第23話・手のひら
『ねぇ、テンセイ。テンセイはわたしのお父さんとお母さんに会ったことある?』
『ああ。カッコいいお父さんとキレーなお母さんだったぞ』
夕焼け空を見上げながら、テンセイとコサメは家の屋根に座っている。村全体を見下ろせるこの場所が、二人のお気に入りスポットだった。
『カッコよかった? テンセイよりも?』
『んー……。オレの方がちょびっと男前かな』
テンセイは冗談まじりに言ったが、コサメは信じた。コサメにとって、顔すら憶えていない実父よりも、一緒に暮らすテンセイの方に親しみがあるのだ。
『お父さんとお母さん、どこにいるの?』
この質問には、テンセイもすぐには答えられなかった。幼いコサメに対して、真実を告げるかどうか。村長のラシアや他の大人たちの間でも意見がわかれたが、一応はまだ伏せておくことになった。
『……ちょっと、遠くにな』
『ふうん』
『二人とも遠くに行っちまった。でも、全部じゃあないぞ。ちょっとはここに残ってる』
『へ?』
テンセイは手を伸ばし、コサメの頭をなでる。
『コサメ。お父さんとお母さんは、今、ちょっとだけここに残ってる』
『ここ、に』
『そうだ』
決してわかりやすい説明ではなかったが、コサメは何かを感じ取ったらしく、嬉しそうに微笑んだ。テンセイの大きな手のひらに自分の方から頭を押し付け、幸せそうに目を閉じる。
『ここにいるんだ』
『ああ』
『テンセイもいる』
『いるなぁ。でっかいのが』
夕日に向かい、二人は笑う。
――とても静かで、幸せな日々だった。
「ほう、ようやく目を覚ましたか」
しわがれた男の声が聞こえる。テンセイが目を開けると、そこは夕焼けの景色ではなく、白いカーテンで周りを仕切られた部屋だった。頭のすぐ横に、声の主と思われる男が立っている。どうやら自分はベッドに寝かされているようだ。拘束されているわけでもないのに、なぜか体がほとんど動かせない。
「ムリに動こうとしなさんな。いくらアンタでもまだ当分は絶対安静じゃ」
「……先生、か」
話しかけてきたのは、ウシャス軍本部の軍医だった。
「しかしまぁ、今回ばかりはワシもサジを投げそうになったぞ。なにせ、あまりに酷い火傷と出血多量、それに加えて全身に打撲、切り傷があったからのう。二十人の兵士をいっぺんに診るよりも大変な治療じゃったわ。輸血用の血液もほとんど使い切ってしもうた」
「オレ……は、生きてたのか」
「うむ。アンタらが派遣された採掘場の近くに、他の小部隊が待機しとってな。異変を察して救助に向かったんだ」
救助隊が採掘場へ到着したのは、『フラッド』が動き出してからおよそ一時間後であった。その頃には、夜空に輝いていた星光が全く見えなくなっていた。突然発生した黒雲が大雨を降らせていたからだ。坑道を崩壊させた炎は雨によって消えていた。
駆けつけた救助隊の目に映ったのは、瓦礫の山の中から這い出ようとする一つの影であった。いや、よく見るとそれは一人ではない。一人の人間がさらに二人を背負っている。先日入隊したばかりの新人・テンセイの背に、小隊長であるレンともう一人の新人・ノームが担がれていた。
「お前さんが二人を助け出したんだ。これだけの重傷を負っていながらようやったもんだな」
テンセイは記憶を辿るが、その場面は思い出せなかった。土砂に埋まりかけた瞬間から後の記憶がない。
「あいつらは……? 『フラッド』の奴らはどうしたんだ」
「『フラッド』が現れたという報告は、先に目覚めたレンから聞いとる。……奇妙な話だが、救助隊が駆けつけた時にはすでにいなくなっていた。お前さんが完全に死んだと思い込んだのか、ただ気が変わっただけなのかは知らんが……。ともかく、採掘場の周囲を探索しても見つからなかった」
――相手が死んだと思い込んでトドメを刺し損ねた? もしそうだとしたら、世界的に怖れられている戦闘集団にしては詰めが甘すぎる。おそらく気が変わったというのが真実だろうとテンセイは判断した。
「かわりにゼブ軍人の死体発見された。崩れたガケの中に埋まっとったんだがな、右半身が爆弾のようなもので吹き飛ばされて消滅しとった。えぐれた断面や飛び散った肉片が雨に濡れて……さぞかしグロテスクな死体だったんじゃろう。発見した兵がその場で嘔吐したそうだ」
「もう一人、ゼブ軍人がいなかったか?」
「うむ、それもレンの報告を受けて改めて探索したんだが……まだ発見されとらん」
ベッドの周りはカーテンに仕切られている為室内全体を見渡すことは出来ないが、どこかでドアの開く音がした。そして、パタパタと早足で近付いてくる足音。足音はカーテンのすぐ前で止まり、勢いよくカーテンを引き開けた。
「テンセ……あ! おきてるっ!」
「よお、コサメ」
現れたのはコサメだった。真新しい清潔な服を着ており、両手で水の入った手桶を持っている。
「こりゃ、嬢ちゃん。病室内はもっと静かに歩けといったろうが」
軍医が指摘すると、コサメは照れ隠しをするように小さく舌を出して笑った。手桶を床に置き、テンセイの火傷患部を覆っていたタオルを取って水につける。
「この子が手伝ってくれて助かっとるわい。タオルを交換するだけでも相当な労力になるからのう」
「テンセイの手、すっごくあつかったもん。つめたいタオルでひやすの」
「コサメが……火傷を冷やしてくれてたのか。ありがとよ」
テンセイは唯一無事な左手を伸ばし、コサメの頭をなでる。かつて、村を見下ろしながら話していた頃のように、コサメも自分の方から頭を押し付けた。
「お前さんが奇跡的に助かったのも、嬢ちゃんの祈りのおかげじゃろうな。……おっと、そうだった。お前さんが意識を取り戻したことを上に報告せにゃならんな」
「おねえちゃんつれてくる!」
そう言うなり、コサメは再びカーテンを開けて出て行った。
「お姉ちゃん?」
「ラクラ隊長のことだ」
「ああ……」
軽やかな風が、室内を満たした。