第216話・天にも届く
「さぁて、どう片付けてやろうか。また死体を使うか、焼き払うか、それとも私自身の手で直々にその命を刈り取ってやろうか。ふふ。リクエストがあれば聞いておこう。叶えるかどうかは別として」
炎の羽を納め、一歩、ルクファールは『フラッド』の方へ歩み寄った。距離およそ十メートル。誰にとっても射程内だ。ダグラスの銃も、ユタの風も、この距離ならばかなり精密に命中させることが出来る。またリークウェルが急接近を仕掛けて斬りつけることも可能だ。より接近した方が全ての力を出しきれることは確かだが、この距離からでも不可能ではない。しかし同時に、ルクファールにとってもあらゆる攻撃が可能な有効射程内だ。いや、この男に射程や間合いの概念は必要ないのかもしれない。断罪の聖光がある限り、視野に入る全てを刹那の内に消滅させることが可能である。
「リクエスト? だったらてめぇの自滅を希望するぜ」
ダグラスが鼻息荒く応じる。ルクファールの所業を見てなおこのような台詞が吐けるのは、一つに続けざまの死があまりに呆気なさすぎるからだろう。エルナやジェラートが直接的な戦いに秀でていないとはいえ、少なからずフェニックスの影響を受けた肉体は常人を上回る強さを持っている。アフディテが戦う場面をダグラスは見ていないが、リークウェルに重傷を負わせたのはあの娘だと聞かされた。ここまで生き残ってきた戦士たちが、あっという間に消え去った。その事実に感覚が麻痺し、かえって現実味がないのだ。
「前置きをしておいてよかった。悪いが、その願いは聞いてやれないな」
ルクファールは笑う。この男が考えることは、いかにして相手に勝つかではない。いかにして自分の苛立ちを発散するかだ。己の手を無駄に使わぬためにゼブ軍を裏から掌握したというのに、それをたかが力の欠片しか持たない連中に潰され、最も目をかけていたサダムでさえも敗北した。可能な限り裏に居続けるつもりでいたルクファールにとって腹立たしいことこの上ない。せめて、罪人どもを残虐に処分せねば気が済まない。
「そうだ、こうしよう。まずはダグラス、お前の首を刈る。私が直に手刀を入れて切断してやろう。その次にお前の死体を操ってユタを殺す。さすがの私でも、女子どもの血で手を汚したくはない。お前にやってもらおう」
この言葉には少し嘘が混じっている。六年前、ルクファールはこの島に住人全てを自分の手で殺害しており、躊躇や後味の悪さなど微塵も感じなかった。ただ、”仲間の手で殺される”という苦しみを味わせたいだけなのだ。
「ユタが死んだら、今度はその死体でリークウェルを討つ。……ふふふ。楽しみだな、リークウェル。その時お前がどうするか、とても楽しみだ。自分の身を守るためにユタをもう一度殺すか、それとも反撃出来ずに殺されるか……。あるいは、絶望のあまり呆けと化すか……いや、これはないな。お前の性根はそこまで貧弱ではないはずだ」
相手がそれなりの実力者であるほど、それを打ち破った時の快楽は大きい。ルクファールにとって自分以外の全ては弱者であるが、弱者の中にもそれなりに優劣はある。リークウェルが残った二人より強者であることを認めたことも座興の一つ。言われたリークウェルもその意図を察したのか、強い瞳でルクファールを見返している。そして口を開いた。
「オレ達を殺して……フェニックスを手に入れて、それからどうするつもりだ?」
ルクファールの足が止まった。
「ゼブを利用して天下を取って……最終的に貴様がサダムに成り変わるつもりだったのか? 権力の頂点に立つことが貴様の望みなのか。そのためだけにフェニックスの力を手に入れたのか」
怒りと憎悪に満ちた瞳が魔王を睨む。無法の道を歩んできた『フラッド』にとって、地位や権力は全く無価値なものであった。
ルクファールは返答をせず黙っている。あくまでも笑みを浮かべたままで。
「認めたくないが、オレ達は一つだけ貴様に感謝することがある。オレ達がサナギの手から逃げられるきっかけになったのは貴様だからな」
「ふん。これもまた滑稽な縁だな」
「だがそんな恩などとっくに帳消しだ。王の地位ごときのために貴様が生き、サナギを傍に置くのなら、貴様もろともサナギに復讐を果たすだけだ。規律を知らないオレ達でも貴様らの悪はわかる」
「……ふん」
ルクファールが笑みを消した。唇を閉じて、まっすぐに『フラッド』を見つめる。ただそれだけの行為がリークウェルの口をも閉じさせた。冷たい瞳だった。その内側に燃え盛るフェニックスの力を宿しているというのに、今この男から立ち上る気は氷のように冷たい。蛇の目が『フラッド』を縛る。
「愚か者があッ!」
怒号が響く。零下に落ちた熱が急激に上昇し、凄まじい熱気がルクファールから放たれる。
「生温い次元で私を語るな! 権力だ? 王の地位だあ? そんな塵芥に等しいもののために私が動くかッ! 拙い思慮しか持たぬ蛆めが!」
瞳を剥き出し、口を張り裂けんばかりに広げ、消失しかけていた苛立ちを火種として怒りの業火を滾らせる。
「私が目指すものはより至高の域! 私がその域へ至れば権力などこの世に無しも同然! 王も下民も畜生も、全てが私の下という身分に収まる! いや、上だ下だと比べることすらもおこがましい。私は人類の枠組みすらも越え、生物の分類をも超越し、より高く、高く、高く! 森羅万象全てを見下す絶対無二の存在へなるのだ!」
言葉はすでにリークウェルへ向けられていない。自分の言葉に自分で酔っているかのようだ。余裕の色ばかりを見せていた表情に、ギラギラと醜く光る色彩が灯る。長く積り続けていた鬱憤をぶち撒けるようにも見えた。
滾るルクファールの言葉は、要約すればただ一つの事を示している。すなわち、己が神になる、という宣言だ。命と魂を自在に操り、あらゆる敵対者を駆逐できる今の状態であっても、ルクファールの欲は満たされない。
「全てが私を崇め、謀反や抵抗など一瞬たりとも感じさせない理想の世界だ! 私以外の者は私を讃えることだけに喜びと幸福を感じ、そうすることで救われる! お前らは--」
閃光が走り、声が途切れた。ルクファールの脳を光が貫通し、また左の胸にナイフが突き刺さったからだ。