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第222話・憑依

 黒い滝が流れる。ルクファールの右足は弧を描き、ユタとリークウェルの乗るキツネに踵を落とした。打撃と表すにはあまりに鋭いその一撃は、刑を執行する死神の鎌である。かすめるだけで命を摘み取る重い技。だが、それは空を斬るだけに終わった。


 ユタの反応が一瞬だけ早かったのだ。魔王が眼前に迫った瞬間、ユタはキツネを消した。直進して押し切ることも左右にかわすことも不可能と判断してのとっさの防衛策だった。同時に風の向きを変える。足場をなくした二人は急降下し、鎌の一撃を回避するに至ったのだ。あくまでも、たった一撃だけだが。


「つくづく困った餓鬼だ。テンセイのところまで逃げていったい何になるというのだ? まさかあの男が私を倒せるとでも?」


 ルクファールの声が近づくことを感じつつ、地表への墜落寸前にユタは再びキツネを出現させた。立ち止まるわけにはいかない。どれだけ薄い望みであろうと、前に進むしかないのだ。


 木々の間をすり抜けて飛ぶユタの視界に、ぼんやりとした光が映った。初めは蛍かと思った。それは木陰からふらふらと舞いながら現れ、ユタの進行上に重なった。構わずユタはキツネを進める。しかし、それは蛍の光とは違い、点滅をせずに常に光を放ち続けていた。紫の縁に覆われた白い光が、ユタの指先に触れた。


「うっ……」


 ユタがうめき声をあげた時、光は消えていた。正しくは、光はユタの指先に絡み、溶けた雪が川の水に混じるかのごとく、その肌に混じって同化したのだ。光に侵入されると同時にユタの表情が変化した。前だけを見つめる端正な目が、毒薬を飲まされたかのように剥きだされる。固く結ばれていた唇が開かれ、歯の隙間から声が漏れる。事実、それはどんな薬物よりも酷い毒だった。


(何、これ……?)


 胸が苦しい。肋骨の内側に重い岩塊でも入れられたかのようだ。心臓が圧迫され、深く呼吸をしなければ血液が回らない。眩暈がする。危うく前方の木に激突しそうになったが、寸前で意識を集中させて回避し、さらに進む。だが明らかに速度が落ちている。速く、もっと速く、と念じるが、悪夢の中で足が上手く動かないのと同じく風が言うことをきかない。


(頭の中がザワザワする……! 違う誰かが入りこんだみたいに……)


「そうだ、それが魂を背負うということだ」


 閉じかけた目蓋の向こうで声がした。しまったと思うよりも先に、乱暴に髪を掴まれていた。急停止の衝撃に耐えつつ、キツネから弾き飛ばされたリークウェルに風を纏わらせて木への激突を防いだ。だがユタの気丈はここまでだった。急激な体力の衰えに加え、気力までもが委縮していく。呼吸が荒く、全身が不愉快な痺れに襲われている。


「飛びあがる寸前、私はホテルから一つの魂を解放した。今お前の体内に入ったのはそれだ。我がホテルから放たれた魂は、この世に全く未練がないのであれば天へ昇っていく。そんな例はこれまで一つか二つしか見たことがないがな。未練の残った魂はどうすると思う? ん?」


 吐き出す息が顔にかかるほど間近で、魔王が語りかけてくる。ユタは目を開けることも出来なくなってしまった。体の重みもさることながら、恐怖を押し止めていた最後のダムが決壊したせいだ。目の前に迫る男の顔を直視できない。


「未練を抱いたままホテルから追い出された魂は、例えるなら巣から落とされた雛だ。元の場所に帰ることも叶わず、せめて少しでも安らげる場所を求める。魂が最も安らげる場所。それは我がホテルを除けば、生物の肉体に他ならない。それがすでに別の魂が入っている他者の肉体であっても、剥き出しになった魂は安息を求めてすがりつく。特に、人間であった魂は人間の肉体に……」


「あぅ……あ……」


 体が寒い。『紋』の力でルクファールを押し返すことも、腕や足で抵抗することも出来ない。ただただ苦悶の表情を浮かべ、髪を掴まれたまま残酷な言葉を受け続ける。


「お前の体内に侵入したのは、たった一人の人間の魂だ。それも、特別な力はいっさい持っていない、ごくありふれた平凡な人間だった。ゼブが侵略の戦を起こす度に死んでいった、数多い犠牲者の一人だ。そんな魂でさえも、普通の人間には耐えられない。一つの肉体に複数の魂が宿るということは、口で言うより遥かに困難なことなんだ」


 ルクファールはといえば、片手でユタを持ち上げたまま、もう片方の手にホテルを出現させていた。この世の法則を捻じ曲げる禍々しい能力を。


「このホテルの中には、私の周囲で死んでいった大勢の魂が存在している。その数はとても計算できたものではない。人間に限らず虫や獣、または植物が枯れるなり踏みつぶされるなりしただけでも魂は放出される。私はその全てを背負って生きている。わかるか? お前はたった一つの魂を背負っただけでその様だが、私は万や億では足りない数の魂をこの内に秘めているのだ」


 魂は重い。だが、その重さを乗り越えたが故にルクファールは常人離れした肉体を得たのだ。そして所有する魂の数は現在でも増え続けている。


「この世界に存在する魂の数は一定……。サナギがそんな話をしていたな。だとしたら、実に面白いことじゃあないか。私が魂を所有している分、新たに生まれる魂が少なくなるわけだからなぁ。もしかしたら、生物の減少と『紋』には何の関係もないのかもしれない。ふふん。まぁ私にとってはどうでもいいことだ」


 ルクファールは笑っている。怒りを通り越しての笑みなのか、それとも優越感からくる喜びの笑みなのか、ユタには判断のしようもない。


「私に思い通りのシナリオを描かせなかった罰だ。一瞬のうちに消滅したダグラスの分まで、もがき苦しみながら死んでいけ。なんならもう一つ魂を背負ってみるか? 誰の魂がいい? お前の仲間……ダグラスや他の二人の魂をも私は所有しているぞ」


 こうしている間にラクラやノームに逃げられてしまうことも、ルクファールは構わない。最優先すませるべきことを一つ一つ片付けていくことに決めたのだから。どの道、嵐渦巻くこの島から逃げることは出来ないし、テンセイが立ちふさがっても簡単に倒せる。


 ぎぃ、と古い響きを立て、ホテルの扉が一人でに開いた。扉の奥、闇の向こうから、紫に光る魂がゆっくりと放たれた。

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