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第219話・魔王の覚醒

 信用できる医者の診断を終え、家族全員に感染の疑いがないと明らかになった翌日、サイド家は北方の町へ避難を始めることになった。出発の朝、ベールは食事を済ませ、粥の乗った盆を持って兄の待つ部屋に戻った。引っ越しの移動は馬車を使うとはいえ、家の中にいるより体力を使う。兄が食欲を示さなくても少しは食べさせなくては……などと考えながら子ども部屋の扉を開けた。そして室内を見た瞬間、手にしていた盆を思わず落してしまいそうになった程に衝撃を受けた。この時にベールの人生は一変したといっても過言ではないだろう。


『どうした? 何を突っ立ってるんだ』


 そう話しかけてきたのは兄のルクファールだ。この部屋にルクファールがいることはおかしくない。そのつもりで粥を運んできたのだから当然だ。だが、兄はベッドに寝ているはずだった。目は開けているが身を起こそうとはせず、体を横に向けて本を読んでいるはずだった。ベールが朝食の前にこの部屋を出た時はそうだった。


『そんなに驚かなくてもいいだろう。こっちに来いよ、ベール』


 ルクファールは窓辺に立っていた。壁や柱にもたれず、しっかりと自分の足で立って窓から静かな町を眺めていた。服装も寝巻き姿ではなく、余所行きのための正装に着替えていた。


『あ……兄さん、病気、よくなったの?』


『違うぞ、ベール。元々病気になんかかかってない。少し体が重かっただけだ』


 ルクファールの目は窓に向けられたままだが、ガラスに映る弟に対して話しかけている。


『今はなんともない。……随分時間がかかったけど、ようやく乗り越えたよ』


 ルクファールは笑った。悪魔の微笑みだった。窓に反射する兄の顔を見た途端、ベールの背筋は凍りついた。だが健気なこの弟は、恐怖を押し隠し続けた。それどころか、兄の全快を喜ぶ気持ちの方が強く作用していた。


『よかった! じゃあ、今日からまた一緒に遊べる?』


『ああ』


『そうだ、兄さん聞いた? 今日僕たちが引っ越しする場所って、自然のキレイなところなんだって! 森とか、川とか……遊ぶ場所がたくさんあるんだよ!』


『それもいいな。だけどな、ベール』


 ルクファールはようやく弟に顔を向けた。十三歳の少年が話す口調は年相応のものではない。その原因は一日の大半を読書に費やしていたことの影響か、それとも他に要因があるのか。その答えが後者であることをベールは後に理解した。


『もっともっと、面白い遊びをしよう。上手くいけば、森や川どころじゃない、この世界中の全てを遊び場に出来るぞ』


『え……?』


 言葉の意味がわからず戸惑う弟に対し、ルクファールは構わず続けた。


『なぁベール。知っているか? ちっぽけな虫一匹にも、人間と同じように魂は宿ってるってことを』


 話が飛躍し、ますますベールは当惑する。


『虫だよ、虫。手で叩いてしまえば簡単に潰れて死んでしまう虫のことだ。あんな弱い生き物でも魂を持っていて、死んだらそれが出てくるんだ。虫だけじゃない。そこいらの植物だって同じだ。お前は忘れているかもしれないが、昔お前が誤って庭の隅に生えていた花を踏みつぶした時も、命が消えて魂が放たれた』


『ご、ごめん……』


 ベールは謝った。そうせざるを得ないような気配がしたからだ。だがルクファールは表情を変えない。


『謝る必要なんてないぞ、ベール。むしろ感謝してやりたいぐらいだ。全てを乗り越えた今となってはな……。乗り越えるまでの道中は恨みもしたが』


 言葉に含んだ毒針がベールを刺す。


『魂というのは、とても重いものだ。そのせいでかなり苦しめられたよ。放たれた魂を片っ端から背負うのは、とても大変なんだ。心臓を締め付けられるなんて次元じゃあない。全身の細胞がみんな鉛になってしまったかのようだ。他者の魂を抱えるということは、それぐらい重いんだ。ベール、お前は自分の『紋』を最初から上手く動かせたか?』


『えっ……ううん、ちゃんと飛べるようになるまで、たくさん失敗したよ』


 唐突に尋ねられたのは、ベールの翼のことだ。質問に答えてベールは気付いた。自分は兄の能力をほとんど知らないということに。


『お前の能力は、ただ空を飛ぶだけ。それだけの単純な能力なのに、それなりの修練を積まなくては満足に動かせない。と、なれば……これを自在に操れるようになるまでの苦労もわかるだろう』


 ルクファールが右の手のひらを上に向け、ベールの方へ突き出した。と、手のひらの表面から黒い物体が浮き上がった。それは絵本の挿絵に描かれている城を思わせる形状で、三階建ての建物をおもちゃのように縮小したものだった。扉や屋根、窓辺などいたるところに装飾が施されており、絵本の城と比べて俗世に近い印象を受ける。


 ベールは以前一度だけ、これを見たことがある。実物を見てようやく思い出せるほど遠い記憶であったが。


『こいつは、放たれた魂を分別(ふんべつ)なくどんどん吸い込んでしまうんだ。……正確にはこいつが吸い込むんじゃあなくて魂の方から入っていくんだが、どっちでもいい。この中に入った魂は夢を見る。甘くて幸福な夢や、欲望を剥きだしにしたドス黒い夢を。それは別に構わないのだけれど、さっきから言ってるだろう? 魂を背負うのはとても大変だ』


 兄のしゃべっている内容は、ベールには半分も理解できない。ただ、とても恐ろしい話をしているということだけは直感で理解していた。


『この重みから逃れるには、魂を追い出すと同時に新入を防ぐしかない。何度もそれを試してみたが容易ではなかったよ。能力を扱いこなすには努力がいるからな。だけど、そんな努力をしている間にもう一つの方法に気づいたんだ。重みから逃げるというより、重みを抱えたまま立つ方法だ。単純にこの体が強くなればいいんだよ。お前だって、体を鍛えるためにわざと負荷をかけるだろう。それと同じさ。能力の内側からかかる重みのおかげで、かえってこの体はどんどん強くなっていった』


 ほら、と言ってルクファールはベールに近付き、左手でベールの肩に触れた。その途端、ベールがガクリと膝を折った。軽く触れられただけで凄まじい圧力を受けたのだ。


『肉体の強化と、能力の操作。両方を鍛え続けて、ようやく今朝、重みを乗り越えた。長い長い修行だったよ。お前たちにはただ寝ているだけにしか見えなかっただろうけど』

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