、この世の何よりも純粋で、そのために毒ともなりえる白い光である。光はルクファールとコサメの体を包み、天高く昇っていた。
「……ベールの兄貴さんよぉ。アンタがどんな過去を持っていたのかは知らねぇが、オレにとってアンタは間違いなく敵だった。六年前にこの村でやったこと、それからゼブを裏で操って何度もオレたちを狙ったこと。どれも許せねぇ。けど、一番許せないのは……」
テンセイは言葉を濁した。口に出すことも憚れる事だった。
と、ふいに違和感が走った。光の中に対してではない。空の……風の模様が、どこかおかしいように感じられた。すぐに神経を張り詰め、違和感の正体を探る。それはすぐに見つかった。二つの影が、空の遥か上空から、テンセイの方へ向ってゆっくりと降下していた。
「あれは……」
思わず目を見張る。二つの影のうち、一つは『フラッド』の少女・ユタであった。だがその顔色は人形のように冷たく、無表情に固まっている。だがそれよりもテンセイの肝を冷やしたのは、もう一つの影であった。
テンセイ程の男が、声も出せなかった。我が目を疑い、夢幻を見ているのではないかと思った。ユタと身を寄せ合うようにして徐々に落下してくるその姿は、テンセイの精神を酷く揺さぶった。それは、黒く長い髪と陶器のように白い肌を持った女性だった。