第22話・埋葬
ブルートが目を覚ましたのは、外で最初の爆発が起こったときである。目を開ける直前、自分の体がひどく重たく感じられた。手首のあたりから生暖かい液体が流れ出ている。それが血であることに気付くのはもう少し後だった。
ひゅうっ、と何かが空を裂くような音が聞こえる。目を開けると、真っ先に視界に入ったのはサーベルを振るう黒コートの男であった。ブルートは一瞬で思い出した。
『もし万が一、オレ達の任務が失敗しそうになった場合だ。”紛れ”を起こそう。ウシャスの連中はおそらく、フラッドがこの近くにいることを知らない。もし知ってたらもっと警戒するはずだしな。それを利用する』
『フラッド』が狙うのは賞金首だけではない。自分たちに手を出してくる者に対しても容赦なく牙を剥く。つまり、わざと彼らを刺激すれば、彼らは必ずその力を振るう。その力の中へウシャス軍を巻き込んでしまえばいい。それがゼブ軍の作戦だった。
敵と戦う力のない草食生物が、どれだけ捕食されても滅びないのは何故か? それは”紛れ”が起こるからだ。嵐や地震などの災害が起こったとき、体の強い肉食獣は己の肉体を維持するためのエネルギーが得られなくなるため、生存しにくい。逆に体重が軽く、多くのエネルギーを必要としない軟弱な生物は生き残れる。”紛れ”が起これば、生物の強弱が逆転するのだ。
無論、ブルートは自分のことを弱者などと思っていない。が、万が一の保険として、『フラッド』という名の災害を引き起こすことにしたのだ。
ただ一つ計算違いだったのは、『フラッド』の力が想像以上に強大だったこと。ウシャス軍が『フラッド』と交戦している間に逃げるつもりだったのだが、一人は追いつかれて爆発を喰らった。
(だが、正解……だったな。あのデカブツがボロ負けしてやがる)
ブルートは密かにほくそ笑んだ。そして、リークウェルがテンセイとレンの二人を相手をしている間に、少しずつ這って奥の方へと移動して行った。ブルートに課せられた任務は、この鉱山から鉱石を盗み出すことだ。それをまず果たすことにし、次に脱出経路を考えた。地図によると、出口は一つしかない。その出口には『フラッド』がいる。
「他に……脱出口がなけりゃあ……よォ、邪魔な壁を取り除くだけだ」
右手の『紋』から炎を発生させる。この『紋』を傷つけられなかったのは幸いと言えよう。もしそうなっていたら、未だ夢の中にいただろう。
「クソッ、今更ツキがきたって遅ぇんだよ。オレは今まで出世街道を突き進んできたってのによォ。……だが、まだオレはあきらめてねぇぜ。絶対に生き延びてまた出世のチャンスを掴んでやるッ!」
炎を壁に燃え移させる。徐々に燃え広がっていく炎を見ているうちに、ブルートの怒りがさらに増幅されて頂点に達した。
「オレはゼブ軍人だッ! こんなところで死ぬわけがねぇッ!」
腕を振り回し、火の粉をあたりに散らばらせる。落ちた火の粉もまた地面を燃やして強まっていく。炎と炎が交じり合って肥大し、見る見るうちに周囲を火の海へと変えた。
その直後、ブルートの頭上にある天井が崩壊し、岩の塊が降り注いだ。
「奥のほうで火が燃えている。しかも、どんどん広がってる」
フーリがしきりに鼻を鳴らしている。が、いまやその場にいる全員が、坑道奥での異変に気付いていた。ブルートの放った炎が、出口の方まで広がってきたからである。
「……もう一人いたか」
「リク?」
「とりあえず外に出るぞ。ここもじき崩れる」
リークウェルを先頭に、『フラッド』の三人は外へ向かう。その隙をテンセイは突いた。しびれる体を強引に動かし、去りゆく三人を追う。そして焼けただれた右手を懸命に伸ばし、声にならぬ叫び声をあげた。
(目ェ覚ませノームッ! 今が……今が脱出の唯一のチャンスだ!)
ゼブは『フラッド』を利用して状況を有利に運ぼうとした。しかし、今、テンセイはブルートの行動を”紛れ”と認識した。彼らが自分たちから離れていくこの瞬間なら、脱出の可能性はある。ノームさえ目覚めれば。
テンセイは懸命に走る。が、黒コートに背負われたノームまでは届かない。炎は驚異的な速度で壁を燃え移り、ついにテンセイの頭上にある天井までもが崩落を始めた。
――間に合えッ! 熱を帯びた土砂が悪魔の手のひらのごとく降りかかってくる。もろにそれを被ったテンセイは思わず目を瞑ってしまった。と、その時だ。火傷した右手に何かが触れた。
「オ……ッサン」
祈りが通じたのか、はたまたただの偶然か。ノームの手がテンセイの右手を握っていた。テンセイはその手をしっかり握り、今度は口が裂けんばかりの雄たけびをあげてノームを引き戻した。
「ムッ」
『フラッド』が低い声をあげて振り返る。だが、すでに坑道はほとんどが崩壊してしまっており、奪い返すヒマはない。黒コートは一旦人質を諦め、再び出口へ向かいだした。
「レン小隊長! 逃げるぞ!」
「あ……ああ」
レンは辛うじて返事をするが、体の半分が燃える土砂に埋まりつつあり、その土砂を振り払う体力も残っていないらしい。ノームも一度は気がついたが、すぐにまた目を閉じてしまった。
唯一動けるのはテンセイだけだ。しかし、それももう限界に来ている。自ら手首を噛み切り、さらにリークウェルにえぐられた手首の傷。そこから流れ出た血液は相当な量に達していた。ウシャスの軍医に絶賛された野生の筋肉もズタズタに切り裂かれ、出血多量で体温が下がったせいか、脳髄が凍りついたような感覚さえある。痛みや痺れは、もうとっくにマヒして感じられなくなっていた。自分でも意識があるのが不思議なぐらいな重傷だ。
(死ぬわけには……いか……ねぇ。コサメ、を……守ら……ねぇ、と)
コサメ。もう、何日も会っていないような気がする。つい先日まで一緒にいたというのに。
遥か遠くで、ブルートの叫び声が聞こえる。それも炎と岩に遮られてすぐに消えた。