第232話・歯止め
魂の波には目もくれず、テンセイは真っ直ぐにルクファールを射すくめている。まるで魂の波を問題視していないかのように。歩み続けるテンセイの肌へ、一つの魂が吸いついた。それをきっかけに残る全ての魂が一斉になだれ込む。不気味な紫が次々と生者の肉体へ侵入していく。それでもテンセイの表情は変わらない。
「行くぞ、コサメ」
「うん」
確認の声とともに、テンセイの足が跳ねた。この男の取るべき行動は、いつの戦いにおいても変わりない。敵に近付いて力の限り殴る。それがテンセイの唯一の戦闘スタイルだ。
「おおおおおッ!」
魂の波を抜け、テンセイはルクファールへ殴りかかる。大半の魂はテンセイの体内へ憑依を完了していたが、乗り遅れたわずかな魂がノロノロとその後を追う。
「ちィッ!」
ルクファールも仕方なく応戦する。拳を腕で払い、カウンター掌底をテンセイの腹へ叩きこんだ。が、同時に額に頭突きを喰らっていた。突進の勢いがついた頭突きは重い。
(くッ! ……二秒経過!)
憑依の影響が現れるまでのタイムラグは過ぎた。二百全てではないが、それでも過半数以上は憑依している。無様に倒れるか、血を吐くか、意識を失うか、それとも一瞬の内に命絶えるか……ルクファールは想像を巡らせる。が、どれも外れた。
次いで出されたテンセイの足が、ルクファールの膝頭を叩き折った。体勢を崩して一瞬前のめりになったその顔面を、左の拳が下から殴りつけた。魔王の体が宙に浮く。無防備になった腹部へ、間髪入れず全力のストレートが喰い込んだ。
「ぬうっ……!」
またしてもルクファールは飛ばされる。そして今度は受け身を取る暇もなく後方の木に激突した。
「腹を突き破るつもりで殴ったんだけどな」
テンセイの言葉に深い意味合いはない。ただ単純に感想を述べただけだ。だがそれを聞く者の性格次第ではいくらでも悪いように解釈できる。ルクファールはそういった方面に感覚の鋭い男だ。
「貴様……! なぜ少しも苦痛を感じない! どこまで私を愚弄すれば気が済むのだ!」
「苦痛? 感じねぇよ。少なくとも、魂を受け入れただけじゃあな」
「なに……」
「なぜ魂を背負うと苦しむのか? その理由を考えりゃあ簡単なことだ。お前には永遠に理解できないだろうけどな」
「理由だと? 理解できないだと? 何をフザけたことを言っている」
「人の過去や欲だけを見て、全てを知ったつもりで浮かれてるお前には……絶対にわからねぇ」
ルクファールの怒りを頂点にまで滾らせるにはこれで十分だった。一切の余裕をなくさせ、血管が破れるのではないかと思われるほど頭に血を登らせるには。
「何が…何がわかる! 醜く地べたを這いずってきたお前ごときに何がわかるというのだ! 死にぞこないの木偶の坊めが! もう一度天国を見せてやろう! お前を葬るにはこの力こそがふさわしい――ッ!」
鳥の囀りが高く響き、ルクファールの拳に炎が宿る。
「これ以上貴様との関わりはいらん! 絶望する顔すら見たくない! 骨の髄まで融けて消え失せろ!」
この場所でルクファールが聖光を見せるのは四度目になるが、テンセイがそれを目の当たりにするのはこの時が初めてだ。
「フェニックスの炎か。……生命の力を与える光。だが生きている者に過剰に生命力を注ぐことで、逆に肉体を崩壊させてしまう恐ろしい光。あの時味わった地獄は二度と忘れねぇよ。いや、天国か?」
その声はあくまでも落ち着き払っている。汗一つかかない表情がルクファールをさらに苛立たせる。一瞬の空白の後、火焔の鳥が飛び立った。
聖なる炎の輝きは強く、森の木々の隙間を縫って遥か遠くにまで光が届いていた。森の奥に輝くものを見たサナギとサナミは鏡映しのように同じ素振りで体を震わせた。
「おお、おお、怖い怖い」
「こ、こここ、今度は誰が誰が、やられたんだろうねぇ。早くアイツら全部倒して、して、国に帰りたいもんだよ」
この二人は、ベールの背に乗ったままずっと塔の側で待機していた。森の中まで主を追いかけて、わざわざ自分たちまでも危険に身を投じるつもりは全くない。あくまでも非戦闘員の立場であり続けている。
「まったく、たわけ者ばかりで困る、困る」
「あのお方に逆らうだなんて……何もかも無駄に決まって、決まってるのに、バカげてるとしか思えないよ」
「ご機嫌を損ねられたら、たら、ワシらまで迷惑をこうむるというのに」
二人の本心は、早く邪魔者を片付けてフェニックスの力を研究したい、それだけである。この島に眠るというフェニックスの残骸を観察するためにこの島までついてきたのだが、ウシャス軍や『フラッド』の想定外の奮闘のため未だ果たせずにいる。
しかし、どうやらフェニックスが傍らの塔にいるらしいことは二人とも知っている。そして二人はベールを従わせることも出来る。ベールの翼ならば、二人を乗せたまま塔の頂上まで行くことなど簡単なことだ。事実、六年前にベールは己の翼で頂上の天国まで登りつめている。その気になれば可能だ。しかし、二人は動かない。
「あのお方は、本当に恐ろしいお方じゃ。だけど、けど、我々を守ってくださるとても頼れるお方じゃ」
「そう、そう。あのお方が協力して下されば、もう他には何も怖いものはないよ」
「もうじき、きっともう少しで帰って来て下さるはず」
つまりはこの二人、護衛もなく未知の天国へ踏み込むことに躊躇しているのだ。数年前の二人ならば、どんな秘境であろうと構わず(むしろ、喜んで)足を踏み入れていた。渦巻く好奇心と知識欲はどんな恐怖にも勝っていた。だが、魔王と出会って恐怖を知ってからは、さすがの狂気も歯止めのかかる時が生まれたようだ。ましてや今回は事情が重すぎる。
「ああ、『フラッド』のガキどもめ。どこまでも、までも、手を煩わせおって……」
二人が被害者ぶって勝手に嘆いていると、背後に人の近付く気配を感じた。ようやく主が帰ってきたか、と振り向くと……。
『ヒィ!』
「騒ぐな。今はお前たちを殺すつもりはねぇ」
そこにいたのはノームとラクラ。そして、それぞれに背負われたリークウェルとユタを合わせた四人であった。