第24話・科学者サナギ
テンセイが意識を取り戻したのと同時刻、まるで連動するかのように、一人の男が目を覚ました。
「ん……う」
男は、薄暗く陰気な空間の真ん中に寝ていた。
部屋のそこかしこから液体の流れる音や機械のモーター音が聞こえてくる。男が身を起こすと、自分の体に幾本ものチュ−ブが刺さっていることに気付いた。そのチューブは傍らの機械から伸びている。
「ここは……まさか、サナギの研究室か?」
「ドクター、をつけてほしいね。ドクター・サナギと呼んでくれ。くれ。クケケ」
どこからか声が聞こえる。どうやら、天井につけられているスピーカーから発せられたようだ。
「気分はどうだね? ブルート君」
「あ、アンタが、オレを助けてくれたのか……」
男――ブルートは小さくつぶやいた。
「クケッケケ。そりゃ、そりゃあ助けるさ。君は私の大事な、大事な、実験体なんだからね。ケケ。君のように自ら実験に協力してくれる人間は貴重なんだよ、だよ」
スピーカーの声が笑う。
声の主はDr・サナギ。生物学の分野において、右に出るものはいないと称される天才科学者である。
「今、そっちに行くよ。そのチューブはまだ外さないで、ないで」
突如この世界に現れた、『紋』という力。この未知の力は、世界中の学者たちの好奇心を刺激し、研究へと駆り立てた。ある者は『紋』の存在を、生物進化によるものだと主張し、またある者は放射能やウィルスの影響だと唱えた。神が人間に授けた珠玉だと言う者や、逆に悪魔の呪いだと信じる者も多かった。しかし、どの説も科学的な根拠が得られず、仮説にとどまっていた。『紋』が発見されてから八十年以上、様々な手段での研究が行われてきたが、『紋』の謎はほとんど解明されなかった。
サナギもまたこの前人未到の分野に惹かれ、研究を行っていた。そして西の大国・ゼブが、彼の頭脳なら『紋』の謎を解き明かすだろうと期待し、研究施設と予算を与えたのだ。『紋』の謎を知り、自軍の兵力を強化することを目的として。
「クケ、お久しぶりだね、だね。ブルート君」
自動のドアが開き、サナギが実験室へ現れた。年齢は六十歳前後だろうか。頭は禿げ上がっており、猫のように背を丸めている。元々の身長が低いせいもあり、かなり小柄な印象だ。白衣だけは清潔なものの、しわの刻まれた顔には卑しい笑みを浮かべている。
「どうだったかね? その『人工紋』は。実戦で役に立ったかい。かい」
「ああ……。一応な」
『人工紋』。サナギの研究によって生まれた、文字通り人工の『紋』である。この世界でサナギだけが知っている新技術だ。
「クケケ。よかった、よかったね。だが、まだまだ改良の余地があった。君が眠っている間に、手術を済ませてもらったよ」
「手術?」
「そう、そう。どうかね? 以前よりも、『紋』がしっくりと馴染むような気がしないかい、かい?」
サナギに言われ、ブルートは自分の右手を見た。右腕はほとんどが焼けただれていたが、甲に刻まれた『紋』ははっきりと確認できる。こころなしか、『紋』が以前よりも力強く輝いているように見える。
「ど、どうかね? クックケケケ。まるで長年の付き合いだったみたいに、みたいに、しっくりと馴染んでいないかね」
サナギが、皮肉るような笑みを浮かべながらブルートの『紋』を指差す。
「これは……まさか、この感覚は……?」
「クケ、クッケケ、ケケ。まるで、同期で入隊した、した、あの男みたいじゃあないかね」
ブルートの顔が青ざめた。恐怖、というよりも、不気味さによるものだろう。近しい人間の葬式で死体と対面したときのような表情だった。
「この『紋』には……アイツの魂が……」
うわ言をつぶやくブルートとは対照的に、サナギはますます奇怪な笑い声をあげる。無機質な室内に甲高い声が反響し続ける。
「『紋』と、『魂』。クケケ。やはり、やはり、私の理論は正しかった、かった」
「なぁジェラード。お前、本当に死体を確認したのか?」
「……」
ウシャス領に属する、大陸東海岸。雲一つない青空と澄んだ青い海が美しい、ウシャス屈指の観光ビーチだ。早朝のためか人影は少なく、五人と一匹の集団が砂浜を歩いているばかりである。爽やかな朝の風景に似合わぬ、黒いロングコートの集団――『フラッド』だ。
「一週間前、北の採掘場で戦った奴ら。鉱山が崩れた後にお前が率先してガレキを探索したよなぁ、一人で。それで、本当に人数分の死体を見たのか?」
そうしゃべっているのはダグラスだ。ジェラードと呼ばれた男は黙って歩いている。
「なぁ、どうなんだ。どーもオレにゃあ、死んだとは思えねぇんだよ。確かにあの状況を考えれば、生存してる確率は低いだろーけどよぉー……。勘っつーのかな。なんだか生きてるよーな気がするぜ」
「よっく言うよ、ダグ。あんた、直接そのウシャス軍人を見たわけじゃないでしょー? あたしと一緒に外いたじゃん」
ユタが口を挟む。この二人は坑道に入らなかったため、テンセイを見ていない。
「だから、勘だっつってんだろ。予感っつーか、そんな気がすんだよ」
ダグラスはなおも食い下がるが、隣にいた女性が口を開いた。
「フーリが言ってるわよ。あの時、埋まった坑道の中に動く物体はなかったって」
「ほらぁ、エルナも言ってるじゃん。ダグの思い違いだよ」
「オレ達が去った後に息を吹き返したかもしれねぇだろ」
ダグラスがユタの頭を小突く。
「いだっ。何であたしが叩かれんの」
「うっせ。リク、お前はどう思う?」
先頭を歩くリークウェルに意見を求める。
「……ジェラードが死体を見たというのなら、信じるべきだろう。仮に生きていたとしても、あの重傷では到底助かるまい」
「んん〜、そうかぁ」
感情の伴わない声で、リークウェルは答えた。『フラッド』のリーダーであり、直接テンセイと手合わせをした男がそう言うのだ。ダグラスもようやく自論を引っ込めることにした。
(しかし……)
リークウェルの本音は違っていた。場を収めるために生存説を否定したが、彼自身も心の中ではダグラスと同じ考えを持っていたのだ。
それに気付いていたのは、ジェラード一人だけだった。