第234話・悪魔の軍勢
黒い翼のベ-ルが、塔の外周に沿って上昇し始める。どこまで昇れば天に至るのか、それは誰にもわからない。天国へ続く経路がどのような理屈で成り立っているのかも理解し得ない。理性無きベールはただ命令に従い飛ぶのみ。
(ベール……。コサメの親父さん、か。オッサンの話だと紳士的な青年だったみたいだが、いったい何をどうすればそんな人間がこの怪物に変身するんだ?)
出来のいい漆器を思わせる滑らかな体表を撫でつつ、ノームは改めて思いを巡らせる。
(……天国にたどり着いて、フェニックスの力を見つけた時。何をどうすればいいのか、サッパリわからねぇ。その場所にサナギ達を同行させることも相当危険な賭けだ。下手すればアイツらに力を利用される可能性もあるからな。もし、サナギを出し抜くべき場面があるならば……このベールは、味方に出来るのか?)
「言って、っておくがね。このベールはただの抜け殻だよ」
サナギが指摘する。サナギ自身も、もしベールに裏切られることがあれば絶体絶命の危機に陥ることはわかっているらしい。しかしそれと同時に、裏切りなど絶対にあり得ないことも理解している。
「ベールって名前を、を、してるけど、中身は全然違う。ベールという、いう名の男の肉体を素材してコイツは作られた。コイツを動かしてる動力源は翼の『紋』の魂だよ。元の人間の、の、魂なんてこれっぽちも、も、入ってなんかない。情に駆られて寝返るなんて万に一つもありゃしない、しない」
天国へ近付くにつれ科学者の心が興奮してきたのか、その態度からは恐怖の色が消えていた。
「それよりも大事な、な、確認をしておくよ。アタシらとお前らの協力関係は、は、あくまでも”共に天国へ行く”ただそれだけ、だけだからね。向こうについた後で、で、アタシらが何をしようと構わないね」
「ああ、上についたらそこで同盟は終わりだ。……つまり、てめぇらが何か余計なことをしやがったら邪魔してやるってことだ」
「クケェ、そりゃあ、そりゃあないよ。それじゃあ天国へ向かう意味が、がない」
互いに相手を出し抜く策を考えつつ、一向は天へ近付いていく。
時は少し遡る。四度目の聖光が閃いた、その直後のこと。
「貴様ッ……!」
感情のままに力を振るったルクファールの怒りは少しも収まらず、さらに強大に膨れ上がった。一瞬で決着をつけるつもりで炎を放った。それにも関わらずテンセイは生き、代わりに焼かれたのは背後の木々ばかり。
「神の光。それを見た後では避け切れない。けどお前の手の動きを見れば発射のタイミングは測れる。そうすればギリギリで避け切ることは不可能じゃない。隊長の弾丸を避けることの方が難しい」
ラクラの銃の場合、狙いをつけた後、発射に必要な動作はトリガーを引くことだけだ。動作が小さく素早いが故にタイミングを見極めることが困難になり、回避も容易でなくなる。だがルクファールの炎は一度拳に炎を纏わせねばならず、さらに発射の直前に、炎が嘴の形を取る。無論、この動作は言葉で表現する以上に極短い時間の中で行われているのだが、テンセイの目は完全にそれを捉えていた。
「前に……六年前にフェニックスがこの力を使った時、あの光は一瞬で天国を覆いつくしていた。あの光なら今のオレでも避けられないし、逃げることも出来ない。だがアンタの持つ力じゃあそこまでの事は不可能みたいだな」
お前は力不足だ。今のお前など全く敵ではない。ルクファールはそう解釈した。
「どこまで……私を愚弄する! この私に向って偉そうに講釈を垂れるとはッ!」
魔王の手に炎が宿る。だが、発射の構えは取らない。宿した炎よりもさらに激しく燃え盛る瞳が、テンセイを射殺さんばかりに睨みつける。
「簡単に避けられるだと? 無意味だと? ならばいくらでも当てる手段は」
ある、と言い切る前にルクファールは動いた。右手に炎を宿したままテンセイとの距離を一気に詰め、拳を突き出したのだ。テンセイは炎の拳を紙一重でかわし、素早く側面に回り込んで反撃の蹴りを放った。しかし、太い脚は魔王を捉えられず空振りに終わった。
「魂を解放した分、私の身にかかる負担は減少してより素早い動きが可能となっている。……さっきは不意を突かれたせいで数発喰らったが、改めて向き合えば私の体術は貴様ごときに劣らない」
「それで、一発でも拳を当てればゼロ距離で炎を命中させられるってわけか」
「そうだ。気様を倒すのに形振り構っていられないとわかったからなぁ……。いかなる手段をも用いてくれる。見ろ!」
テンセイが樹上を見上げると、ルクファールはこちらを睨みつけたまま左手で枝につかまっていた。その背中から紅蓮の翼が現れた。六枚の翼は背後の木に絡み付き、瞬く間に焼き払った。ルクファールは枝から手を離し、翼の揚力で宙に浮かぶ。
「生まれろ、我が僕達よ! 全ての力を持って奴を抑えろ!」
翼は蛇か触手のように長く伸び、それぞれが複雑に動いて次々と周囲の木々を燃やしていく。植物だけでなく、それを住処にしていた小動物や虫、鳥なども焼き尽くす。鯨が海水ごと餌を飲み込むかのごとく、炎が全てを飲み込む。炎の中に、揺らめく無数の影が現れた。
「炎のカーテン、か。あの時もそうだったな」
テンセイがつぶやくや否や、カーテンの一部を破って一匹の獣が飛び出した。それは凶悪な顔つきをした黒い豹であった。テンセイは拳の一振りで豹を殴り飛ばす。牙や爪が異様に鋭く尖っている他は普通の獣と大差ないようだ。
最初の一匹が殴られたことを引き金に、うごめく影が一斉に炎を越えてテンセイを襲った。その中には豹だけでなく、虎、狼、コウモリ、見るからに毒を持っていると思わせる蛇など、様々な獣が混じっていた。そしてそのどれもがテンセイに対して剥きだしの敵意を見せている。
「人間に恨みを持った動物の魂は数多い。それに、破壊欲に溺れるあまり、自分が人間であったことを忘れている魂も存在する。そういったものをまとめて転生させた。凶悪なる悪魔の軍勢だ!」
いくつもの牙が、爪が、テンセイを斬り裂くべく迫ってくる。そしてルクファール自身は炎の奥に潜み、燃える瞳で隙を狙っている。